着飾った大勢のゲストたちが、酒や軽食を楽しみながら、思い思いに寛ぐガーデン。それを一堂に見渡せるバルコニーの窓が、ばたんと開かれた。

「いい夜だな、皆の衆!」

 欄干に足をかけて皆を見下ろし、悠然と〝ルッツ〟が声を張る。その堂々とした様は、気さくな兄貴分というよりも、いっそのこと覇者の風格が漂っている。

 そんな彼に、人々は歓声を上げた。

「陛下!」

「シャルツ陛下!」

「お待ちしておりました、陛下!」

「ああ。待たせたな。紳士淑女の諸君?」

 余裕たっぷりに微笑んだ〝ルッツ〟に、再び人々が沸く。……そんな光景を、数歩引いた室内から眺めていたフィアナは、「えっ」と素っ頓狂な声を上げた。

「え、いま、ルッツさん陛下って呼ばれて? そんな、まさか、え……?」

 聞き間違いかと思ってキュリオを見れば、彼は黙ったまま首を振る。なんとも言えない彼の表情に、初めは笑っていたフィアナもだんだんと青ざめ、信じられないものを見る目で改めて〝ルッツ〟を見た。

 ちょうど、ちらりと後ろに視線をやった〝ルッツ〟とフィアナの視線が交錯する。フィアナの顔が驚愕に染まっていることを確認すると、彼はいたずらが成功した子供のように、不敵に笑ってウィンクをした。

(な、な、にゃああああああああああ!?!?!?)

 ――そのように、フィアナが信じがたい衝撃に内心悲鳴を上げていたのと同じとき。

 王の登場に沸く人々の中に混じるエリアスは、周囲とは異なり、ぼんやりとやる気なくバルコニーを見上げていた。

(やっと出てきたと思ったら、相変わらずあの人はお祭り男ですね……)

 称賛半分、呆れ半分に、エリアスはシャルツを見上げた。バルコニーから臣下に呼びかけるシャルツは実に楽しそうで、とっくの昔にこの場に疲れてげんなりしているエリアスとは、雲泥の差である。

 エリアスとてシャルツの乳兄弟として育ち、今は宰相として国に仕える身だ。好きか嫌いかは別として、こうした場をそつなく無難に過ごすすべは身に着けている。

 身に着けては、いるのだが。

「エリアスさま。このワイン、すっごく美味しいですよっ」

「…………」

 表情に出てしまいそうになるのをなんとか堪えて、エリアスは己の左腕を、具体的には左腕に腕を絡めてさりげなく胸を押し付けるご令嬢を、げっそりと見下ろした。

 アリス・クウィニー。清純な見かけによらず問題の絶えないご令嬢であり、ここ最近エリアスに猛烈にアピールをする強者である。

 以前からエリアスは、女性たちから度々アプローチを受けてきた。しかし、『氷の宰相』という異名や、美しくもどこか近寄りがたい雰囲気のせいか、どちらかというと遠巻きに愛でられてきた。言うなれば、彼は孤高の貴公子として令嬢たちに共有され、鑑賞されてきたのである。

 そんな中、アリス・クウィニーだけは違った。これまでも有力者の子息を落としてきた自負なのか、単に自信があるのか、アリスは積極的にエリアスに絡んできた。

 それはそうだ。彼女からしてみたら、エリアスの『ブランド力』はトップ中のトップ。王を除けばこの国の頂点に君臨する男であり、なおかつ並外れた美貌の持ち主だ。彼女のように、男のステータスに目がない女にとっては、なんとしても自分に侍らせたい逸材だろう。

 そんなアリス嬢、今夜は特に気合が入っている。

 一見清楚に見える白いドレスの胸元は大きく開き、形のよい胸をこれでもかと見せつけ、あまつさえエリアスに押し付けている。そんなあざとさ全開な密着に加え、時折顔を赤らめて恥じらってみせたり、庇護欲を誘う潤んだ瞳で見つめながらはにかんだりしてみせる。

 彼女をよく知らない――いや、仮に知っている者だとしても、その恥じらいと積極性の入り混じるアンバランスな色気に、クラクラとノックダウンされていただろう。

 ――ただひとり、エリアスを除いて。

(出てくるのが遅いんですよ、シャルツ。ゲームだか余興だか知りませんが、さっさと始めてくれれば、私も適当にお暇出来るというのに)

 傍らの熱烈アピールや、壇上で楽しそうに語り掛ける親友()の言葉もなんのその、彼はいち早くこの場を抜け出す算段しか建てていなかった。

(今、何時でしょうか。いや、仮にも王が話している最中に、懐中時計を確認するのは不敬ですね。しかし、今抜け出せばまだ、グレダの酒場の閉店に間に合うんじゃないでしょうか。最悪、フィアナさんに一目お会いするだけでも……)

「エリアスさま、エリアスさまっ」

「……はい。いかがしましたか?」

 笑顔だけはなんとか作り、エリアスは気もそぞろに答える。こういう時、氷の宰相という異名は便利だ。形だけでも微笑んでおけば、勝手に「レアな表情を見れた!」と喜んでもらえる。

 案の定、嬉しそうに目を輝かせた彼女は、甘えるように擦り寄りながら囁いた。

「ゲーム、始まるみたいです。そのまえにこれ、飲みきってしまいません?」

 澄んだ音と共に、アリスが軽やかに己のグラスをエリアスのものに当てる。ね?と目で訴えかけるアリスに、エリアスはわずかに疑問を抱いて眉根を寄せた。

 アリスがさっきから、やたらと酒を勧めてくる気がする。

 これまでも彼女は、「飲みすぎちゃいましたぁ」としなだれかかったり――丁重に、医務官のもとへお連れした――「もう飲めません……。エリアスさま、飲んでくださいませんか?」と強請ったり――いくら飲んでも素面を貫き彼女をしらけさせた――、酒の力を借りてアプローチしてくることはあったが、尽く失敗して痛い目を見ている。

 それなのに、どうして今夜もまた、酒なのだろうか。

(まさかコレ、変なもの入ってませんよね?)

 エリアスは鋭かった。だが、同時に警戒心も低かった。

(……ま、さすがに考えすぎですね)

 余談だが、このときエリアスは、過去にアリスが別の人間に媚薬を持った前科持ちだということをすぱっと忘れていた。ある意味、それぐらいアリス嬢にベタベタとひっつかれている状況に辟易していたし、一刻も早くこの場を逃げ出したいとしか考えていなかった。

 ぼんやりと王の話に注意を戻しながら、エリアスはグラスを掲げる。その薄い唇が、グラスの淵に触れる。そのまま、なんの気もなしにグラスを傾けるエリアスに、アリスのプルプルの唇が人知れずにんまりと吊り上がる――。

 そのとき、シャルツ王が注目を集めるよう両手をばっと広げた。

「――紹介しよう! 皆に素敵なギフトを届ける、5羽の可愛いうさぎたちだ!」

 ぶっと、エリアスは口に含んだワインを噴き出した。

「え、エリアスさま? 大丈夫ですか??」

「……すみません。むせてしまいました」

 甲斐甲斐しく差し出してくるナプキンを受け取って、エリアスは口元をぬぐう。けれども、彼の目は一点を――シャルツ王に促されバルコニーに姿を現した5人の『うさぎ』の一人、黒いドレスにうさぎ耳を合わせたフィアナを食い入るように眺めていた。

(フィアナさん? え、フィアナさんですよね? というか、うさぎ? 天国??)

 王の隣にフィアナ。もう一度言おう。王の隣にフィアナ。まったくもって意味が分からない。わからないが可愛い。ただでさえ可愛いのにうさぎ耳までつけているだなんて、尊すぎてしんどい。なぜこのような楽園が目の前に顕現したのかわからないが、五体投地をして神に感謝を捧げたい。

 王国随一の明晰な頭脳を持つはずの彼が、半ばそのように錯乱する傍ら。うさぎの耳の被り物をつけた少女たちと並ぶシャルツ王は、説明を続ける。

「ルールは簡単だ。このガーデンに、カラフルなエッグを隠した。皆はそれを探し、うさぎたちに渡して欲しい。ピンクのエッグを見つけたら、ピンクのうさぎに。水色のエッグを見つけたら水色のうさぎに。そしたら、うさぎたちが素敵なプレゼントをくれるぞ」

 その声を合図に、うさぎたちが銘々バスケットを掲げる。その中には、それぞれのドレスの色に合わせたカラフルなお菓子が入っていた。

「エリアス様、どうぞ?」

「え? あ、はい、ありがとうございます」

 エリアスは正常な判断力を失ったまま、アリスが再び差し出してきたグラスを受け取る。ちなみにそのグラスには、相変わらず『何か』が混入されたワインが入っている。

 けれども、混乱をきたしたエリアスが、とりあえず己を落ち着かせるためにワインを口に含もうとした刹那。シャルツの目線が、ばちりとエリアスを見た。

 途端、王はにやりと悪い笑みを浮かべると、傍らに立つフィアナの肩を抱き、まるで頬に口付けるように寄り添った。

「ちなみに! 頑張ったハンターには、うさぎからスペシャルなギフトがあるからな。期待して、励むんだぞ」

 ばきっと、エリアスの持つグラスの、ステムが折れた。

(あ、あ、あんの男……っ!)

「え、エリアスさま!? お、お怪我は!?」

「大丈夫です。問題ありません」

 幸い怪我はなく、零れたワインのみが滴る手をエリアスは拭う。そして、ブリザードのごとき冷気を身に纏いつつ、戸惑うアリスの手を腕からそっと外した。

「申し訳ありません、アリスさん。こちらで私、失礼いたします」

「え!? でも、これから陛下のゲームが……」

「そのゲームのためです」

 困惑してぱちくり瞬きするアリスの横で、エリアスはバルコニーを見上げる。そして、フィアナの肩を抱いたまま、にやにやとガキ大将のように笑うシャルツ王を、絶対零度のアイスブルーの瞳でまっすぐに射抜いた。



「このゲーム(勝負)、本気で勝たせていただきますので」