「もう終わってしまったわ」

「助かりましたぜ」

 トレイに整然と並ぶ薔薇の枝を見ると多少の満足感があるし、これから根づくのも楽しみだ。でも作業が簡単すぎて、これから1日どうやって過ごそうかとジルはため息を吐く。

「ジル様、先程おっしゃっていた事をお願いしてみては?」

「あ! そうだったわ。良く思い出してくれたわね」

 マルゴットに促され、ジルはモリッツへの頼み事を思い出した。

「ねぇ、モリッツ。私も何か植えてみてもいいかしら? 人質としてこの国に来た身なのに厚かましいのだけど」

「勿論構いませんよ」

「まぁ! 嬉しいわ。有難う!」

「植える物の種類は決まっているので?」

「決まってはいないわ。う~ん……。何がいいのかしら」

「ユックリ悩んだらいいですよ。必要な種が決まれば俺が取り寄せますからね」

「本当に有難う。考えてみるわね!」

――コンコンコン

 温室のドアをノックする音が響く。

「お、誰だ? ちょっと出てきますんで」

「ええ」

 使用人の誰かだろうかと様子を伺ってみると、役人の制服を着た男が立っていた。

「ここにジル様はいるか?」

「へぇ……いますが……」

 モリッツが顔を強張らせてジルの方を振り返る。

(もしかしたら、温室に通っている事を咎められるのかしら?)

「私に何か御用ですの?」

 楽しみを取り上げられるのだろうかと、不安になりながらもジルは役人に近付く。

「ええ、第1皇子ハイネ様が貴女をお呼びするようにと」

「ハイネ様が? 一体どうして……」

「そのままの服装でよろしいので、私に付いて来てください」

「はい……」

 口答え出来る様な立場でもないため、ジルは頷くしかない。
 というか、この国の最も高貴な血筋の者と会うというのに、作業用のドレスで行かなければならないという事に憂鬱になる。

「モリッツ、有難う。また来るわね」

「お待ちしてますよ」

 優しいモリッツに見送られながら庭園を後にし、ジルとマルゴットは、役人に馬車に乗るよう指示される。

(一体何の用なのかしら? 温室への出入りを禁ずるためだけにわざわざ皇子が呼びつけるとも思えないし)

 ジルは、帝国に人質として連れて来られた日のハイネの態度を思い出し、暗澹たる気分になる。

(私の脂肪を切り刻みがいが有りそうと言っていたわよね……。まさか実行する気なんじゃ!?)

「マルゴット、どうしよう。ハイネ様は私の腹を切るつもりかもしれないわ」

「ジル様の内臓が見られるのですね……」

「!? 怖い事言わないでちょうだい!」

 恍惚とした表情のマルゴットに恐れを抱く。

「申し訳ありません。もし良かったら、私の蔵書を腹に仕込んでくださいませ」

 どこに隠し持っていたのか、マルゴットは黒い表紙の本を差し出してきた。よく見ると骸骨のマークが印刷されている。

「これは一体……?」

「黒魔術の本ですわ。それを腹に仕込み、切らせる。相手は本の呪いで死ぬ。これでいきましょう」

「何を言っているの!? それじゃあ暗殺じゃない! 返すわ!」

「いい機会だから試してほしいのです!」

「そんな事出来るわけないじゃない!」

 本を返そうとするジルと、押し戻そうとするマルゴットの間で本はピョンと飛び跳ね、顔を青くする役人の膝の上に落ちてしまった。

「ヒイイイイイ!?」

 役人は叫び、本を窓の外に投げ捨ててしまった。

「ああ!? 私の宝物が!」

 馬車の外に飛び出ようとするマルゴットをジルは必死に止める。デブのジルにとって、針金の様なマルゴットを力づくで止めるのは容易だ。

「思いとどまってちょうだい! 後で拾いに行きましょう!」

 2人の攻防を見ていたからなのか、役人は「ハーターシュタインの女は恐ろしい」等と呟いている。これから会うハイネにある事ない事吹き込まれてしまいそうだ。