別れた恋人の寂しさを埋めるように新しい恋をすることは、自分は絶対にしないと由香は誓っていた。
自分の気持ちをごまかして、自分に嘘をついているみたいなのは、本当の恋ではないはずだから。
欠けた部分を埋めるみたいなものではなくて、望んで、手にしたくて、自分の想いでそうしたい。一緒にいたくて一緒にいる。結婚に限らず、本当はいつだってそういう素直な気持ちを形にしたい。もちろん社交辞令だとか、人付き合いだとかも社会では大事なのだけど。
「由香ちゃんは頑固というか、一途というか」
「まっすぐな人なんですよ、由香先生は」
綿貫さんと三城ちゃんは由香のことをそう言った。由香は褒められたと思っている。
大人の世界には優しさや思いやりを理由に嘘をついたりごまかしたりすることもありふれていたけど、恋をするときくらい、十代の頃と同じように自分の心に素直なままでありたい。
その土曜夜に由香の帰りを待っていた母親の反応も、翌週土曜日の三城ちゃんの反応も予想通りだった。
「おいしかったし、楽しかった。話しやすくていいひとで」
たったそれだけの言葉で母親は感激し、三城ちゃんは興奮していた。いったいどれほど周囲から心配されているのだろうと由香は思わずにいられない。
「いいなあ、私も見てみたかったなあ」
診療時間が終わって片付けをしながら綿貫さんが言った。
「素敵でしたよ!たぶん綿貫さん、好みだと思う。身長もそれなりにあって、健康的で男らしい感じで。あの、ほら、今やってる大河ドラマの主演の人みたいな」
「あら、いい男じゃないの。整形外科医って言ってたわよね。腰痛がひどくなったら診察してもらいたいわあ。」
二人のやりとりを聞き流しながら由香は静かに書類に目を通していた。
「先週の食事、楽しかったっていうくらいだし、進展するといいですよね!」
興奮したままの三城ちゃんに由香は、くるりと椅子ごと身体を回転させて、視線をデスクから彼女らのいる診察台のほうに向けて言った。
「進展もなにも、友達になっただけよ」
友達、という平凡な響きに二人はつまらなそうな顔をした。
「友達って、なんだか高校生みたいね。ほほえましいけど」
「いい歳した独身の男女が何を言ってるんですか」
二人の発言に由香は先ほどと変わらない調子で言った。
「友達になろうと言われて断る理由がなかったのよ。彼も一人暮らしで誰かと食事をしたいときがあるみたいだし、またご飯に行くくらい、いいかなって思ったから。お酒もいいペースで飲んでくれて、話もおもしろいし」
実際、そういうことだった。結婚だとか適齢期だとか、出産のリミットだとか、そんなことばかり考えてするお見合いは嫌だったけど、前田くんとまた食事に行って仕事のことや日々のことなんかを話すのは悪くないと思った。
彼は気持ちのいいひとだった。自分なんかよりもずっとコミュニケーション能力は高くて、性別や年齢を問わず好かれていそうだった。
だからそんな彼のなかで自分がすごく特別だとも思わなかった。それは彼を本当に好きな女の子にとっては不安になったり、寂しくなったりすることかもしれない。自分にとって一番の相手には、自分を一番にしてもらいたいと思うのが普通だと思うから。
でも前田くんのような人と、思ったことを自由に発言できて、そのままの自分でやおいしいものを一緒に楽しめる相手がいるのは、由香にとってもいい気分転換になる気がした。年齢も近く、大きなくくりで同じ職種の自分たちは、分かち合えることも多くて、対等で、思いのほか遠慮がいらないのが嬉しかった。地元だから同級生や子供のころからの友人はいても、そういう相手は意外と多くなかった。
「まあ、まずはお友達からでもいいですね。今度いつ会うんですか?来週?」
瞳を輝かせる三城ちゃんに、由香は時計の下に張られた大きなカレンダーを見て言った。
「来週は研修で東京よ」
東京、という響きに室内は一瞬だけ時間が止まったみたいに、二人とも静かになる。
博樹とは先月電話をしたっきりで、彼から連絡が来ることもなく、自分からすることもなかった。
同窓会と言ってもきちんとしたものではなくて気軽な飲み会だし。でもたぶん、博樹に会えると思う。会ってどうなるわけでもないだろうけど。五年ぶりの博樹。会えると思うと、その懐かしい顔を見れると思うと、嬉しくないはずがなかった。
「子供だけ欲しいの」
電話でそう話したとき、博樹は何を言っているんだいと動揺していた。そんなことをいきなり昔の恋人に言われたら、驚くに決まっている。困らせたいわけじゃない。
でも博樹は、きちんと向き合ってくれると思う。



