「よーっす、子猫ちゃん」

 とある昼下がり。そのように、再びシャルツ王はグレダの酒場に姿を見せた。まるで、近所のお兄さんがふらっと訪れたような気軽さでひらひらと手を振る一国の王に、フィアナはもはや驚きすらしなかった。

「…………いらっしゃいませ?」

「はいよ。オムライスひとつ」

 にしっと笑って、シャルツは当たり前のように注文をする。その嬉しそうな顔に、フィアナは嘆息をした。

「すみません。ランチのオムライスは日替わりでして。今日はないんですよ」

「えー、そんな! 俺、楽しみにしていたのに。なんで日替わりなのさ。毎日やった方がいいよ。売れるって絶対」

「そう言われましても」

「い、いいよ、フィアナ。作るよ。材料ならあるからさ」

 厨房の中から、おろおろとベクターが宥める。フィアナから聞いて、この『警備隊所属の気さくなあんちゃん』を装った男の正体が、この国の王だと知っているのだ。

「ほんとか? やりぃ! 悪いな親父さん、ありがとよ」

 厨房の中にウィンクを飛ばしつつ、シャルツはカウンターに座る。ちなみに、この日以降、グレダの酒場の常設ランチメニューにオムライスが加わったというのは、完全なる余談だろう。

 さて、前回と同じくカウンターの左端に座ったシャルツに、フィアナは出来上がったオムライスを運んでやる。嬉しそうに、ふわふわ卵にさっそくスプーンをいれるシャルツに、フィアナは腕を組んで尋ねた。

「それで、今日は何かあったんですか?」

「飯を食いに来たんだよ。近くに用があったからさ」

 平然と答えつつ、ぱくぱくとシャルツはオムライスを食べすすめる。閉口して、フィアナは彼を睨む。その「近くの用」のほうを、詳しく知りたいのだ。

 そんなフィアナの様子に気づいたのか、こんもりとスプーンにオムライスをよそった姿で、シャルツはけらけら笑った。

「そんなに身構えないでよ。今日はいきなり城に連れてったりしないからさ。まあでも、このあと付き合ってもらいたいのは同じかな」

「今度はどこに行くんです?」

「ん。エリアスの家」

 思いもかけなかった場所に、フィアナはきょとんと目を丸くする。けれども、本当に驚くべきはそのあとだった。

「あいつ、今朝、熱出したんだ。体調不良で休むなんてよっぽどだし、一応上司として、どうしているか様子を見に行ってやろうと思ってさ」

「ええ!?」

 フィアナは仰天し、続いて手の平で額を覆った。

 ピクニックから帰ったあと。やはり最初に冷えてしまったのがよくなかったのだろう。エリアスは風邪をひいてしまっていた。とはいえ、念のため店に来る頻度も下げていたが、症状はごくごく軽いもの。エリアス自身も雨に降られたことをネタにしつつ、苦笑していたぐらいだったのだが。

「昨日ちょっとトラブルが起きちゃってさ。そのせいで昨日は遅くまで粘っていたんだよ。おかげでトラブルはなんとかなったんだけど、体のほうがダウンしたんだな」

「……無理しちゃだめですよって言ったのに」

 溜息をついて、フィアナは肩を落とした。そうは言っても、エリアスが対応しなければならないレベルのトラブルなら致し方ない。フィアナの前ではデレデレの大型ワンコなエリアスだが、表の顔はこの国に欠かせない大切な宰相様なのだから。

 そういうわけで、ランチがひと段落したところで、フィアナはシャルツに連れられてエリアスのお見舞いへと繰り出した。





 エリアスの屋敷は、グレダの酒場からそう離れていなかった。今回は馬車に揺られて向かったので正確にはわからないが、おそらく歩いたとしても30分ほど。お金持ちは郊外に大きなお屋敷を持っているイメージがあったので、少々意外だった。

「ここは、いわば仮住まいだからさ」

 フィアナが疑問を口にすると、シャルツはそのように教えてくれた。

「この屋敷は前の王――つまり父上がルーヴェルト家に貸し与えたものなんだ。ルーヴェルト家の本筋は東部のローウェルにあるんだけど、サンルースからはちと遠いだろ。それで、父上があいつの両親を呼び寄せたときに、屋敷も与えたんだ」

「ご両親をですか?」

 エリアスの母はシャルツ王の乳母を務めた婦人だ。けれども両親揃ってということは、エリアスの父も頻繁に登城が求められるような職についていたのだろうか。

「そっか。フィアナちゃんは子供だったから知らないか。あいつの親父さんは、前の宰相だよ」

「そうなんですか!」

 全然知らなかった。

「その両親も、今はローウェルの屋敷に戻って、二人でしょっちゅう旅行に出ているそうだ。せっかく自由になったし、第二の人生を謳歌しているんだろうな。そんなわけで、今ここに住んでいるのはあいつだけだよ」

「……それは、少し寂しいですね」

 屋敷を見上げて、フィアナは呟く。おそらくエリアスの屋敷は、ほかのお屋敷の中ではそんなに大きなほうではない。けれども、一人で住むには大きすぎる。

 そう思ったのだが、シャルツは首を傾げた。

「どうかな。あいつは慣れているんじゃないかな。ここに一人でいるのは、昔からだし」

「え?」

「さ。行こ、行こ。入口はこっちだよ」

 玄関扉を指さして、シャルツが歩き出す。それを追いかけながら、今しがた彼が話した言葉の意味を、フィアナは考えたのだった。