濃い藍色がのしかかるようにこっちを見ている。

カーテンの隙間からは、ゆっくりと点滅している白っぽい明かりが、部屋の中の藍色を濃くしたり薄くしたりを繰り返していた。


反対側に頭を巡らせると電気スタンドの黄色いスポットの下で、ひとり掛けのソファにゆったりと座って雑誌をめくる人物がいた。

誰だろうと口を開きかけた時、その男性はふと顔を上げて、当然のようにふんわりと微笑んだ。

「あぁ、目が覚めたねぇ……清水くーーん?」

落ち着いた雰囲気で、遠くの人を呼ぶように声をかける。
傍らに雑誌を置いて立ち上がり歩み寄ると、熱はどうかなとすばるに手を伸ばした。

大きな手がすばるの額を覆った時、どたどた響く足音の後で、派手にドアが開く。

「……すばるさんに触るなよ」
「えぇ? 怒られてる?」
「なんで俺がちょっと出てる間に!」
「そんなこと言われても……ねぇ?」

人の良さそうな風貌に、よく似合った優しげな声で、その男性はにこにことすばるに問いかける。

むすっと不貞た顔で、もう一度触るなと言って清水はすばるの横に腰掛けた。

「……まだ顔色が悪いね……水飲もうか?」
「飲んであげて? 清水君ウチにストローが無いからって、ダッシュで買いに行ったんだよ」
「余計なこと言うなよ」

差し出されたペットボトルにはファンシーな水色のストローが刺さっていた。
すばるが頭を持ち上げると、すかさず清水が抱えるようにして後頭部を支える。

素直に口にした水がびっくりするほど美味しい。

「……たくさん血が出たもんね、ゆっくりでいいから、その分飲まないと」

柔らかで慈しむような声に、清水がさらにむっすりとした表情になる。

「リノ、もう良いからエリサから服借りてこいよ」
「この邪魔者扱い」
「邪魔だからな」
「わぁこわ〜い」

ふふと笑いながら男性は部屋から出て行った。

ストローから口を離すと、清水はゆっくりとすばるの頭を枕に乗せる。そのままその手で額を拭うように撫でた。

「……夜ですか」
「もうすぐ十時半」
「……あぁ……」
「痛みはどう?」

そう言われて布団の下でごそりと手を動かした。硬くなってごわごわした服に手を突っ込んで、痛む場所を探す。

冷や汗が吹き出て、身体が芯から震えるように寒く感じた。痛くて痛くて、気が遠のいて、ずっとふわふわした感覚だった。
どんな大穴が空いたのかとその辺りを恐る恐る撫でたが、そこには何も無い。
ガーゼとか包帯なんかの手当ての痕跡すら。

がばっと布団をめくって、少しだけ身体を起こす。赤茶色く染まった服を持ち上げた。

「わお、すばるさん大胆……」

手で顔を覆った清水は、分かりやすく指の間からすばるの白い腹を見ている。

「…………何も無い」
「傷痕は残っちゃったよ……痛みはどう?」

切ったり擦りむいたり、ケガをした時のようなぴりぴりした痛みは無い。ひどくぶつけた時のように、身体を動かすと奥の方で響くような、ぐいと突かれているような痛みがある。

本格的に身体を起こそうとすると、清水は背中に手を回してすばるが座るのを手伝った。

「……中の方がどくどくしてます」
「だよね……今、絶賛修復中だろうから」
「……修復」
「ああ、言い方が悪かった……治癒中」
「なんで、傷が塞がってるんですか? もっと……普通……」
「うん……その話は……」

言いかけて、ドアの向こうから聞こえる足音に、清水は口を閉じた。
扉が大きく開いて、先程の優しげな雰囲気の男性と一緒に、きっぱりと美人だと言える女性が部屋に入ってくる。

「どうして私の服なの? 清水のでいいでしょ?」
「いや、それは嬉し過ぎて俺、絶対どうにかなっちゃうから」
「うわ、キモい!!」
「……うん、ねぇ。もう少しテンション下げようか……声も大きいよ」
「何言ってんの? お腹に穴開いたくらいでそこまで気を使わなくて良くない?」
「……慣れって怖いねぇ」
「それじゃ、ふたりとも出ていって! 着替えるんだから!」

男共を部屋の外に放り出すようにして、ぱぱっとすばるの服を脱がせると、スエット生地のワンピースを頭から被せた。
柔らかでゆったりとした服、豪快なようで身体を気遣ってもらっている手付きに、すばるはほうと息を吐く。

「……ありがとうございます」
「お礼なんていいって……こっちが悪いんだし」
「……え? ……それはどういう?」
「あ……やば。その話まだしてないんだっけ。あー。えーっと……着替えた!!」

女性は外に向かって声を張り上げる。
血でごわごわになったすばるの制服をささっとかき集めて抱え上げる。

「落ちるかもだから、洗ってみるよ!」
「……ちょっと待てぃ」
「なにかな?!」
「気まずくなりそうな時のその逃げ足……お前、余計なこと言ったな?」
「分かってんなら見逃してくれよぅ!」
「いいよ、エリサお逃げ……あとは清水くんに任せればいいから」
「おい!」
「よっしゃ洗濯すっぞ!」
「僕も逃げろー!」
「おい!!」

見るも鮮やかに退散するふたりに文句を投げつつ、ベッドのすぐ側までソファを移動させて、清水は手前の方に浅く腰掛けた。

「すばるさん……何から話せばいいか……」
「あ……じゃあ、さっきの人たちは……」
「……うん、えっと。男の方は莉乃(りの)、女の方は英里紗(えりさ)……家族だよ」
「ご兄妹?」
「……関係は追い追い」
「……はぁ」
「えっと、そうだな……今どうなってるかの話からしようか?」
「……はい、お願いします」
「すばるさん、寝る前のこと、どこまで覚えてる?」
「……たぶん、だいたい」
「そうか……」

荒唐無稽だと思うだろうが、信じるかどうかは後にしてとりあえず聞いてほしいと前置いて、清水はゆっくりと話し始めた。

まず、すばるを刺した人物は同じ制服を着ていたが、男子高校生では無いと清水は告げた。

それは下校時間すぐ間も無いのに学校の反対方向から現れたことと、周囲の防犯カメラでは追いきれなくなったことから明らかだった。
その人物はすばるを刺した後、逃げることを前提に行動している。

傷口からしてナイフなどではなく、千枚通しのような太い針状の物で刺されただろうこと。
そのような武器は、ナイフなどに比べて鋭利な部分が少ないので、手や服の中に忍ばせやすい。

ふたつのことを考え合わせると、人を殺すのに慣れた人物、それ専門の人だろうと清水は淡々と話した。

「それ専門?」
「……うーん。……殺し屋だね」
「……は?」
「……だよね、そういう反応になると思ったから濁したんだけど……ただ今 鋭意捜索中。見つかったら速攻で百万倍返しするから安心してね」
「安心もなにも……そもそも、なんで……」
「そこは全面的に俺のせいです! 本当にごめんなさい!!」

清水は勢いよく頭を下げて、ベッドの端に額を打ち付けた。
勢いが余り過ぎて、ばいんばいんと頭が何度か跳ねる。

すばるはその様を見て、思わずぶはっと息を吹き出し、清水もさすがに笑いはしなかったが、くくと声を漏らして肩を震わせている。

「……ええっと。どうして萩野さんが全面的に悪いんですか?」
「すばるさんが……俺と一緒にいたからです! だから、俺が悪いんです!!」
「……一緒にいると、どうして悪いんですか?」
「それは…………俺の、仕事のせいです」
「お仕事……」
「敵が多いっていうか……恨まれやすいっていうか……なので、本当にごめんなさい!」
「はあ……まぁ、それはそれとして、どうして私のお腹は治ってるんですか?」
「それは……ですね。俺の体質、と言いますか」
「体質?」
「ケガが治りやすいんです……俺がすばるさんのお腹、ぐりぐりしたの覚えてます?」
「ああ……はい」
「俺の体液混ぜたんで……あ、なんか言い方エロいですね」
「…………は?」
「内側の体液と、外側の体液…………混ぜたんで……それで」

言いながら清水の顔がどんどん赤くなっていくのを見て、その時すばるは何をされたのかをはっきりと思い出した。
その際の大悪態が頭の中を駆け巡り、それでも腹が痛いので、幾分かマイルドにした普通の悪態を清水に浴びせかけた。

俯いていてしおらしく聞いている素振りでも、清水は耳まで真っ赤にしつつ、しかも顔がにやけているのが見えて、すばるはさらに腹が立った。

「気持ち悪い! クソ以下のクソ野郎ですね!! もう!! お腹痛い!!!」
「そうだよ、ちょっと落ち着いて……」
「誰のせいですか!」
「俺だけど……ちょっと、ホントごめん。こんな時ですが、好きです!」
「はあ?!!……ぅぅ……いた……」
「弱ってるのに、ガチギレするすばるさん……かわいい……すき……」



嫌悪に顔を歪めて、ベッドの一番端までにじり下がるすばるの前で、清水は真っ赤な顔を両手で押さえていた。