「よろしくお願いしまーす」

「グレダの酒場ですー」

 晴れた日の夕暮れ。帰路につこうとする人々を呼び止め、フィアナとマルスは噴水広場でビラ配りを行っていた。

「そうなんです! このチラシを持っていくと、エールが一杯無料でして!」

「おすすめ料理は田舎風煮込みです。めちゃくちゃうまいですよ」

「えっと、大通りの角を曲がって一本入ったところにあって! いえいえ! 馬車も通れる道ですし、わかりにくくなんかないですよ!」

「スパイスは……使ってないです。けど、味は保証します。すぐ近くですし、ぜひ!」

 ふたりでチラシを配るようになってから、数日がたっていた。

 本日のノルマが半分ほどはけて、ふたりは小休憩をはさむことにする。ちょっと近くの店を見てくると小走りでかけて行ったフィアナとは別に、マルスは噴水のふちに座ってなんとなしにチラシに目を通していた。

 特別キャンペーン、エール一杯無料! チラシの中央には大きくそんな謳い文句が書かれ、下には簡単な地図が載っている。

 若者二人が一生懸命配っているためだろう。思ったよりもたくさんのひとが、チラシを受け取ってくれている。けれども、実際にお店に来てくれる人はほんの一握りだ。

(……もう少し、内容を練った方がいいんかな)

 うーんと唸りつつ、マルスはチラシを睨む。だが、ただでさえ売上が悪いのだ。経費はそんなにかけられない。それにエール一杯無料!以上に、酒飲みに魅力的なものがあるんだろうか。

 そんな風に頭を悩ませていると、彼の額に何かがこつんと当たった。

「お待たせ! オレンジとリンゴ、どっちがいい?」

 顔を上げると、アルミ製のコップを手にフィアナがこちらを覗き込んでいた。その肩越しに、フルーツを絞って提供するスタイルのジューススタンドが見える。

「オレンジ」

「やっぱり」

 ひょいとグラスを渡すと、フィアナはマルスの隣に並んで座った。

 搾りたての爽やかな香りが、ふわりとグラスから立ち上る。ごくりとのどを鳴らしてジュースに口をつけると、マルスはほっと息を吐いた。

「悪いな、買わせにいかせちまって。いくらだった?」

「いいの、いいの! ちょっとしたお礼と言うか、手伝ってもらっている身なんだし!」

 小銭入れを取り出すと、フィアナはぶんぶんと首を振る。この様子だと、梃子でも受け取るつもりはないらしい。仕方ないなと笑って、マルスは小銭入れをしまった。

「そんなに気にしなくていいのに。困ったときはお互い様、だろ?」

「そうはいかないよ。うちの店の問題に、付き合ってもらっているんだもん。ていうかチラシのこと! アイディアをくれただけでもありがたいのに一緒に配ってまでもらっちゃって、ほんと至れり尽くせりって感じだよ」

「いや、まあ。親父の店でも、しょっちゅうこんなことやっているし」

 春のパンフェスタとか、秋のパンフェスタとか。

 手放しでほめられると、かえってこそばゆい。だからこそマルスは視線を泳がせたのだが、フィアナはなおも屈託なく微笑んだ。

「マルスには、小さいときから助けてもらってばかりだね」

 嬉しそうに言われて、マルスは一瞬息を呑んだ。彼は所在無さげに首の後ろに手をやると、ぼそぼそと答えた。

「……別に。俺が好きでやっているだけだし」

「そういうところ。ほんと、昔から変わらないね。いつもありがとね、マルス」

 無邪気に返され、マルスは上を見上げた。

 細かい噴水のしぶきが風に吹かれて空を舞い、茜色の空を映してきらきらと輝く。小さい頃から近所の子供たちと噴水広場に集い、遊んでいたマルスには、見慣れた光景だ。

(変わらない、か)

 どうなんだろう、と考えながら、マルスは水しぶきを目で追う。

 フィアナとは昔から気が合った。ふたりとも親が店をやっていて、小さい頃から店番やら皿洗いやら家の手伝いをさせられて。そのせいか、大きくなるにつれて次第に男は男、女は女と固まるようになるなか、フィアナとはそのまま付き合いが続いていた。

 フィアナはマルスのことを、みんなの兄貴分だと言ってくれる。みんなが困っているときにすぐ駆けつけ、助けてくれるヒーローだと。

 だがマルスに言わせれば、フィアナこそお人好しだ。泣いてる子供がいれば放っておけず。お腹を空かせた子猫がいれば置いて帰れず。いかんせんマルスのほうがひとつ年上な分、要領よく助けてしまうが、最初に手を伸ばそうとするのはいつだってフィアナだった。

(ついに、あんな奴まで拾ってきちまうしさ)

 フィアナさーんと、大型犬よろしく見えないしっぽを振ってカウンターに座る怪しい男のことを思い出し、マルスは途端に頭が痛くなる。

 しかし。

(あいつと話しているときのフィアナ、いい顔をしているんだよな)

 きゅっと、グラスを握る手に自然と力がこもった。

 困っているなら。あの男が、フィアナを困らせているのなら。守ってやらなくてはと思っていた。小さい頃からずっと、マルスはそうやってフィアナを助けてきたのだから。

 けれども、そうじゃない。口から先に生まれてきたのかと疑いたくなるほどテンポよくボケ口説き続けるエリアスと、面倒くさそうな顔をしつつ構ってやっているフィアナ。そこに温度の差はあれど、互いに楽しんでいる空気がある。

 そこには、マルスの知らないフィアナがいた。

「あの、さ」

「ん??」

 潤したばかりだというのに、のどがカラカラに乾く。枯れてしまいそうな声をどうにか絞り出して、無邪気にこちらを見つめる幼馴染に、マルスは問うた。

「前にも同じようなこと聞いたと思うんだけど……。お前、ほんとにあのひとのこと、なんとも思っていないんだよな?」

 ざあっと強い風が吹いた。

 冷たいしぶきが、びしばしと頬を叩く。目に入りそうになった滴をぬぐって、あらためてマルスが横をみたとき、フィアナの顔は真っ赤に染まっていた。

(…………あ)

「なっ、何言い出すかと思ったら、そんなこと? 当たり前でしょ!? 宰相様と一介の町娘なんて、住む世界がぜんぜん違うんだから!」

 フィアナは早口にまくしたてるが、その言葉のひとつとして、耳に入ってこなかった。かわりにマルスの頭を占めるのは、強い感情だった。

 いやだ。あいつに奪われたくない。取られたくない。フィアナは俺の。
 俺の――――。

「マルス??」

 ふいに手を重ねられ、困惑したフィアナが幼馴染の名を呼んだときだった。

 シュタッと、何者かが噴水広場に飛び込んでくる。そのものはフィアナたちを見つけると、大きく手を振りながらタタタタと駆けてきた。

「フィ、ア、ナ、さーん!!!!」

「エリアスさん!?!?!?」

 驚きあきれた様子で、フィアナはぱっと立ち上がってしまう。当然、重ねていた手はほどかれてしまう。きまり悪そうにマルスは頭をかくと、仕方なく立ち上がった。

 そんなことをしている間に、エリアスは二人の前に駆け寄り、ぜえはあと息を荒くしながら膝に手をついていた。

「ちょ、ちょっと、何しているんですか?」

「ここに、いると、お店で、伺い、まして。年甲斐もなく、走って、きて、死にそう、です」

「そうじゃなくて! いつもだったら、まだお城にいる時間ですよね。どうしてこんなところに、走ってきたりなんか」

「お休みをもらってきました!」

 ばっと顔を上げたエリアスの顔は、真剣だった。突然の宣言に固まるフィアナに、彼は尚も続けた。

「10日間、お隣の国に行っていた期間やその前にとれるはずだったお休みをかき集めて、連休をもぎ取ってきました。ですので、10日間は私がどこで何をしようが自由です!」

「で、でも……そんな」

「お手伝いをさせてください」

 その言葉を予想していたのだろう。泣きそうな顔をするフィアナに、エリアスは困ったように眉を下げた。

「そんな顔をしないでください。これは貴女のためというより、私自身のワガママです」

「エリアスさんの?」

「はい」

 まっすぐに頷いて、エリアスがその場に跪く。そして、小さなフィアナの手をそっと包んで、優しく微笑んでこう言った。

「私も、私の心のオアシスを守る手助けがしたいんです。どうか、許してくれませんか?」

 フィアナが、きゅっと唇を引き結んだ。それが、彼女が泣きそうなほど嬉しいとき、涙を堪えようとする癖だということを、マルスはよく知っている。

「よろしく、お願いしますっ」

 泣き笑いのような表情で答えた幼馴染を、マルスは複雑な心境で見守ったのであった。