「フィアナさん、来月お誕生日ですね」

 ある夜。風邪もすっかり治って元気になったエリアスは、にこにことそんなことを言った。

 おそらくニースかキュリオに聞いたのだろう。いつものことながら、抜け目のないリサーチ力である。そのように感心しつつ、特に誤魔化す理由もないのでフィアナは頷いた。

「確かにそうですね。もうそんな季節になりますか」

「私、その日はお休みにしてあるんです。フィアナさんの一日、いただいてもいいですか?」

「随分気の早い話をしていますね?」

 フィアナが苦笑をすると、エリアスは「何を言いますか!」と大真面目な顔をした。

「一か月などあっという間です。特に、愛しい貴女の誕生日に向けて仕込みをするのに、いくら時間があっても足りすぎるということはありません。貴女をその日、この国で一番、いえ、世界で一番幸せな女性にするのが私の目標ですから!」

「壮大です。壮大すぎます、エリアスさん」

「ちなみにご覧ください。私のネタ帳は、この通りメモで真っ黒です」

「待ってください。なんのためのネタ帳ですか。やっぱいいです、知りたくない!」

 真っ赤になって目を背けるフィアナをよそに、エリアスは嬉しそうにメモをぱらぱらとめくる。それから、胸ポケットからおもむろにペンを取り出すと、きりっと表情を引き締めてフィアナを見上げた。

「ちなみに、何か要望・希望があればなんなりと言ってくださいね? メモに加えますので」

「結構です!」

 相変わらずすぎるエリアスに、フィアナはそのようにきっぱりお断りを入れたのだった。





(もう、そんな時期になるんだな)

 翌日。両親に頼まれてお遣いに出たフィアナは、ひとりでぽてぽてと街を歩きながら、あらためてしみじみと考えた。

 言われてみれば、いつの間にか日差しは強くなり、日によっては長袖を着ていると暑く感じる。花壇の花などを見ていても、だんだんと夏を予感させる花がちらほらと見えるようになってきた。

 ついこないだ、冬が終わったと思ったのに。そう考えてから、フィアナはひとり苦笑をする。

 なにせ、この数か月の間に色々とありすぎた。冬の終わりに店の真ん前でエリアスを拾ってからというもの、いきなり告白されたり、スパイス騒動があったり、王城に急に連れていかれたり、あれこれあってエリアスと付き合ったりと、それはもう濃ゆい日々が続いた。

 数か月前の自分に、エリアスと恋人になることを言っても信じないだろう。そんな風に、くすりと笑いながらフィアナは店へと続く角を曲がる。

 そこで、ふと足を止めた。

(お客さん……?)

 そのように首を傾げつつ、フィアナは躊躇した。見るからに柄の悪そうな男が数名、グレダの酒場の窓を覗いていたからだ。

 フィアナはあまり足を運ばないが、王都の一角にはスラムと呼ばれる場所がある。そこには荒くれ者も多いと聞くが、男たちの風貌は、そうしたエリアに暮らしている者たちのソレに見えた。

「あ、あの!」

 少し迷ってから、フィアナは男たちに声を掛けた。いくら恐い見た目をしていようが、お客はお客だ。お店に入ろうとして中を覗いているのならば、きちんとご案内しなければならない。店の従業員のひとりとして、そう判断したのだ。

「すみませんが、ランチタイムは終わってしまったんです。次は夕方からの営業になりまして、それまではお店を閉めているんです。すみません」

 野菜などが入った袋を抱えたままフィアナはぺこりと頭を下げる。だが、次に顔をあげたとき、フィアナはひやりと背筋が凍える心地がした。

 男たちのいくつもの鋭い眼が、遠慮なくじろじろとフィアナを眺めている。なんと例えればいいだろう。まるで狼が獲物を値踏みするような……そんな不躾な視線に、フィアナは思わず一歩後退る。

 誰か、呼ばなくちゃ。本能的に思ったその時、男たちの背後でばたんと強く扉が開いた。

「どうも、店の主人です。うちに何か?」

 エプロンを付けたまま顔を出したベクターが、じろりと男たちを見る。ちなみに、人当たりがよく朗らかな性格をした父であるが、見た目だけはニースに負けない大男であり、目つきを厳しくするとそこそこ迫力がある。

 だからなのか、男たちは目配せをしあったのち、リーダー格らしき男が足を踏み出したのを皮切りにぞろぞろと通りへと去っていく。最後の一人が曲がり角の向こうに消えたところで、ニースがフィアナのもとへと駆け寄った。

「大丈夫かい、フィアナ。恐かったよな。あいつらに何か言われたい?」

「ううん、何も……。お父さん、さっきの人たちは?」

「わからない。ちょっと前から、お店をずっと覗いていたんだよ。母さんが気づいて、気味が悪いし警備隊のひとを呼んでこようかなんて話をしていたんだけど……。ごめんな。フィアナが戻ってくるまえに、追っ払っちゃえばよかったね」

「大丈夫。私も、見られただけだから」

 そのように首を振りつつ、フィアナはぶるりと身震いして肩を抱いた。あの目。喜色と悪意の入り混じった、捕食者のような視線。あの目で見られたとき、まるで「お前が獲物だ」と言われたような気がして、ひどく恐ろしかった。

 娘が顔を青ざめさせたのを見て、何かしらの勘が働いたのかもしれない。ベクターはそっとフィアナの肩を押して、店の中へと促した。

「おいで。中に入ろう。今日はもう、フィアナはお店に出なくていいよ。上に行って、休んでいなさい。いいね」

 優しくも有無を言わさぬ言葉に、フィアナは黙って頷く。中に入ったフィアナをカーラが抱きしめるのを見ながら、ベクターは扉を閉める。

 ――彼らはまた、店に来るかもしれない。

 この時、ベクターは人知れず、そんなことを思ったのだった。