地下鉄に乗って、昇降口の近くのポールにつかまった。

席はまばらに乗客が座っている。
間に割り込んでまで座る必要もない。そもそもふたつ先の駅で降りる予定だ。

ドアが閉じる直前に、隣の車両に乗り込んできたハイジと目を合わせて、ちらりと笑い返す。

ハイジもわずかに頷いてから目を逸らす。
『よくやった』と言っているのは分かったので、窓の外の流れる壁を見ながらふふんと得意げに息を吐いた。


今回はいつもとは逆の立場で仕事をしてみた。

観測とフォローをハイジがし、すばるが標的を狙う。

ターゲットが車を降りたところ、ビルに入るまでに事を済ませなくてはならなかった。

遠距離の射撃だったからかなり緊張はしたが、狙い通りに肩を撃ち抜けたので、自分でも満足のいく仕事ぶりだった。


隣の駅でハイジが降りる。
ホームに出たハイジは、すばるのものとはまた違う、ギターの形をしたハードタイプのケースを肩にかけて持ち直していた。

発車してハイジの横を通り過ぎる時、こちらをちらりとも見ずに、軽く片手を上げる。

そういうところが様になるし、いちいち格好良くて、逆に笑えてくる。

見てなかったらとは考えないのか。
きっとそういう事を考えないから、ハイジはハイジなんだろうと、すばるはまたにやける。


自分のギターケースは、荷物になるので、近くを通る達川に事務所に持っていってもらうことにした。

次の駅を降りたら、そこの出口のところで清水が待ってくれている予定だ。




助手席側の窓をこんこんと叩くと、清水が腕を伸ばしてドアを開けてくれた。

乗り込んで後ろを確認すると、後部座席には用意した荷物がきちんと積まれていた。

「お疲れさま、すばるさん」
「お待たせしました」
「さぁ、行きましょうか」
「はい」
「では、しゅっぱーつ!」
「あ、ちょっと待って下さい、後ろに行きます」
「えー?!」
「助手席で着替えて良いんですか?」
「それはいけません! だめだめ!!」

スモークガラスのある後部座席にすばるが座ったのを確認して、するりと車は出発した。

順調に車が走り出したところで、すばるは鞄を開けて着替えを取り出す。今着ている黒っぽいラフな服装から、シンプルかつ、きっちりとしたワンピースに着替える。


なにもこんなめでたい日に仕事が入らなくてもいいのにと思いながらも、仕事は仕事と割り切った。
素早く終わらせることに集中したし、無事に終わって時間はありそうなのだから文句は無い。


服装が改まって、助手席に移動する。

すぐに清水は胸ポケットから出したものをすばるに手渡した。

「わ!……良かったぁ……荷物に入れるの忘れてたから、どうしようかって思ってたんですよね」
「そうだと思って持ってきたんだよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」

小さなケースの中には、茶色のカラーコンタクトが入っている。
走っている車の中では難しいので、到着してから駐車場で着ければいいかと膝の上に置いた。

「すばるさん、そのワンピース、超かわいいね」
「ですよね! 英里紗さんが選んでくれたんです!」
「ま、すばるさんの方がかわいいけどね」
「…………清水さんも素敵ですね」
「そう? 良かった、もちろん中身の話だよね?」
「……間に合いそうですか?」
「あ、今日はスルーする感じ?……大丈夫、余裕ですよ?」
「そうですか、良かった」

出かける前にちゃちゃっとメイクはしていたが、仕事の合間に崩れていないかと、手鏡で確認する。
おかしくない程度に直して、髪の毛もそれなりに整えた。

爪が引っかかる気がして、指を見て思い出す。

「あー……そうだ。せっかく伸ばしたのに」
「どうしたの?」
「爪を壁に擦っちゃって、削れたんですよね、この日のために揃えたのに。残念」

ざりざりとしたビルの外壁で擦ったので、爪も同じくざりざりに削れていた。

会場に着いたら、そこで爪切りを貸してもらおうと、すばるはへにょりと眉の端を下げた。



結婚披露宴の会場は少し郊外にある、景色の良い場所にある。

午後から夜にかけて行われるナイトウエディングで、そのまま宿泊もできるから、その分の荷物も用意していた。



和臣から結婚すると聞いた時は、まぁ、それなりの衝撃はあった。

すばるは和臣を受け入れられる器の広い相手がいることに驚き、清水は長年のしがらみから抜け出せて良かったねと感慨深い。

すばるとは真逆の、可愛らしいお嬢さんのようなタイプだったので、ふたりはにやにやと笑って和臣をからかった。

田舎のヤンキーはなりをひそめて、穏やかな喋り方をするようになった。
彼女にだけだが。



すばるは一年遅れで高校を卒業したあと、大学には進学はせずに、すぐに萩野姓になった。

それまでは学業と仕事とで怒涛のような2年間だった。

ひと足早く社会人になっていた和臣にも反対されることはなく、ふたりだけで結婚式をしたいと養父母や和臣にはそう伝えた。

実際には式らしいことはせず、莉乃や英里紗たちと家でお祝いをした。
すばるは面倒くさがったが、清水の根気強いお願いで、ドレス姿の写真だけは残した。


それから三年、和臣が職場の関係で知り合った女性とこの日を迎えることになった。

式はとても良かった。
お互いの親戚は招待せず、家族と友人達だけが集まって、賑やかで最後まで楽しく過ごせた。

式が終わって宿泊する部屋に入っても、清水はその様子を反芻してうんうん唸っている。

「やっぱり式だけでもあげようよ」
「まだ言いますか……いまさら良いですよ、めんどくさい」
「んーでもやっぱり写真だけって……」
「それだってすごく嫌だったんですけど」
「分かってるよ、ドレスなんて着なくたって、すばるさんがきれいなのは……でもなぁ」
「清水さんのその乙女脳、なんとかなりませんか」
「もう! すばるさんのクール! ドライ! 竹を割ったような性格!!」
「……それ悪口じゃないですからね」
「大好き!!」
「はいはい……先にお風呂入ってきて下さい」
「一緒に入る!!」
「えー、めんどくさ」
「じゃあ、すばるさんが入ってるところ見る!」
「気持ち悪っ!」
「だって見たでしょ?! バスタブが猫足だったよ!! 花弁とかあったし、あれ風呂に浮かべろってやつでしょ?! 見させて! 近くで!!」

タックルの勢いですばるに抱き付いて、そのまま大きなベッドにふたりはゆっくりダイブする。

「…………やっぱり一緒に入る……」
「今朝早かったから、私もう寝たいんですよねぇ……」
「じゃあ今日はこのまま寝て、明日の朝一緒に入ろう」
「一緒が前提はどうにかなり……」
「なりません!!」

長い息を吐き出しているうちに、背中に回っている清水の手が、すばるのワンピースのボタンを外していた。

「……なにしてるんですか」
「ん? 寝る準備」
「触り方……」
「あ、その気になった?」
「なってない!」
「じゃあ、それも明日の朝ってことで」
「……疲れが進行系です」
「裸で寝ようね」
「……止まりませんね」



頬をすり寄せて、鼻先を合わせて、口付けをする。


にこにことご機嫌な清水につられて、すばるも困ったふうに笑い返す。




その顔にきゅうと胸を締め付けられて、清水はすばるを力一杯に抱きしめた。










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これにてこのお話は終わりです。


ここまでお付き合い頂きまして、本当にありがとうございます。


年明け前後にしばらく更新しない期間がありましたが、この終章あたりの季節とちょうど重なりましたので、合わせたという次第であります。

お待ちいただいた方がおられたなら、そこはもう、すみませんでしたとしか言いようがないです。




お楽しみいただけたでしょうか?

そうであれば幸いです。

また別の作品でお会いできますことをお祈りしつつ。

ひとまずは失礼させていただきます。



みなさま、ありがとうございます!!



ヲトオシゲル拝