公共の交通機関での移動は厳しいが、覚悟を決める。
最寄り駅からもしばらくかかるので、さらに気合は必要だと意気込んだ。

出かけるよと声をかけてきた清水は、いつもより少しだけぴしりとした服装で、髪型もそれに合わせて大人しめに整えていた。
手の先ではくるくるとキーホルダーが回っている。

「あれ? 気合入ってるの俺だけ? 俺もうちょっと服装変える?」
「え……いや、私はただの帰省なんで。え? 逆に私、もうちょっと良い服の方が?」
「いや、そうだよね。帰省帰省……結婚のご挨拶はまだ先でした」
「…………なにかのカギですか?」
「すばるさんがスルーを使いこなしている……車だよ」
「車で行くんですか?」
「電車とかキツいでしょ? タクシーも。だから借りてきたの」
「……ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
「すみません、気を遣ってもらって」
「すばるさんの為なら、このくらいどうってことないですよ?」


莉乃と眠そうな英里紗に見送られて、マンションの地下駐車場まで降りる。

仕事仲間から借りてきたと言った車は、左ハンドルの車だった。
すばるにはよく分からないが、町でたまに見かけるエンブレムがきらりと光る。内装は革張りでそれなりに高そうな印象の車だ。

持ち主が男性であることは分かるが、それ以上は気にならない。雑然とした複数の混ざり合った空気はなく、純粋な乗り物の素材らしい匂いしかしない。

何故かと素直にたずねると、楽しそうに清水は笑う。

プロは痕跡を残さないものだよ、と言った。
車を借りた相手は普通の人間だが、腕はかなり良い。
ワーウルフの特性を理解して、もしも敵対した時の為に、自分の居所をくらませられるように常に気を配っているのだと話してくれた。

「だから俺、そいつ気に入ってんの。きちんと仕事するから、信用できるってことでしょ?」
「……そういうものなんですか?」
「なに借りてもキレイだし、趣味良いし」
「……なるほど?」
「ご乗車ありがとうございます。シートベルトをご確認下さい……それでは発車しまーす」
「よろしくお願いします」


車での移動は三時間ほど、間に休憩を挟みながら急がず移動する予定を立てる。

密室過ぎるのも辛いので、少しだけ窓を開ける。

雨の心配のない乾いた町の風が車内の空気をかき混ぜていた。
低いエンジンの音と、お互いケンカし合わない程度に薄っすらと音楽がかかっている。

「……聞いてもいいですか」
「なんですか?」
「あの、萩野さんは何のお仕事をされてるんですか?」
「え?!」
「え? ってえ?」
「あ、ごめん。てっきり分かってるもんだと」
「……はっきり聞いてはないですから」
「あぁ、確かにはっきり言ってなかったね。……主に暗殺者。たまに人探し、スパイ活動とか……まぁ、色々そのような、大っぴらに人に言えない仕事を」
「は……い……」
「がっかりした?」
「あ、いえ……そんな感じかなとは思ってたんですけど……さすがにはっきりと言われると、ちょっとショックというか」
「幻滅?」
「違くて……そんな仕事の人が本当にいるだなって」
「割とまともな生活してるしね」
「しかも穏やかっていうか」
「仕事は仕事だって割り切ってるからね。でも気を付けてね、趣味みたいにしてる奴もいるから」
「ぅわぁ……」
「……すばるさんの部屋に入ったやつ。アレはダメなタイプ。本人は否定するだろうけど。出会ったら全力で俺のところに逃げてね」
「ぅ…………はぃ……」
「ああ、そうだ仕事の話なんだけど」
「はい?」
「本当のことを言うわけにはいかないので、俺も。もちろんすばるさんも」
「あ、そうですよね」
「話を合わせるのに、打ち合わせしましょう」
「そうですよね、お願いします」

行きの車中では、ぎりぎりまで、何を聞かれても対応できるように、細かなところまで設定を決めた。




隣県の、中規模の都市。その郊外に家がある。町と田舎とを折り合いよく混ぜたような地域だ。

すばるが子どもの頃住んでいた地方から、車で二時間ほどの場所だと清水は口惜しそうに漏らす。もう少し捜索範囲を広げていればと地面に思いをぶつけていた。

週末を狙って来たので、家には緊張した面持ちの養父母と、すこぶる機嫌の悪そうな兄がいた。

前日の時点で紹介したい人がいる旨は知らせてある。

電話で驚いた様子だったことから、先日のアパートでのあれこれは、兄からは伝わっていないようだった。

それでも兄がわざわざ帰省しているということは、間違いなく件のあれこれを切り札にするだろうと踏んで、清水はきりりと表情を引き締める。

まず自己紹介をし、自分の立場をはっきり明確に伝えた。

すばると真剣に交際していること、職業はSEだが、在宅での仕事が主なこと、企業に所属しているが、ほぼフリーであること。質問されれば依頼主は大手の企業や、有力者を抱えていることを淀みなく答える。
見事に嘘と本当を織り交ぜて話をした。

ついですばるが抱えている問題にさしかかる。

出されたお茶はすっかり冷たくなって、それでもすばるは、それをゆっくりと飲んで、落ち着いて話を始めた。

ある事がきっかけで学校に通えなくなった。
医者にかかり、診断書を学校に提出、休学の届けが受理されたと伝える。

「……それは……一体何があったんだ」
「ひと月前……その。学校帰りに……」
「……すばるさん、辛いなら僕が話すよ……武内さん、すばるさんは、下校途中に、男にケガをさせられて」
「何だよ、それ! そんなこと聞いてないぞ!」
和臣(かずおみ)、静かにしなさい……続けて下さい、萩野さん」
「すばるさんは腹部を刺されました。幸い軽傷で済んだのですが、怖い思いをしてから精神的にも参ってしまって」
「そんなことが……どうして相談してくれなかったんだい、すばるちゃん」
「…………心配をかけたくなかったので」
「そんな、心配するのは私たちの役目だって言ったでしょ?」
「で、なんであんたがしゃしゃって出てくんだよ」
「和臣、やめなさい」
「……清水さんが、助けてくれたんです」
「たまたま通りかかって」
「そうだったんですか……ありがとうございます」
「ああ、いえ。大事に至らなくて良かったです」
「そのすばるを刺した奴はどうなったんだよ」
「それがまだ見付かってないそうです」
「何だよそれ」
「…………だから怖くて」
「……それで僕が支えになれたらと思っているうちに、その……すばるさんとの将来を考えるようになりました」
「家に帰ってひとりになるのも怖くて、今は清水さんの家に居させてもらってます」
「は?! 何つった今!!」
「実家です……ふたりだけではなく、僕の両親も一緒に生活しています。後ろ暗いことは何ひとつありません」
「すばる、お前、良いように言いくるめられてないか? こいつ、お前の体か、お前の金が目当てなんだって!!」
「和臣やめろ。すみません、萩野さん失礼な態度を……しかし、和臣の懸念も分からないでもない」
「……おっしゃる通り、ご心配だと思います。ですが、お金の心配をされると言うなら、僕はすばるさんを上回る資産を持っています……それで武内さんの懸念は消えないでしょうが、僕の……僕たちのこれからを見て判断して下さいとしか、今は言えないです」
「そんな言い訳通用すると思ってんのかよ」
「かず君止めて下さい」
「お前騙されてるって」
「何がですか」
「ちょっと優しくされて良い気になってんだろ」
「かず君に何が分かるんですか」
「すばるいい加減にしろ」
「私の事を考えて、一番に支えてくれたのは清水さんです……和くんがどんなに怒っても、清水さんが悪いことにはなりません。悪いのは私を刺した人です」
「そ……んなこと、言ってるんじゃねぇよ!」
「和臣……もういい。ここから出て頭を冷やしてこい」

ローテーブルを蹴り飛ばしたが、向いにいた清水がそれを押さえて、すばるの足がソファとの間に挟まれるのを阻止した。

卓上の食器が大きな音を立てて倒れ、転がっていく。

養父は声を上げて、養母は慌てて布巾を取りに席を立った。

深くため息を吐くと、養父はゆっくりと頭を下げる。

「申し訳ない、萩野さん」
「ああ、いえ。お気になさらず」

すばると転がった器を元に戻しながら、清水は苦笑いを返す。

「すばるさんを心配している気持ちがよく分かりました」
「和臣にとって、すばるちゃんは家族なんです……私たちもそう思ってるよ」
「……はい」
「すばるちゃんの両親は、私の妻と親友だったんです」
「……はい、そう聞きました」
「ご存知でしたか」
「ええ……すばるさんが小さな時、不慮の事故で亡くなったと」

すばるははと顔を上げて清水を見る。
そのことは清水に話したことはない。
調べればすぐわかること、とすばるはすぐに理解した。
眉毛の端を下げて無理に笑おうとしている清水の顔には、ごめんねと大きく書かれているような気がする。

「では、すばるちゃんの資産が両親の残した保険金だということも?」
「……はい、知っています」
「すばるちゃんのために残された大事なお金です」
「もちろん、それも承知しています。本当に、これは信じてもらうしか無いですが、僕はそのお金をどうこうする気は一切ありません」
「……そうですね、疑い出せばきりがない」
「おじさんに預けます」
「……すばるちゃん?」
「心配なら、おじさんに預けます」
「それは……」
「おじさんを信用しているから、清水さんを信じて下さいってことです」
「はは……なるほど。参ったな」
「実は今日、証書とか色々を持って来てるんです」
「準備万端だね……相談したの?」
「ふふ……はい。来る間もずっとどう話そうかって作戦会議してました」
「すばるさん、言っちゃったら台無しだよ?」
「…………すばるちゃんが成人するまで預かろう」
「はい……お願いします」
「萩野さん……すばるちゃんは本当に良い子です」
「知っています」
「今まで大事に育ててきたつもりです」
「はい、その通りだと思います」
「私たち以上に大事にしてもらいたい」
「もちろんです」
「よろしくお願いします」
「……こちらこそ!」
「え……ちょっと待って下さい、何ですかこの流れ」
「入籍はすばるさんの卒業を待ってから」
「清水さん?!」
「大学の卒業でもいいよ?」
「それはありがたい」
「おじさん?!」
「萩野さんが良さそうな人で安心した」
「おばさんまで?!」



なんだかんだと寿司の出前まで取って、結局日が暮れるまで長居をする。

ぶっちぎりで不貞腐れた和臣は何かと清水に噛み付いていたが、するりするりと躱されて、さらに苛々を募らせていた。



すばるはこの日初めて、適切な距離感を保っている清水に気が付いて、密かに感動する。