ただそれだけだ。
会長の顔を立てる必要がある分、こちらも慎重に対応するようになる。交際相手という存在は社会人生活を跨いでからは久々のもので、自分の中で、かなり優先順位の低いものになってしまっていることに気づいた。
そのころには当然のように携帯を見られたり、交友関係を洗い出されたり、頻繁な連絡を強要されていた。
またなのか、と思うよりも先に、義務のような息苦しさが生まれてしまう。
罪悪感のような何かが胸に響く。理由はよくわかっていた。
「橘専務?」
「あ、うん?」
「お疲れのご様子ですが……、紅茶でもお持ちいたしましょうか?」
「あー、ありがとう。お願いしても良いですか」
「はい」
大澤茜との縁談と同時期に付けられた秘書――佐藤柚葉は、よくできた精巧な人形のような女性だ。
俺と同じく新卒からこの会社に勤めて、まだ三年目だと聞いている。
淺野会長のお気に入りで、出会いは駅のホームだったらしい。慣れない電車の路線図を眺めていたところに声をかけてきたのだと言う。
この話は役員の中では頗る有名で、その時熱心に手伝ってくれた若者二人がうちを受けていると知って、会長がすべての試験をすっ飛ばして、採用したらしい。


