その時。
屋上のドアが開いた。


(みんなが戻ってきてくれた!!)

俺は嬉しくなって、其処に目を向けた。


「先生!」

でも其処いたのは松尾有美だった。


「先生、私やっぱり転校します」
いきなり有美は言った。


(やっぱり? 確か今そう言ったな? そうかきっと先生と継母のことを知って……自分が転校すれば迷惑がかからないと思ったのか?)

俺は何だか嬉しくなった。




 「磐城君、みずほの事聞いたわ。大変だったね。何て言ったらいいか……」

有美は泣いていた。


(そう言えば、二人は仲が良かったな。良く二人で練習が終わるのを待ってくれていたっけ)

それは有美がサッカー部のエースと付き合っていたからだった。
だからみずほと有美かは、二人で色々な話をしていたのだろう。


俺は何だかホンワカしていた。
俺とみずほのことも、先生と継母の恋も、全部知ってて応援してくれてると思っていたから。


この有美とサッカー部のエースとの恋があったから、俺とみずほも認められたようなものだった。
だから俺達は、仲良くして来られたのだった。


(あれっ、俺達の方が先に付き合っていたか……)

まあそんなことはいいとして、久し振りに有美に出会えたことを嬉しく思っていた。


でもその時、俺とは違う何かを感じ取っていた。




 それは有美の泣き顔だった。
そして未だに全く泣けていない自分に気付いたのだった。


悲しいのに、悔しいのに泣けないんだ。
涙が出て来ないんだ。


(俺って薄情者なのかな? 何で……何で泣けないんだ!?)

俺はもう一度……
みずほの遺体のあった献花達を見つめた。


あの日遺体の傍で、みずほのあじわった恐怖を感じて総毛立った。


(そうだ……あの時も俺泣いてなかったんだ)

俺はワナワナと震え出した。


(それでも俺は、みずほを愛していると言えるのだろうか?)

自問自答を繰り返す。


(みずほーー!!)

俺はみずほを感じようとして目を閉じた。


でも目を開けた時にも涙は零れ落ちなかった。



 俺はサッカー部のグランドにいた。
監督に暫く休部することを伝えるためだった。


(みずほの事件が解決するまで、サッカー休ませてくれるかな? 今のままだとサッカーどころじゃない!!)

体も心も悲鳴を上げそうだった。
俺からサッカーとみずほを取り上げたら何も残らない。
解ってはいても……





 隣のクラスの橋本翔太がレギュラーの座を射止めたと噂では聞いていた。
みずほの事件があった日に、大活躍して監督から認められたそうだ。


でも今はみずほのことで精一杯だった。


(監督が聞いたら怒るかな?)

俺は内心では、ドキドキしていた。




 「おっ、磐城。彼女のこと聞いてるよ。大変だったな」

俺が挨拶する前に、監督が言ってくれた。
その好意が嬉しくて、俺は深々と頭を下げた。


「ま、頑張れや。俺はお前に期待しているからな。本音を言えば……ま、気にするなよ。お前にもう少し身長があれば申し分ないんだけどな」

痛いとこを監督は突く。


「俺、やっと160越えたんです。これからもどんどん伸びて行くつもりなんですが……」
俺は肩を落として言った。


「ま、気にするな俺はもっと低いから」

監督は俺を慰めるように言ってくれた。
俺は頷きながら、監督の一言一言に励まされる自分に気付いていた。


教室に戻る前に、グランドに一礼をする俺。


「その精神を忘れるなよ」
監督が言う。


何時もありがとうと言う心。
サッカーにも、グランドにも、仲間にも……
監督は何時も教えてくれていた。


(そうだ。今まで気付かなかった。それ程監督が大きい存在だったんだ)

その時俺は思った。
監督のような人になりたいと。


(俺って……なんて器の小さな人間なんだろう)

校舎に戻る途中、監督を見て思った。




 教室に行くと松尾有美が待っていた。
何やら頼みことがあるようだった。
転校のこと、みずほのこと。
それからこれから先のことなど、色々と相談したいと打ち明けられた。


俺に何が出来るかは解らない。
でも出来る限り力になろうと決めていた。


だから俺達はこれからカフェに行くことにした。


でも二人で居るところを見られたらマズいと思った俺は松尾有美だけを先に帰した。


恋人を亡くしたばかりの俺が有美の傍に居た。
そんな噂がエースに伝わったら気を悪くするだろうと思ったからだった。




 待ち合わせ場所は探偵事務所の近くにした。
叔父さんにも話があったからだった。


探偵事務所にアルバイトとして雇ってもらっている俺。
いくら哀しいからと言っても、何時までも休んでいられないと考えていたのだ。




 少し遅れて待ち合わせ場所に行くと、有美は手鏡を見ていた。
俺はその鏡に映る有美を無意識に見ていた。


(あ、ヤバ……つい癖が出た)

そう、みずほのウインク。


でもその時有美が、俺に向かって鏡越にウィンクをした。
思わず、ドキンとした。
そして俺は、戸惑いの中にいた。


ドキドキしていた。
みずほの可愛い仕草と重ねて、胸が張り裂けそうだった。
俺のプレゼントしたコンパクトのミラーに映る、みずほの飛びっきりの笑顔とウインク。
ハートがキュンと疼く。


みずほの居ない寂しさに押し潰されそうになった。


「ゴメン。みずほの真似しちゃった」

ペロリと舌を出す有美。


「知ってたのか?」

俺の質問に有美は頷いた。


「アツアツみずほのラブコール。知らない訳がないでしょう」

有美は笑っていた。




 「みずほに聞いたんだ、保育園時代のオムツ事件。みずほね、運命の人だって言ってた」


「運命の人!?」


「そうよ。瑞穂君地区対抗の運動会の時キスしたんだってね? みずほ本当はビビって来たんだって」


「えっ!?」
初耳だった。

まさか……まさか!?

みずほにそんな風に思われていたなんて……


「でも……気が付いたらビンタしていたって」


(うん……そんなこともあったな)

俺は、みずほに叩かれた方の頬を触っていた。


どうしても解らなかったことが……
今明るみになる。


(やはり俺は……本当にみずほに愛されていた。この恋は……独りよがりではなかったんだ)




 「みずほね。ビンタした後で、物凄く衝撃受けたんだって。そして気付いたんだって、ずっと意識していたことを」


「でも……その後も俺、ずっとビンタされ続けていたけど」


「恥ずかしがったみたい。みずほも女の子だからね」

有美がみずほの恋を語ってる。
俺は心地よいおとぎ話を聞いているかのように、うっとりとしていた。


「だからみずほ……」

有美は急に涙ぐんだ。


「だからみずほ、思いっきり愛そうって決めたんだって」


「そうかだから積極的になったのか。でも俺、本当は恥ずかしかったんだ」


「そのきっかけは私と彼氏の出逢いだったらしいけどね。みずほは磐城君にキュンバクだったらしいの」


「キュンバクか? そういやーみずほ言ってたな。有美に勇気を貰ったって」


「ほら彼氏ってエースじゃない。周りがうるさくて。でもストレートに言ってみたの『大好きだから付き合って下さい』って」


「でも彼氏も陰で言ってたよ『ずっと気になっていたって』さ」




 「えっホント!? マジヤバい! 泣いちゃうよ」
有美はそう言って本当に泣き出した。


俺は……
有美が物凄く羨ましくなった。

だって……
悲しい時には勿論、嬉しい時にも泣けるだもん。




 泣いたり笑ったり、くるくる表情を変える有美。


(ヤベー。こいつマジ可愛い!)
俺は興奮していた。


(イケねー。みずほに対して不謹慎だった!)

俺はドキマギしていた。


まさか、まさか。
有美がこれほど魅力的だったとは。


プロリーグからお呼びがかかる程の技を持った校内一のエースが惚れ込むだけのことはある。
俺はマジで思っていた。


悪い噂を耳にしたこともある。
有美が女の魅力をフルに発揮してエースを射止めたなどと言う根も葉もないことだった。


(こんな可愛らしい仕草を見せ付けられたらエースも形無しかもな)

有美を見ながらそう思った。




 有美はもう一度手鏡を出した。
そして鏡越のウインクをくれた。


「みずほの気持ちが良く解る。実は……」
有美はそう言いながら勿体ぶる。


俺は次の言葉を待った。




 「みずほのコンパクトに憧れてね。彼氏に買って貰ったの」
有美はそう言いながら、手鏡を使ってもう一度ウインクした。


(おいおい……何もそんなに真似しなくても。ヤバい!! ヤバいよ……俺、本気になりそうだ!!)

でも有美にはサッカー部のエースが付いてる。

とても太刀打ち出来やしない。


(みずほ……お願いだー。俺を助けてくれ)

虫のいいことだとは解っている。

でも俺は必死にみずほに救いを求めた。


(もし……本気で惚れたら、俺に待っているのは地獄の日々だけなんだ)


有美はそんな俺を後目に、手鏡を大事そうに鞄にしまった。


誰もが憧れるサッカー部のエース。

その彼女の有美。

馴れ初めなんかは知らないけど、二人の噂は良く耳にしていた。

だから俺も堂々と、みずほと付き合っている事を打ち明けられたんだ。
監督以下、全てのサッカー部員に。

だから有美は俺達の、恋の女神だったのだ。


「みずほ、本当はスマホにしたかったらしいの。でも着信音が……とか言ってたの。チャペルの鐘の音なんだってね」
有美はそう言いながら又鏡に向かってウィンクした。




 俺達はカフェのテラス席に座った。


「転校は先生のため?」

有美は驚いたような顔をした。


「知ってるの? あっ、そうか。だったら早いわ」
有美はそう言いながら、先生のツーショット写真を見せた。

グレーのスーツの女性と紺の上下の先生。


それは《イワキ探偵事務所》の封筒に入っていた。


「誰にも言わないでね。パパ、これを見て心臓麻痺を起こしたの」


(えっ!? 心臓麻痺?)

俺は思わずコンパクトに手を持っていった。


「いい気味よ! 先生と結婚が決まっていたママを、パパは無理矢理奪ったの」


「確か……君の本当のママが亡くなったからだって聞いたけど」


「パパは私の面倒をみるのがイヤだったの。でもパパ酷いの。財産分与のこと親戚に言われて、ママを籍に入れなかったの。戸籍取り寄せてみて解ったことなんだけど……」


(えっ!?)
俺は言葉に詰まった。


(ってゆう事は……こき使われだけこき使われて、ポイか!)

俺はだんだん腹立たしくなっていた。




 「パパ、浮気だって騒いで興奮して……そのまま入院したみたい。でもね、そもそも夫婦じゃないんだから……」
有美は笑っていた。


「お願い、協力して。恋人同士復活させようよ」

有美の提案を俺は即座にオーケーした。


こんな可愛らしい有美にお願いされたら、日本中の男が協力するって。

俺はマジに有美に惚れ込みそうだった。


みずほに悪いと思いながらも、俺は有美を見ていた。


有美もそれとなく気付いたらしく、しきりに焦らしてくる。

有美は自分の魅力を知っているようだった。

もしかしたら、その手でエースを堕としたのか?


(ヤバい! 本当にヤバかった!)

俺は次の瞬間。
自分を取り戻していた。





俺はみずほの事件のために行けなくなった探偵事務所に向かおうとして一旦席を立った。


(そうだよ。そのために此処を選んだんだった)

俺は有美には悪いと思ったが、一度は訪ねなくてらいけないと何時も思っていたのだった。

でも実は叔父さんには何も言っていなかったけど……


一旦は席は外した。
でも何か気になって、もう一度カフェに行った。


虫の知らせと言うか……
俺の直感が蠢いた。


ってゆうか……

みずほのコンパクトが反応していたからだった。


(何かがある!?)

俺の直感もそれを感じていた。