それから、どれくらい経っただろうか。
ぎし、と鈍く響いた音を合図に、するりと、何かが頬を撫でた。
「……戸山」
瞬間、鼓膜に響いた、それ。
「っ、」
違う。
そう思うのと同時にまぶたが上がった。
「…………と、やま?」
相も変わらず、視界は白いし、首は動かせない。それでも目を開けてしまったのは、かけられた声が思っていた人物のものではないと気付いたことと、それが全く知らない声ではなかったからだろう。
何かが、なんて言っていたけど、頬を撫でたのは元彼だと思っていた。母がまだ帰還していないことを考えれば、消去法でそうなる。しかしその【父の声ではない=元彼だろう】という大前提が違っていたら?
なんてことを考えている間に、視界が陰る。はっとして意識をそこへ向ければ、こちらを覗き込む男の顔。
「…………卒業式、以来……だな、」
それが、知らない顔だったなら、どれほど良かっただろうか。
記憶の中にあるものよりも、少しだけ低くなった声に丸みの取れた頬のライン。申し訳程度に生えた顎先の髭。
「……目ぇ、覚めて、良かった」
何故、この男が。
「美味しかったわぁ~、ありがとうね、来栖くん」
そう思った瞬間、六年前のあの日に別れた男の名字を呼ぶ母が帰還した。