「すばるさん、おじゃま!」
「はい、どうぞー」

独特なリズムで扉をノックした英里紗は、えへへと笑ってすばるの部屋に入ってきた。
埋もれたらまず起き上がれなさそうな大きなクッションを抱えている。

この家には合わないと遠慮していたが、コタツを新調した。それは冬が本格的になってから。空調はしっかりしているので家中の隅々まで、寒くは無いが、手足の先が冷えるのが辛かった。

せめてとすばるは自分の部屋に設置する。

今回は和臣のお下がりではない上に、金銭的にも少々余裕が出てきた所だったので、気に入ったものを買うことにした。

しっかりした作りの木調の丸い卓、毛糸で編まれた赤が基調のノルディック柄の布団カバーも気に入っている。

それをめくって英里紗はコタツに入り込むと、クッションを均してぼすりと身を沈めさせた。
ふむぅと長く息を吐き出す。
昼食を終えてしばらく、ちょうどいい感じで眠くなる時間帯だった。

「は〜ぬく〜。さいこ〜。寝させて〜」
「どうぞどうぞ〜」

すばるはおコタに入って卓いっぱいに本や雑誌を広げていた。
可愛らしさの微塵もない銃火器の写真や、その内部構造が書かれた本を読んでいる。

家事の合間や、清水が仕事で出かけている時間を、すばるは厳つい専門書を読んで過ごしていた。

「すばるさんさぁ……あ、おしゃべりしていい?」
「もちろん! なんですか?」
「ぶっちゃけ、どうなの」
「はい? 何がですか?」
「清水と、どうなの」
「どう……とは」
「よろしくやってんの?」
「よ……ろしく?」
「あれ? 親に隠れてこそこそしてないの?」
「…………してません!」
「なんだよ〜」
「なんだよってなんですか」
「やりたい放題やってんのかと思ってた〜」
「そんな……こと……してません!」
「あれ〜? てことは、逆に清水がヘタレってことかな〜?」

にやにやしながらちらりと送られた英里紗の視線に耐えられず、すばるはゆっくりと静かに手元の本を立てて、それを遮った。

「やだ〜か〜わ〜い〜い〜」
「……やめて下さい」
「だいじだいじにされてんのな〜?」

小さな声だったが、ワーウルフの耳は誤魔化せない。たっぷり間を取った後はいと答えたのを英里紗は聞き逃さなかった。

「そうかぁ〜あ〜やっとあの子も落ち着いたかぁ〜ママ安心」

ぱたりと本を倒して、すばるは卓越しに英里紗を覗き込んだ。

「英里紗さん?」
「うん〜?」
「清水さん、そんな大暴れだったんですか?」
「大暴れて」
「あ、いや、皆さんがちょいちょい私に教えてくるので」
「あ〜まぁ〜静か〜に大暴れしてたねぇ」
「しずか〜に?」
「すばるさんにもっかい会うまではね〜。冷淡な暴れん坊将軍」
「……ぷは!」
「女関係はもう、クズだったねぇ」
「……はぁ」
「…………すばるさんそういうの気になんないの?」
「う…………うーん。気にならなくはないっちゃないような、そうでないような」
「どっちなの」
「ぅぅぅ……なります、けど……私はそこを見ていないので、なんとも」
「バレなかったら浮気もOK派か!」
「ではなくて…………私が知る限り、清水さん、その……なんというか」
「今はこの世界中ですばるさんだけがただひとりの女の子だもんねぇ」
「…………ぅぅぅん……です……かね?」

周りから聞かされるのは、少し前まで酷かった、という話ばかり。
しかも面白おかしく盛られている雰囲気もかなりある。

性格も真反対のようになったとみんなは言うが、すばるに対する姿勢は初めからずっと変わらない。

「まぁ、最初すばるさんが現れた時の萩野家の動揺はハンパなかったよね」
「え?! そうなんですか?」
「全莉乃が激震!」
「……またまたぁ……そんなふうには見えませんでしたよ?」
「そりゃね、大人ですから、余裕のある素振りは出来るさ〜」
「……素振り……」
「うちの子がやりおった!! ってその時は」
「やりおった?」
「いやぁ、すばるさんの存在は何となく気が付いてたのさ〜我々も」
「はぁ……」
「妙に機嫌が良いし、気持ち悪いし、決まった時間に出かけるし、帰ってからは更に気持ち悪いし」
「気持ち悪い二回言いましたね」
「あ〜こりや、女ができたねって。しかもひとりの子だねって。この先どうなるにしろ、それは良いことだねって」
「……そうだったんですね」
「で、フタ開けてみたら、すばるさん若いわ、魂分けしてるわって……あいつやりおった!!と」
「何をですか?」
「とうとう女の子を攫ってきた!! と」
「さらったって!!」
「まぁ、全英里紗さんも震撼した訳ですよ」
「あはは!」
「女の子をそんな目に……こいつ人でなしだなって……まぁ人じゃないけど」

そんな風に莉乃と英里紗が心配していてくれたことは、ひとつも、想像すらしなかった。
のん気そうで優しい人たちだなという印象はあったものの、それ以上は考えなかった。

自分のことでいっぱいになって、ちょっとした思いやりさえ、素直に受け取れなかったことすらあった。

しおしおと萎びて、すばるは卓の上に頭を乗せる。

「どうした、すばるさん」
「…………そんなふうに考えてもらってたのに、ちょっとも気が付かなかったんで、申し訳なくて……情けないっていうか」
「も〜なんだよ、可愛いかよ〜」

起き上がった英里紗が、すばるの頭をぐりぐりと撫でる。
すばるはぐっと喉がつまったようになって、目の周りが熱くなった。力なくえへへと声が漏れる。

「いや〜結果的にうちの子のやりおったは、良いやりおっただったけどね」
「……ほんとに?」
「もちろんさ!」

ほらほらと促されて、横にずらされたクッションを半分ずつ使って、一緒に寝転んだ。

「すばるさんはいいこだなぁ……よしよし。かわいいこ」
「英里紗さん……」
「可愛い私の子」

ぎゅうと目をつぶるとぽろぽろと水の球が転がり落ちる。
よしよしと英里紗は両手ですばるの頬を揉んだ。

「すばるさん、生理きてる?」
「へぁっ?!」
「子どもで思い出したんだけど」
「ふぁっ?!」
「やるならばんばんやりなさい」
「はいっ?!」
「魂分けしちゃったらどうなるのかなぁ……その辺よく分かんないんだけどさぁ……とにかく出来にくいんだよねぇ」
「な……に……が?」
「子どもだよぅ」
「こ……こ?」
「私と莉乃もばんばんやってるんだけどねぇ」
「うわぁ…………ぇぇぇ…………」
「ま、お気張りやす!」
「……ぇぇぇ…………?」

その後ワーウルフとして、体の変化、主にワーウルフ女子の基礎知識的なレクチャーを受ける。

もともと不順気味ではあったが、身体が変わってからははたりと止まっていた。
環境も精神的にも激変したし、魂分けするとそんなものなのかと軽く考えていた。
体調は甚だ良いので、むしろ楽ちんだとすら思っていた。

ワーウルフの種族がそもそも子どもができにくい。
莉乃と英里紗の間に400年で生まれてきたのはひとりだけ。
とても身体が弱く、小さなうちに亡くなったのだと英里紗は語る。
すばるはなかなか言葉が返せない。
こんな時にかけられる言葉を持っていない。

その空気を察したのか、英里紗は困った顔でふと笑った。

「まぁ、今はクソみたいに丈夫な息子がいるし」

ふふんと笑うとすばるの頬を摘む。

「もうひとり娘が増えたし」
「英里紗さん」
「ママは嬉しいのさ」
「…………そのご期待に添えますかどうか」
「はいーー?! ここきてそれ言う?!」
「ふふ」
「んもう、そういういけずは清水だけにしといて!」

ついつい言ってしまいたくなるのは、清水が英里紗に似ているからで。

「こんこん、入るよー」
「あ! 莉乃、おかえり!!」
「おかえりなさい」
「ただいまー……ほら英里紗、シュークリームだよ」
「やった!! ケーキ屋さんのやつ?」
「やつだよ……みんなで食べよう?」
「莉乃大好き!!」
「僕も大好きだよ、英里紗」
「あ、コーヒー淹れましょうか」
「んふふー。今お湯沸かしてるとこー」
「さすが莉乃! やるぅ!」
「僕が淹れてくるから、待っててね」
「ここでですか?」
「えーだって僕もこたつに入っておしゃべりしたいよ。ダメ?」
「いえいえ、どうぞどうぞ」

話している間も、英里紗を撫で回し、頬をすり寄せキスを浴びせるようにしている莉乃。
さすが表現の仕方が親子であるとすばるは心の中で頷いた。

最近すばるは仏像のような顔でふたりのこの仲睦まじい光景をやり過ごすことを学んだ。
そうしていれば心は穏やか、凪の状態だ。


スイーツを囲んで、何故かそのまま女子トークは弾んでいる。
違和感の無さに違和感を感じながら、自分がつつかれている時以外は、おおむね楽しく過ごした。


盛り上がっているうちにすぐに時間が経ち、日が暮れて、清水が仕事を終えて帰ってくる。



大きくて広い萩野家の、小さなすばるの部屋の、さらに小さなこたつで、その晩は揃って鍋を食べた。



数日後に、協議の結果、萩野家にこたつが導入される。

リビングに合わせた大きなサイズの高級品で、こたつ自体はシンプルでセンスが良いのだが、案の定雰囲気は台無しだった。

それでも蜜柑と菓子盆を常備して、萩野家の人々は満足そうに笑う。