案内されたリビングはなんの仕切りもないダイニングキッチンと繋がっていて、すばるの部屋が軽く五つは入りそうな広さだった。

清水の部屋もそうだったが、大きな家具が必要最低限あるだけで、すっきりし過ぎて見える。

きれいで殺風景な雰囲気のせいで、生活感を感じないから余計に広く見えてしまう。


こちらへどうぞと示されたソファはとても柔らかそうで、どうも真っ直ぐ座れそうな気がしない。

体を丸めるとお腹に響くのではないかと、ゆったり座れるソファではなく、すばるはダイニングにある木製のベンチに座ることを希望した。

そのダイニングテーブルも、とてもひとりでは動かせそうもない、分厚い一枚板の立派なテーブル。
揃いのデザインのベンチも、同じく一枚板の重そうなものだった。

あまりの上流階級感に、すばるはくらりとして思わず目を閉じる。

丁重にすばるをベンチに案内すると、清水はキッチンカウンターの向こう側、業務用サイズかと思える程の外国製の大きな冷蔵庫を開けた。

が、すぐに扉を閉じる。

「……酒と水しか入ってない……知ってたけど。すばるさん、なに食べたい? ちょっと近くのコンビニに行ってくるよ」
「え……なら、大丈夫です。お構いなく」
「でもお腹空いてるでしょ? 昨日から何も食べてないんだし」
「あの……わざわざ買い物に行ってもらわなくても……私の制服は……?」
「うん? 洗濯は終わってると思うけど」
「……学校行くんで、適当にどこかに寄ります」
「いやいや、お腹に穴が開いて一日も経ってない人が何言ってるの?」
「あぁ……」
「しばらくお休みしないとダメだよ」
「でもバイトもあるし」
「それも休まなきゃ」
「……でも」

カウンターを回って、すばるの向かい側に座ると、清水はテーブルに両手を突いて深々と頭を下げる。

「本当にごめんなさい」
「いや、まぁ。過ぎたことなので、それは……」
「いや、ちゃんと謝らせて。ケガをさせたこと……あ、や……俺たちが会ってそれからのこと、全部。……ごめんなさい」
「そんなに萩野さんが悪いんですか?」
「俺が……すばるさんの周りでうろちょろしたから……だから刺されたんだよ」
「そこら辺がいまいち分からないんですけど」


お伽話だと思って聞いてと清水は前置いた。


その昔。

人とそれ以外の生き物はお互いに領分を侵さないように生きていた。
お互いの存在を知り、尊重といかないまでも、意識し合って暮らしていた。

時は進み、数に於いて人間が世界の優勢を誇るにつれ、人は世界と交わしていた取り決めを徐々に忘れ去ってしまった。

いつの頃からか人は決められていた領分を知らず踏み越え、そしてついにそのことには気付かない。


そのまま長らく時は過ぎ、小勢になったのは人では無い者たち。

ある者はそれを受け入れられずに抗い、ある者は人の世界に紛れて生きることを選んだ。

それでも人は、姿形がどうあれ、人より長く生き、人より強いものを、人とは認めなかった。


自分たちの種族もそのうちのひとつだと、清水は苦く笑う。


世界に弾かれないように、人に気付かれないように慎重に、人として生きるものは割とそこら中にいるんだと付け加える。


「人以外を排除しようって人間はいくらでもいるんだ。俺は……莉乃と英里紗もそうだけど、そういう奴らの間じゃ有名なんだ……。それにあちこちで恨みを買って稼いでる。……いつかこうなる可能性はあったのに、俺がいつまでも……すばるさんの側に居たから」
「……萩野さんが刺したんですか?」
「え?」
「萩野さんが私に痛い目を見せてやろうって?……違いますよね、萩野さんは私を助けてくれた。私が怒る相手は、実際に私を刺した人です」
「すばるさん……」
「私はウルフィーとまた会えて嬉しかったのに、今までが間違いみたいに言わないで下さい」

ぎしりと歯を食いしばると同時に清水は姿勢を正し、熱が集まってきた顔を持ち上げて、真っ直ぐにすばるを見つめ返す。

「…………結婚しましょう」
「いや、ムリです」
「では先ず、保護者の方にご挨拶から」
「まず、ってなんですか。順序の話じゃないですから」
「もうすぐ17歳でしょ?……あ、そうか。じゃあ、卒業するまで待ちます」
「歳とか学校とか……そういうことではなくて」
「あ、大丈夫。いちおう戸籍とかもあるから、法的にもクリアできるので、ご安心を」
「法律の話でもないです」
「ええ? でも俺のこと好きでしょ?」
「……はぁ?!」
「魂分けするとね、その相手を好きになるんだよ」
「……こんわけ?」


まだ今ほど便利ではない時代。
自分の身の回りの世話をさせるために、従者を側に置いていたような大昔。

長く生きる丈夫な者に仕える、同じように長く生き、丈夫で忠実な従者が必要だった。
主人の血を混ぜ、魂を混ぜ、分け与え合うことで、お互いに強く結ばれ、いつまでも忠誠を誓う。

それが魂分けの本来だと、清水はにこにこと語る。


「……忠誠?」
「いや、そんなの古い習慣、ていうか建前みたいなもんだよ。むしろ今は伴侶的な意味の方で……」
「はんりょ?」
「すばるさんも俺のこと好きだよね?」
「いいえ?!」
「あれぇ?!……でも顔が真っ赤だよ?」

面と向かって言われれば、どうしても意識してしまう。

すばるが熱くなった顔を覆ったところでもう遅い。
清水のにやにやと笑っているような声が、おかしいなとさも不思議そうに問うている。

「でも二度目ともなると、さすがにすばるさんも納得できるでしょ?」
「二度目……? どうして回数の話をするんですか? これ以上、その……こんわけ? したらどうなっちゃうんですか?」
「わぁ! 感が良いすばるさんが可愛い!」
「……ふざけてます?」
「ごめんなさい……えっと……三度目で、その……普通ではなくなります」
「…………は?」
「俺たちみたいに、丈夫で長生きに……なります」
「……私も狼に?」
「あ、いや! 俺たち並みに丈夫で長生きだけど、狼にはなりません」
「…………なんだ」
「なんだ?」
「なれたら楽しいのにって……思いました、ちょっとだけ」
「すばるさん!!」
「…………ほんのちょっとです!! ほんのちょ……………………っとだけ!!」
「やっぱり結婚!!」
「しませんけど?!」
「…………ふーむ。まだじっくり行くべきか」
「だいたい……その、こんわけ? をすると……その、強制的に……好意を持つってことですよね?」
「うーん、まぁ。強制っていうか、魂を分けっこしたことになるから、どちらかと言うと拒否するのが難しい感じかな」
「……それってどうなんですか?」
「どうって?」
「拒否できないって」
「なんで? 抗う必要無いでしょ? すばるさんが好き、以上、終わり」
「……単純過ぎる」
「俺はそれで充分だけどね?」
「わたし……は」
「うん?」
「怖いです」
「……教えてくれる?」




繋がり、みたいなものを欲しがっていた。
今になって考えてみれば、多分そういうことなんだと思う。
それはすばるが小さな子どもの頃の話だ。

いつか解けるものだと、どれだけ固く固く結ばれて繋がっていると信じても、不変なんてないことを。
それはいつかは解けてなくなってしまうのだと。

それをすばるは身をもって知ってしまった。


中途半端なものは必要ない。

そう思ううちに、いつからか人とは適当に付き合うようになった。
自分が他人に誠実でないから、他人も自分に誠実でなくていい。
自分のことは自分が大事にする。
だから他人に心を預けるのも、預けられるのも、不要な気持ちだと思うようになった。

そんな自分に親切にするだけもったいないし無駄なのだと。
なぜなら何も返すことができないから。
誰かにあげられる心は持ってないのだと。

吐き出してしまいそうな心に蓋をする。

曝け出してみせるなんて出来ない。
こんな空っぽの心なんて、なにも教えられる中味が無い。


「別に……何もないです」
「すばるさん……俺はすばるさんが大好きだよ」
「……そうですか」
「大好きだよ……ずっと側に居る」
「……そうですか」
「即拒否しなくなった!」
「……そうですね」
「キスしたい」
「それは拒否する!!!」



痛むお腹を抑えてへなへなとテーブルに伏したすばるの頭を、さらさらと清水は撫でた。



やっぱり何か食べないと元気が出ないねと清水は眉の両端を下げる。