からんと鐘が鳴り、店の扉が開く。

「あ、いらっしゃ……」

「っ、…………」

 音につられて振り返ったフィアナと、入り口にたつエリアスの視線が交差する。フィアナはぎゅっとお盆を胸に抱いて目を逸らし、エリアスもわずかに視線を泳がせて頬を指でかく。ややあって、二人は同時にぽそぽそと呟いた。

「その、こんばんは」

「はい。こんばんは、です」

「だぁ~~っ! むず痒い! むず痒すぎる!!」

 もじもじとした空気に耐え切れなくなったキュリオが、頭を抱えて立ち上がる。彼はずんずんとエリアスのもとに歩いてその手を掴むと、強引に引っ張ってフィアナの前に立たせる。そして慌てる二人をよそに、ちょうど常連だらけだった店内に響くように、ぱんぱんと大きく手を叩いた。

「はいはーい、注目! この度エリアスちゃんが、私たちのフィアナちゃんの心をめでたく射止めましたぁ。はーい、みんな拍手!!」

「うぉぉぉお、マジか!?!?!」

 ガタンと椅子を揺らし、ニースが立ち上がる。その横で、予めフィアナから聞いていたマルスがやれやれと肩を竦める。

 ふたりを皮切りに、ほかの常連たちも次々に沸き立った。

「ついにやったな、お偉いさん!!」

「フィアナちゃーん! おじさん、寂しいぞ!」

「ベクター! いいのか? 大事な娘が取られちまったぞ!」

「ちょ、ちょっと、キュリオさん!?」

 やいやいと盛り上がるなか、フィアナは顔を真っ赤にしてキュリオに抗議する。けれどもキュリオは任せなさいと言わんばかりにウィンクをすると、エリアスの肩に手を置いて煽るようににやりと笑った。

「で~? エリアスちゃん? みんなのアイドルを独り占めするんだもの。何かけじめがあってもいいんじゃなーい??」

「……それもそうですね」

 真顔で頷くエリアスに、フィアナはぎょっとして肩を震わせる。そんな彼女の両肩に手を置いて、うろたえるフィアナをエリアスはまっすぐに見つめた。

「フィアナさん」

「ひゃ、ひゃいっ!?」

 真剣なエリアスの表情に、どきどきと心臓が高鳴る。恥ずかしくて堪らないのに、不思議とエリアスの手を振り払うことは出来ない。

 おお!とどよめきがあがり、皆が固唾を呑んで見守る。ボルテージが頂点に達したところで、エリアスはがばりとフィアナを抱きしめた。

「世界で一番、幸せにします!」

「チューじゃないんかい!」

 キュリオの突っ込みがさく裂し、ドッと笑いが起きる。続いてグレダの酒場に、大きな拍手が響いた。

 皆に冷やかされたり小突かれたりしながら、エリアスとフィアナは顔を見合わせる。そして、どちらともなく、少年少女のような無邪気さで声をあげて笑ったのだった。





〝お嬢さんと、お付き合いさせてください〟

 王宮でエッグハントが開かれた夜。パーティを抜け出した足で、エリアスはフィアナを送りがてらグレダの酒場へ向かった。そして、ちょうど店じまいをしていた両親を捕まえ、交際の報告をした。大人としても客としても、そこはけじめをつけておきたいと、エリアスが譲らなかったためである。

 落ち着いた声音で、頭を下げるエリアス。それを受けて、両親は顔を見合わせた。

 エリアスの横で、フィアナは緊張して答えを待った。

 エリアスがフィアナに好意を寄せていることは、当然二人も知っている。けれども、常連の一人として店に通うのを受け入れるのと、交際を認めるのとではわけが違う。

 フィアナ本人ですら、宰相であるエリアスと一線を越えるのは躊躇したのだ。親ともなれば、娘の身を案じるのは当たり前。強く反対されてもおかしくはない。

 さりとて、フィアナも生半可な覚悟でエリアスの手を取ったわけではない。二人に猛反対されたとしても、真摯に丁寧に、自分たちの覚悟を伝えていくしかないのだ――。

 そのように、フィアナは身構えていたのだが。

〝いいも何も、ねえ?〟

〝うん。フィアナがいいなら、いいんじゃないかな〟

〝いいの!?〟

 びっくりしてフィアナは身を乗り出す。すると両親は、揃ってそっくりに笑った。

〝そりゃあ、何にも心配がないかって言ったら、嘘になっちゃうけど〟

〝二人が真剣に考えて選んだ道なら、私たちも応援するわ〟

 頑張りなさい、と。二人は背中を押してくれた。

 だからフィアナとエリアスは、親すら公認の超ド級公式カップルであるっ!

「……なにがどうして、こうなったんでしたっけ」

 夜風にあたって頭が冷えたフィアナは、そのように腕を組んだ。その隣を歩くエリアスは、いつもの通りほわほわと笑いながら首を傾げる。

「何って、何がですか?」

「だから、私たちの関係ですよ! 急展開すぎじゃないですか? 私、ちょっと前まで『この人のことを好きになるとかありえない』とか思ってたんですよ? 何ちゃっかり、親まで公認のド公認カップルに昇格しちゃっているんですか?」

「それはもう……数多の困難を乗り越え、残酷にも二人を引き裂こうとする魔の手に抗い、そうやって惹かれあう二つの魂が互いを熱く、深く、狂おしく求めあった結果……ですよ?」

「エピソード捏造するのやめてくれません? 欠片も記憶にないんですが」

 恥じらうように頬に手を添えて語るエリアスに、フィアナは真顔で答える。確かに立場という障壁に戸惑ったり、エリアスがあわや媚薬を盛られかけたりとかちょっとした事件はあったが、エリアスが言うレベルのドラマチックな何かは起こっていない。はず。たぶん。

(本当、なんでこんな人を好きになっちゃったんだか……)

 そうですよー、絶対そうですよーと駄々を捏ねるエリアスの隣で、ぽてぽてと歩きながらフィアナは首をひねる。

 さて、二人は今、夜の街を歩いている。エリアスの迎えの馬車がまだ来ていなかったので、彼の酔い覚ましもかねて、店の周囲を軽く散歩をして待っているのだ。

 そう、酔い覚ましである。この男、今夜はいつになく酔いが回っている。

「は~ぁ。ふわっふわして、すっごく気持ちいです~っ。ふぃーあなさーんっ」

「あのですね! それ木! 木に抱き着いてどうするんですか、この酔っ払い!」

「えー?」

 街路樹にしがみついたまま唇を尖らせるエリアスに、フィアナは頭痛を感じてこめかみを押さえた。まったくこの人は。仮に、エリアスを宰相と知る人物がこの場を通りかかったら、普段の姿との乖離の激しさに驚きで卒倒してしまうだろうに。

 と、そのようにフィアナが呆れていると、ふいにエリアスが動いた。彼は軽やかに木から離れると、その勢いのまま長い手を広げてフィアナにとびかかった

「では、本物のフィアナさんにダーイブ、ですっ」

「あ、ちょっと!」

 ぎゅうと抱きしめられ、フィアナはむっと言葉を飲み込んだ。

 酔いが回っているためか、エリアスの体温は心なしかいつもよりほんの少し高い。その熱を、心地よいと思ってしまうほどには、彼に絆されてしまっている。

(仕方ないなあ、もう)

 言い訳のように嘆息をして、フィアナはそろそろと両手を上げる。そうやって控えめに彼の背中に手を回すと、エリアスがぴくりと動く。甘える大型犬のようにフィアナの髪に顔を埋め、すりすりとすり寄りながら彼は言った。

「フィアナさん。好きです。だーい好きです」

「はいはい。わかりました」

「本当です。だいだい大好きです。とっても幸せです」

「わかった。わかりましたから」

 ぽんぽんと背中を撫でると、嬉しいのか、フィアナを抱きしめるエリアスの腕が強まる。だが、ふいに彼は身を起こすと、至近距離から甘く顔を覗き込んだ。

「フィアナさんは、言ってくれないんですか?」

「ふぇ!?」

 突然のおねだりに、フィアナの声は裏返る。だが、フィアナがどれだけ慌てようが、エリアスのおねだりは止まらない。甘えるように小首をかしげ、瞳に期待の光を輝かせてその『一言』を待つ。

「~~~~っ」

 赤面しつつ、フィアナはうっと息を呑んだ。

 ……なんでとか、どうしてとか。色々と、言ってやりたいことはある。

 けれども、胸を占めるこの気持ちに蓋をすることは出来ない。惚れてしまったが最後、自分の負けなのである。

 直視するのは恥ずかしくて、ほんの少し視線を逸らす。けれども意を決したようにフィアナはエリアスを見上げると、顔を真っ赤にしてなんとかこれだけ告げた。

「好きですよ、エリアスさん。大好きです」

 エリアスの切れ長の目が、ゆっくりと瞬きをする。次の瞬間、端麗な顔いっぱいに幸せを乗せ、彼は蕩けるように笑み崩れた。

「私もです。私の方が、いっぱいいっぱい、フィアナさんをだーい好きです!」

「エリアスさん、離して! 目が、目が回りますから!」

 フィアナを抱きしめたままくるくる回りだしたエリアスに、フィアナは悲鳴を上げる。

 何はともあれ宰相と町娘という凸凹カップルの交際は、このように順調に滑り出していたのであった。