人の流れに押され、弾かれたようにはみ出して歩く。


ヘッドフォンのおかげで大勢から発される音はずいぶんと遠くに感じつつ、それでも纏わりつく気配を断ち切りたくて、耳元にある音楽に気を向ける。

後ろにあるギターのハードケースを背負い直して、目線を持ち上げた。

湿気の多い地下道、駅の出口へ続く折れ曲がったその先を思った。
外に近付くにつれ、乾いた風が吹き下ろしてくるのを感じる。

四角く切り取られたような、雲の少ない薄水色の空を見上げた。
アップテンポの曲に合わせて、軽い足取りで階段を上る。


地下鉄の改札から遠い出口で、地上に出ても歩行者は少ない。

車線の多い道路の向こう側にある出口は、大型の家電量販店がある。飲食店も多いので、ほとんどの人があちら側の出口を利用している。

流れる車や、向こう側を行き来する人々を横目に見ながら、しばらく国道沿いを進んだ。

目印にしていた建物の角を曲がり、右に左に小刻みに道を行くと道幅が少しずつ狭まる。

高層のビルの隙間のような通路に入って、重みで下がっていたギターケースを背負い直し、ふうと息を吐き出した。


建物の裏手にあたるそこは、永遠に陽が射さないと思えるほど影が濃い。
空気が淀んでいて、冷んやりと湿っぽい。

細い通路を挟んだ隣のビルは、曇りガラスの小さな窓が、二階より上の部分に並んでいる。換気口の銀色で丸っこいカバーが等間隔に並んだ、薄汚れたグレイの外壁が迫って見える。

下から上まですうと見上げて、目線を向かい側に、すぐ傍にある非常口に移した。

重そうな鉄の扉には銀色の丸いノブがある。
外階段状になっているのは、ジグザグと斜めに切り返している壁で見て取れるが、それは三階より上の部分から。
そこより下は長細い箱の内側に階段がある。
外部からの侵入、防犯のことを考えれば、初歩の初歩、とって然るべきな建物の構造だろう。

この非常口だって、どう見ても『内側からは開くけど、外からは開けられない』扉。
鍵穴も無ければ、ノブだって丸くてつるつる、いかにも飾りで付いているようなデザインだ。

それでも、もしかしたら何かしらの幸運が巡ってくるかもと、ドアノブに手を伸ばす。

「……まぁ、そうだと思ったけど」

小さくこぼして扉から離れる。
袖の中にしまっていた手を出した。

やはり外側から行くしかないと、両脇にある壁を交互に見る。

さすがにジャンプで三階までは上がれないので、非常口の庇に足をかける。そこが一歩目。

向かい側の壁、足を置く場所に、換気口の小さな出っ張りを見定める。そこが二歩目。

勢いで反対側に跳べばもう三階の開口部には届くだろうとイメージを固めて、実際にその通りにした。

ちょっと換気口の取り付けが甘かったのか、素材が柔かったのか、足を踏みしめた拍子にカバーが歪んでしまい、バランスを崩してしまった。

咄嗟に手が出て、ざらっとした外壁で指先を擦り、中指の爪の形が変わったことに心中で舌打ちする。

せっかく気に入った形に整えていたのに、短く切り揃えてやり直しになってしまった。

もうこの際だから、思いきってネイルサロンに行ってみるのも良いかもしれない、そんなことを考えながら、階段を屋上目指して駆け上がる。

調べてあった通りに、屋上への扉には鍵がかかっていた。複製した鍵を使って扉を開ける。

ポケットに突っ込んでいたニット帽を深くかぶって、その中に髪の毛を押し込めた。

ギターケースを床に下ろして、蓋を開く。
ハードケースの中は赤の天鵞絨張り、ぎゅうぎゅうに黒い艶消しの狙撃銃が詰め込まれている。

取り出してすぐにでも使える状態にしてから、スマートフォンを取り出してアプリを起動した。

「準備できたよ」

小声で話しかけると今まで鳴っていた音楽が止まり、ぷつりと音がして人の声と切り替わる。

「……ほいよ。こっちでもアプリの起動を確認……ちょっと待ってよ……計算中」
「予定通り?」
「あーそうね、お出かけは時間通り……十分以内にそっちに到着……はいはい、問題なしだな……ちょっと風が気になるけど、大丈夫でしょ」
「風……分かった、気を付ける」
「よろしくー……んじゃあね」
「はーい」

ビルの間の狭い隙間から、100mほど離れた場所に、雑居ビルの小さな入り口が見えている。

開いたままのアプリ画面を見て風向きを確認した。風速、風力、風向き、温度、湿度などが一目で見て取れるデザインになっている。

風の強さや空気抵抗を綿密に計算することはなく、なんとなくの勘で微調整をしている。
それでも風向きぐらい知っておかないと、手元のほんの少しのズレが、100m先で数10cmのズレに変わる。


銃を担いだまま肩の高さほどの鉄柵を乗り越えて、屋上の縁へ行く。
寝転べるほどの幅がないので、膝を折り曲げた状態で座り込んだ。背中を鉄柵に凭れさせ、階段一段分ほどの高さの縁に足を突っ張っる。ぐりぐりと動いて身体が落ち着くように固定させ、銃身に付いた二脚は使わず、先をビルの縁に置いた状態で銃を構えた。


乗っているのは深緑の高級外車、後部座席から先に降りる男。

同じような角度から撮られた写真の画を思い出しながら、きっちり撫で付けられた髪型と、いけ好かないスーツの後ろ姿を待つ。

当たらなくてもいい。
本当は当たるのが一番いい。
撃つのは一発だけ、狙われていると思い知らせるにとどめ、命を奪うのはまたの機会。
レバーを単発に合わせて、スコープを覗き、引き金に指をかける。



肩を撃ち抜くか掠められたらいいと、イメージした通りになったので、さっさと撤収することにする。

耳元でやんやとうるさい声が鬱陶しくて、イヤホンを外し、丸めてからポケットに突っ込んだ。

ケースに銃を戻して、背負い、ビルの外階段を悠然と下りる。
帰りは普通に非常扉から出ていった。


国道沿いまで戻り、ガードレールに腰掛けて待っていると、黒塗りのSUV車が横付けされた。

「おつかれちゃーん」

運転席から伸びてきた手にギターケースを渡して、受け取った相手と同じようににっこりと笑う。




手を振って車を見送った後は、ニット帽を可愛いくかぶり直し、イヤホンを取り出して耳に詰めた。
薄く聞こえてくる緊急車両のサイレンとは反対の、地下鉄の駅へと向かって歩いた。


今度は人混みに紛れるように、流れの真ん中に入って、周囲と同じ速度で進む。



来る時とは違う音楽を聴きながら、地下鉄の改札を目指した。