「先生、ちょっと――…」
 それまでじっとうつむいて話を聞いていた中井が、お医者さんに呼びかける。
 立ち止まったお医者さんと、あたしと中井をおいて、(ばく)をのせたストレッチャーは、廊下を飛ぶように進んでいく。
 あたしは耳をおさえて放心していた。
 聞こえたいろいろなこと。
 あたしは麦のこと、なんにも、なんにも…知らなかった。

「先生、その……手術の同意書ですけど、姉でも…よろしいでしょうか」
 えっ?
「もちろん、血縁のかたなら、どなたでもかまいませんが。――なんだ。お姉さんでらしたんですか。そうですか。ったく、あのナースは。…おーい、きみ!」
「先生」
 お医者さんに向かいあう中井の顔は真っ白だ。
「父には私から連絡して、以後のこともきちんと取り計らいたいと思いますが――。あの子にはどうか内密にお願いしたいんです。……私たち、異母姉弟なものですから」

 な…に?
 今なんて?
 イ…ボ、キョウ…ダイ?
 キョウダイ?
 中井と麦、が?
 驚いてすがりついた病院の壁は冷たくて。
 縮みあがった心臓が、どっくんどっくん動き出したときには、中井はもうお医者さんと白いドアの向こうに消えていた。