蛍まつりの翌日。
俺は木暮を誘って熊谷駅前から続く星川脇の通りににいた。
何時もは自転車で、上熊谷駅の横にある道を直進して叔父の事務所のある通りを進む。
だから殆どこの道には来ないのだ。
でも今日は熊谷駅側から出発することにした。


「みずほと来たかったんだ。どうしても見せたい所があってな」


「それが此処か?」


「そうだよ。第二次世界大戦中多くの犠牲者を出した星川だ。お前も聞いたことはあるだろう?」


「あぁ。確か百人くらい亡くなったらしいな」


「此処にある乙女の像って知ってる?」
俺の質問に木暮は首を振った。


「あれっ、あれじゃないの?」
木暮は熊谷駅前から国道に繋がる途中にある像を指差した。


「あっ、ごめん。もう一つあるんだ」
俺はそう言いながら、上熊谷駅方面に向かって歩き出した。




 俺が木暮を導いた場所。

それは、終戦の僅か数時間前に空襲を受けた熊谷の悲劇の象徴の像だった。


ゆったり流れる小川。
そんな言葉が一番似合うであろう星川。

熊谷空襲の最中、暑さしのぎで入った川。

灼熱地獄が人々を襲い、百余名が息絶えた川。

それはアメリカ軍による、常套手段だった。


まず周囲に焼夷弾や爆弾を落として、逃げ道を断った後中心部を攻撃する。


逃れる術のなかった。
熊谷空襲合計死者数二百六十六名。
その半数近くがこの川で犠牲になったのだ。


熊谷には飛行機の部品工場があるとアメリカ軍は信じていた。
特攻隊の訓練基地もあったから狙われたそうだ。




 そんな川を見守るように立つのが戦火の乙女の像だ。
其処は祈りが絶えない。
いくら平和な日本にしますと誓っても、未だになってないと痛感させてくれる場所だった。


その一つがみずほの事件だ。
好きな人をレギュラーにするために、俺を殺そうとしたのだ。
俺達は同じイワキミズホだ。
だからキューピッド様を遣る時、いわきみずほと書いたのだ。
俺が死ねば橋本翔太は安泰だ。
みずほが死ねば俺を試合会場から遠退けることが出来ると踏み、あのメールを送信したのだ。


――岩城みずほが学校の屋上から飛び降り自殺したらしいよ――
俺のガラケーの中には未だにあれが保存してある。
みずほの傷みを……
消すことなんか出来ないからだ。


それでも俺は星川の流れに手を合わせながら、平和の時代に生かされていることを感謝していた。




 「空襲があったのが十四日から十五日の未明だったから、多くの人は戦争が終わったことも知らなかったんだって」


「確かその日に天皇陛下のラジオ放送があったって聞いたけれど、そのラジオも空襲で焼けてしまったって紙芝居で見た記憶があるよ」


「へぇー、紙芝居何かあるのか? 俺は戦争と平和の展示会だった。講話とか、映像もあったよ」


「だからその事実を知った時きっとみんな、愕然としたと思う」


「きっとそうだな。そうだ。八月十六日に此処で灯籠流しがあるんだって、今度一緒に来ないか?」
俺の言葉に木暮は頷いた。


そんな話をしている時に気になる人を木暮が見つけた。


「おいあの人、何か様子がおかしいな。もしかしたらイワキ探偵事務所のお客様になってくれるかも知れないな」
木暮は俺に耳打ちをしてその人のいる場所へ向かった。




 「何かお悩みですか? この近くに元警視庁の腕利き刑事が探偵事務所を構えていますが……」
それは売り込みだった。
木暮はあの名刺を見せていたのだ。


「瑞穂、覚えているか? 俺に二つ名刺を寄越したこと?」
木暮の言葉に首を振った。


男性はイワキ探偵事務所に行くことになり、その旨を叔父に電話で伝えた。


「木暮は確か初めてだったよね。良かったら一緒に行ってみる?」
俺の言葉に木暮は頷いた。





 赤錆で覆われた階段を手摺も使わず上って行く。
その矍鑠(かくしゃく)とした姿に俺達は驚いていた。


「どう見ても年寄りだよな?」
木暮が耳打ちした。




 「電話があった時、もしやと思っていました。やはり貴方でしたか」
叔父は不思議なことを言う。
だって二人は初対面のはずなのだ。


「瑞穂、実はこの人を探していたんだよ」


「えっ!?」
言われた本人もキョトンとしたようだ。


「以前戦火の乙女像の前で泣いていたのをお見かけ致しました」


「そう言えば今日もだよな?」
木暮の言葉に頷いた。


「もしかしたらあの日此処に居たのでは?」
叔父の言葉を聞き、男性は頷いた。


「熊谷空襲のことですか? 確かにあの時、星川に寄りました」


「寄ったってことは惨劇は見ていなかったのですね?」


「はい。彼処を抜け出した後で幾つものダンマツマの声を聞き、腰を抜かしまして……」


「ダンマツマって?」


「ダンマツマの断は、断る。末は未解決の末。魔は悪魔の魔だ。死ぬ前に発する声だよ」
叔父はメモ用紙に断末魔と記しながら言った。
男性はその隣に浅見孝、久一と書いていた。
どうやら訪ね人らしいと感じた。


「私はそれが怖くて、それでも何とか体を引き摺って荒川を目指した。浅見孝一(あざみこういち)さんのお父さんが『荒川だ。荒川に行くんだ』って言ってくださいましたから」


「だから貴方は生きていられるのですね?」


「そう。だから浅見孝一さんにお礼が言いたくて、でも何処に住んで居るのかも知らなくて……」


「探してほしい人はその方ですか?」
叔父の言葉に男性は頷いた。




 「これは後で知ったことですが……。八月十四日午後十一時だったそうです。突然、熊谷空襲の幕が切って落とされたんだ。爆弾が雨のように降ってくる中を私達は必死に逃げた。私に言ったわけではない。ここまで連れて来てくれた看護婦達にだった。またみんなで逃げるために」
男性は終戦間際に熊谷があじわった悲劇を俺達に語り始めた。




 「その夜の八時。ラジオが、明日天皇陛下の重大発表があると報じたんだ。私は戦争が終わると直感した。日本は負けたと思ったんだよ」


「広島や長崎に原子爆弾が落とされたりしていましたからね」
俺は知ったかぶりをした。


「それは今だから言えるんだ。その頃はまだそんな話は伝わっても来なかった」


「えっ、そうなんですか?」


「それは私が行った先々で直面した、焼けただれた家や荒れ果てた大地が証明していた。特に東京は酷かった」
その言葉で、男性が東京に居たと想像した。
俺の脳裏に何時か見た東京大空襲の光景写真が浮かび上がった。


「面白いと言ったら語弊があるけど、地面から時々人の頭が出て来るんだ」


「わー、ヤだ!!」
木暮は兄貴の死に様を見たことがあって、体を丸めて縮こまった。
木暮の兄貴はデパートのエレベーターの前で首を切断されて亡くなったのだ。


「いや。脅かすつもりはなかった。防空壕が地下にあって人が出入りしているんだよ」


「なあんだ」
その言葉を聞いてやっと木暮は落ち着いた。




 「空から雨のように降ってくるんだ。逃げるしかなかった。皆病院に居た連中だから殆どが身体に傷を負っている。互いを庇いながら、それでも生きるために我を忘れて走り出した」
男性は熊谷空襲の語り部となっていた。


「火の粉が襲いかかったの時、『荒川だ。荒川に行くんだ』って聞こえたんだ。でも右も左も解らなくなっていた。『先に行って下さい。父と必ず荒川まで行きますから』『あっちだ!』その時、荒川方面を指さしてくれた。だけど私は……」


「逃げなかったのですか?」


「看護婦達は患者達を誘導して行ったよ。『みんながんばれ』って孝一さんは声援を送っていたんだ。その後で、まだふらふらの足で走って行った」


「一緒に行かなかったのですか?」


「いや、すぐに後を追った。だって荒川の場所を知っている人と一緒だったら間違いないと思ったからだ」


「頭いいですね」
又適当なことを言っていた。




 「でもそんなお父さんをめがけて焼夷弾が落ちてきた。その力で孝一さんも私も吹き飛ばされた。これまでかと思った。でも生きていたんだ」


「良かった」


「良くはないよ。孝一さんは慌ててお父さんの元に駆け寄った。其処そこで孝一さんの見たものは、半身になったお父さんの遺体だった」


「半身!?」
俺は思わず仰け反った。


「でも孝一さんのお父さんは、半身になって殆ど即死の状態でも自らの血で、やと記していた」


「や?」
男性はさっきのメモの隣に八重子と書いた。


「や、は八重子(やえこ)さんかな? 孝一さんのお嫁さんは確かそのような名前でした」


「探してほしいのは孝一さんと八重子さんですか?」


「はい。確か高篠村(たかしのむら)の浅見久(あざみひさし)と上着にありました。手掛かりはそれだけなのですが……」
男性は手元にあったメモ用紙に高篠村と書き込んだ。


「高篠村の浅見久ですね?」
おうむ返しのように叔父が確認すると男性は頷いた。




 「小さな川があって、孝一さんは吸い込まれるように川の中に入っていった」


「それが星川?」


「大勢の人が水を掛け合って熱さを凌いでいた。私はそんな連中を尻目に荒川を目指したんだ。その後、悲鳴が絶叫に変わった」


「話には聞いていたけど……」


「あぁ。俺も其処にいたら死んでいたな。でも結局生き倒れてそのままだった。でも孝一さんの竹筒が目に入った。水だと思い、名前を呼んだんだ」


「解ったのですか?」


「あぁ、『みんなは?』って言ってくれた。だから俺は『お願いだ、水をくれ』って言った。孝一さんは青ざめながら『分かっているのか、死ぬぞ』って言ってた」


「死ぬの?」


「そうだ。『だからそれでもいい。早く楽にしてくれ』って言ってた。私はその後で息絶えた」


「えっ!?」


「いや。私は生きていたんだ。でも彼は念仏を唱えた。死んだと思ったようだ」


「なあんだ。ビックリした。そうですよね? あの日死んでいたら今此処には居ませんよね?」
フッと誰かが笑った気がした。


「だからどうしても彼にお礼がしたい」


「解りました。何とか探してみます」
叔父は依頼を受けた。
木暮の機転で叔父は仕事にありつけたのだった。




 「叔父さん、戦争って何なのだろうか?」
依頼人が帰った後で俺は言った。


「解らない。多分大義名分だと思う」


「大義名分って?」


「行動を起こすための言い訳かな?」


「イヤだ。そんな理由では死んでも死にきれない」
俺の一言で其処にいる全員が黙ってしまった。