指先が痙攣し始めたのはいつからだったのだろうか。簡単なテストを書かされた時から、永遠と考え続けている。
つよいものばかりが出揃うコンテストは嫌いだった。
いつも皿の上にきれいに並べられて、一点の曇りもなく、ただひたすら正確で、自分らしく在らなければならなかった。少しでも違うと思えば弾き飛ばされる。
いくつもの才能が壊されていく瞬間を見ていた。
どうしてスタンダードな才能から外れてしまっただけで、這いあがれなくなってしまうのか、いつもよくわからなかった。
いつ転落してしまうのか、恐ろしくもあった。
賞を取り続けることを辞めたいと言ったとき、父と母は、どんな顔をしていただろうか。同じ国に住んではいても、決して同じ場所にはいられない人たちだった。私はピアノだけに打ち込むために、師事する先生の家に下宿していたし、すでに違う世界の人たちのようにさえ思えた。
日本で生計を立てたいと言ったときは、送り出して手を振っていた。私と一緒にいることはなかった。これから先もない。歪になってしまったのは、私の努力が足りなかったからだろう。
結局、成人も迎えないまま、私は日本に来て、コンサートを開くようになった。
幸い、幼いころからのキャリアで、集客に困ることはなかっただろうと思う。けれど、はじめて一年程度で指の調子をおかしくしてしまった。


