いつか夏、峰雲の君


  刹那、旋風。ヒマラヤを吹き抜ける南西風が、雪を、雲を、夏希をかき消していく。

 僕の視界が黒く塗りつぶされ、やがて突き抜けるは鮮烈なる日の光。

 目を開けると、そこには何もない。ただ永遠と広がる丸い雲海、そして——


『おい登吾! 返事しろよおい!』

「……こちら登吾、エベレスト登頂に……成功した」

『はぁ!? お前無事なのか、状況どうなってる!?』

「……」

『……どうだ、夏希はそこにいるか?』

「……うん」


涙が泉のように沸きだしていた、僕の心の黒を洗い流しながら——


「ねぇ勝平、どうしてこんなに遠いのかな」

『……遠かねぇよ。俺たちはいつも一緒だ。どこにいても、どんな時でも』

「……」

『帰ってこい登吾、俺はいつまでも待ってるから』


  やがて僕は、胸の内に入れていた手紙の封を切る。夏希に宛てた最後の手紙を、彼女に届けるために。


 今まで言えなかった言葉が、ここなら言えると思った。


「さよなら、夏希——」


  飛行機にして飛ばした僕の言葉はヒマラヤを上がる上昇気流に舞いあげられ、どこまでもどこまでも、遥か彼方の峰雲まで届いていった——