「ここに来る前はどこにいたの?地元は?」
由香もまた、彼自身と会話をあまりしていなかったことを思い出す。年齢と職業くらいのものしか知らない。早速注がれた白ワインのグラスを手に持って、一口だけ含んでテーブルに置いて、言った。
「生まれは北海道。親父は福岡の出身なんだけど、あちこち転勤して一緒に移動してたから地元っていうとよくわからないな。大学は大阪だったし、研修医は京都の大学病院だったし。」
「なんでこの街に?」
「母親の実家があったから。今はもうないんだけどね。でも夏休みとかお正月とか来たことがあってなんとなく懐かしさがあって。故郷というのに憧れもあったから」
お米も魚もおいしいし、冬はスキーもできるしね、と付け足して微笑んだ。
故郷に憧れなんて、故郷を持たない人間が思えることだ。地元に人生を縛られた由香はそう思った。それでも嫌味をいう気にはならなかった。故郷を持たない人間の寂しさを自分も知らない。帰る場所のないことの寂しさは、由香にはわからない。
「今は、ご家族は?」
「各自自由にやってる。父親は医者で今は離島。母親は看護師だったんだけど、専門学校のの講師とかしてて今は九州。あとは妹がいるんだけど、外語大から留学したままニューヨークで貿易関係の仕事についている。もう何年もみんなで会ってないけど仲は悪くないんだよ」
ただそれぞれやりたい放題というか、と彼は笑った。
自由で魅力的なようでもあったが、そんな話を聞いていたら、故郷という場所に憧れを持つこともあるかもしれない、と由香は思った。落ち着ける場所が欲しいときは、誰にだってあるはず。山形へ来たのはそういう事情かもしれないと思いながら、由香は焼き立てのおいしいのを一口食べて、言った。
「それじゃあ、都心も地方もいろんなところで暮らしてきたのね。大阪とか都会には、ここにないものがたくさんあるでしょう?」
「由香さんは大学は東京だったんだっけ?」
由香の言葉に、前田くんは一口サイズに切り分けられたホタテを口元に運びながら言った。まるで何年も前からこうして会話をしてきたみたいに、ごく自然に。
「ええ。六年間だけね」
たいした話ではないのに、由香は真剣なまなざしをしていた。よくも悪くも地元に縛られている、ということはもう伝わっていただろう。
それにこたえるように彼もまた冷静に、口に入れたものを十分に咀嚼して飲み込んで、ごまかさずにきちんと向き合っていた。
「でもさ、ここにあって東京や大阪にないものも、たくさんあるじゃない」
そう言って、地元の有名なワイナリーの白ワインの、その幸福な淡いイエローの液体を彼は嬉しそうに口に含んだ。
あまりにもおいしそうに飲んでくれるので、その横顔を見ながら由香も同じようにグラスを口元に運んだ。
食事は大事よね、と言わなくてもわかっているというような横顔だった。
それから牛肉に合わせて、地元のおいしい赤ワインもいただきながら、互いの仕事の話や住んできた町の話とかをした。2軒目に行って軽くカクテルでも飲みながらもっと話をしてもいいなと思うほど、いい夜だった。
「友達になりましょう。また一緒においしいものを食べよう。直接の連絡先を聞いてもいいかな?」
帰り際、彼にそう言われて由香は、ええ、大丈夫よ、と笑って手帳の1ページに電話番号を書いて、切り取って渡した。酔ってはいなかった。
本当にただ、また一緒に食事をしてもいいと思ったのだ。結婚とか未来とか、そんなことは抜きにして、ただまたこんなふうにおいしいものを分かち合って、それぞれの知らないことを話すのは、楽しいことのように思えた。
これまで何度もお見合いをして、男性を紹介されて、それなりにたくさんの人と出会ったけど、友達になった男性は、博樹と別れて初めてだった。



