それでも中井の言葉は、もやもやとあたしのまわりをいつまでもただよって。
「先生……」
 授業が終わったあと、あたしは中井に呼びかけていた。
「なぁに?」
 白衣を脱いで髪をほどくと別人のようで、女のあたしでもドキドキする。
 首筋から髪に指を入れるしぐさ、(ばく)も見ただろうか?
「先生の……見たいな」
「ん?」
 サンダルから見える中井の靴下。かかとまで真っ白。
 靴下で体育館を歩いて、すぐ汚しちゃうあたしとは全然ちがう。
「先生の赤根(あかね)くん――…」
 中井は教卓に両手で頬杖(ほおづえ)をついて、あたしの視線をつかまえる。
「やっぱりいいです。さよならっ」
 沈黙に耐えられなくてドアのほうにターンすると、
「おいで、相田(あいだ)
 中井のやさしい声がして、教壇をぎしぎしと教室の奥に歩いていく、音。
 振り向いたものの、まだ迷って突っ立っているあたしを、中井は立ち止まって、また呼んだ。
「おいで。本邦初公開。…といっても、だれも入りたがるやつなんか、いないけど」

 美術や音楽の教室の奥には、特別に教員室がある。
 いつか麦に数学を教えてもらったときに、中井が出てきたのを見たことはあるけど、もちろん、そんな場所に入るのは初めてで。
 ドキドキと足を踏み入れると、忙しい授業の合間に、いつ描いているんだろうと思うくらい、その小さな部屋はキャンバスだらけだった。