すてきな気持ち

隣の席に座る前田くんを見てもう一度笑うと、彼は言った。

「おいしいうちに食べよう」

カウンター越しに出された揚げたての、ちょうど旬の鱚とズッキーニを由香に差し出してきた。
たぶん揚げたての今が一番おいしい。ベストなタイミングだ。旬の魚も、野菜も。今を逃したら、味わえない。

そのとき、いつまでこうしていられるのかなと、由香はふと思う。今しかできないことはもちろん山ほどあるわけで、人生はいつだって選択に迫られている。

「私もお父さんもいつまでも生きてないんですからね」

母はここのところ定期的にそう言っている。長年健康だと思っていた父が去年病気をしたことで老いを感じていることはあるだろう。
いつまでもこうしていられない。それはみんな同じだった。
女性と毎日向き合って、出産のリミットがあることも由香はわかっていた。
両親も、自分も、目の前の男性も。時間は平等に私たちの人生を少しずつ奪っていく。
「どうしたの?」

残り一口のビールをグラスに残したまま、ぼんやりとしていた由香に彼は聞いた。
そういわれて慌てて「いただきます」と言って、目の前に出された料理を口に入れた。まだ十分に熱く、衣はサクッといい音を立てた。

「おいしいうちに食べたほうがいいのは、本当ね」
「うん、絶対そう。食べよう。次は何を飲む?あ、日本酒はどう?地元のおすすめとかあれば教えてよ」
「お店には何がおいてあるのかしら」

カウンターの奥に日本酒のボトルが並んでいるのを、二人で眺めた。ずらりと並ぶ無数の銘酒たち。褐色の渋いボトルから緑のもの、白いもの、それから南太平洋の海の色のようなマリンブルーまで。たくさん並んでいた。

夏だし冷酒でいただこう、デザートの果物に大吟醸をあわせたいねなんて話した。いつまでこんなふうにしていられるのかなんてことを忘れて、二人で同じものを見て、同じものを味わっていた。
きっと今、同じことを思っている。
おいしいとか、楽しいとか、そんなこと。平凡で、ありふれた、そして貴重な喜び。

左側にわずかに顔を向けると、彼は由香の視線に気づいて少し顔を傾けて笑った。きれいな歯並びがわずかに口元から覗いて見えた。爽やかで、明るい、健康的な笑顔。まぶしかった。

それは結婚とか出産のリミットとかそんなことを忘れてしまうほど、それは満たされたひと時だった。