「松尾有美さん。お父様がお亡くなられたそうです。大至急ご自宅にお戻りください」
教室のドアが開いたと同時に入ってきた事務員が言った。

(えっ!? あっ、やっぱり……)
驚きながらも覚悟していた。実は私はこの時を待っていたのだ。

私が朝出掛ける時、父は苦しそうだったからだ。
それなのに私はそれを無視して学校へ向かったのだった。


 担任を見ると明らかに動揺している。
私はそんな姿を傍観していた。

「ほら松尾何をしている。早く仕度して帰ってあげなさい」
それでもそう言ってくれた。

「あっ!? すいません、ボーッとしてました」
私はそう言うが早いか、鞄に荷物を詰め込んだ。

「覚悟はしていたけど、やっぱり辛いね」
私はクラスメートにそう言い残して教室を出た。


 この死を仕掛けたのは私だ。
登校前に玄関で、継母と元カレの浮気現場の写真を見せつけてやったんだ。
その相手は私の目の前にいる担任だ。
だから思わず見てしまったのだ。

実は二人は結婚する予定だった。
父は女性と無理矢理関係を持ち、強引に結婚してしまったのだった。


それは実の母が亡くなってあまり日が経っていない頃だった。
家政婦代わりにと思い、気配り上手な部下に手を出したのだ。


母が病の淵にいた頃に雇っていた中年の家事代行員には暇を出した。
その上で……
会社に大事な書類を忘れたと嘘を言い、誰も居ない家に届けさせたのだ。


その後、殆ど拉致に近い状態で家に引き摺り込んだのだった。
それは勿論、家の中の雑用をやらせるためだった。




 私がその事実を知ったのは、高校の入学式の日だった。
継母の動揺と担任を避けるような態度をしながら、それでも時折愛しそうに見つめていたのだ。


でも担任は最初気付かなかったようだ。
継母が濃き使われて、結婚させられた当初とは外見が変わり過ぎていたからだった。
ホンの僅かの間に、継母は別人のようになっていたのだった。
頬はこけ、顔色も悪かった。


それでも私には優しかった。
疲れきっているのに、家庭教師の代わりもしてくれていた。
それも多分父からの命令だと思う。
父はドケチで、私のために教育費など掛けたくなかったのだ。




 その事実を知り、私は父を恨んだ。
そして殺害計画を実行したのだ。


でも、父の死の真相が本当にそれなかは解らないけど……


(いい気味だ)
私は悲しげな顔をしながら、心の中では父を蔑んでいた。





 家に戻ると継母が待っていた。
私は案内されて一階の和室に入った。


煎餅蒲団の上には薄べったくて、冷たいシートが敷いてあった。


「ドライアイスみたいなの」
継母は言った。


流石にベッドパットじゃみっともないだろうし、マットの上にも寝かせられないだろう。
何処やらで調達したであろうと、その寝具を見て思った。




 「どうして急に亡くなったの?」
私は肝心要の質問をした。
もし、心臓麻痺だったら、間違いなく私は殺人者なのだから……


「突然死。なんだって」


「えっ!? 突然死?」

てっきり心臓麻痺だと思っていた。
私のせいで死んだのだと思っていた。
でも違っていたみたい。
その突然死に心臓麻痺も含まれているかも知れないけど、私は胸を撫で下ろした。


(良かった。誰も気付いていない。助かった)
私はその場で黙りを決めることにした。




 「過労死じゃないのかだって、部下の方が言っていたわ」

過労死と聞いて思い出した。
何時も会社のために走り回っていた姿を。


「バカみたい」

私は思わず言っていた。


今から思うと、全て父が家族を顧みなかったせいなのだ。
私が父を心臓麻痺に追い込もうと考えたのだって、全て其処からきているのだと思った。
自分の犯した罪を正当化させようとしているだけだけど……


「そう言えばお父さん、会社のために身を粉にして働いていたからな」

私は保身のために話を合わせることにした。
ズルいって、自分自身が一番解っているけど……




 枕元に供えられた御膳の上には山盛りのご飯に箸が刺さっていた。


(そう言えば子供の頃、母に叱られたことがあったな)

父を死に追いやった苦し紛れか、何故かそんなことを思い出していた。


「有美ちゃんこのガーゼでお父さんの口に水を含ませてあげて。末期の水って言って、とても大切な行事なの」
継母はそう言いながら、茶碗に入れた水を渡した。


「会社の人が皆で手配りしてくれたから、葬儀は早く済むみたい。埋火葬許可証はさっき届いたの。通夜は明日。告別式は明後日だって」


「えっ!? そんなに早いの。そうだお母さん、私も喪服を着るの? 黒い服なんて持っていないわ」


「着なくてもいいんじゃないのかな? 有美ちゃんは高校生なんだから制服が一番だと思うな」


「あ、それなら買いに行かなくてもでいいのね」

継母はそっと頷いてくれた。




 「有美ちゃん。雀と燕の言い伝え知ってる」

私は首を振った。


「雀と燕は昔は兄弟だったんだって。あれっ、姉妹だったかな? ま、それは抜きにして……」

継母は少し間をおいてから再び話し始めた。


「二人の元に母親が亡くなったと悲報が届けられたの。雀はすぐに実家に向かったの。でも燕は喪服を誂えてから行ったそうよ」


「えっ!? そんな……」


「有美ちゃんも解った。燕も一刻も早く駆け付けるべきだったの。父親はそのことに激怒したの。そして雀にはお米を食べることを許したけど、燕には虫だけ食べて暮らすことを言いつけたの」


「つまり、葬儀で大切なのは服装ではないってことなのね」


「そうよ。肝心なのは、その人を見送る心構えってことよ」


継母は優しく、私に語ってくれた。
それは、急な訃報を受けて気が動転しているはずの私が喪服の話しをしたからだ。
もしかしたら、継母は何かを感じ取ったのかも知れない。




 「お母さん。これからどうする?」


「どうするって?」


「お父さんが居なくなったのだから、もう自由よ」


「有美ちゃん、そんなこと考えていたの?」


「だって……」
私は泣いていた。父のための涙じゃない。
継母を哀れんでいたのだった。


「有美ちゃん。お父さんは素晴らしい人よ。仕事は出来て頭はキレるしね」


「でも、そのせいでお母さんは」


「私が犠牲になったと思ったの?」

思わず私は頷いた。


「ありがとう。有美ちゃん」

初夏だと言うのにアカギレている手で私の手を握った。




 継母には言えない。言えるはずがない。
担任との浮気現場の写真を撮るために探偵事務所に依頼したことや、その証拠画像を父に見せたことで発作に繋げた作戦を……


継母にそのことに感付かれないようにしなくてはいけないと思っていた。
私は本当にズルい娘だったのだ。




 通夜の準備のために遺体は市内にある斎場に運ばれた。
其処で葬儀も執り行われる手はずだった。


「後は私達がやりますから、奥様とお嬢様は控え室でお休みください」
社員らしき人が言った。


そんなこと言われても休んでなんかいられない。
きっと死因は何かが話題に上るはずだから……


「ありがとうございます。でも此処に居させてください」


私はそう言った後で、邪魔にならない場所で父を見ていた。
悲しみに打ち沈んでいるような顔付きを意識しながら……




 「お父さん残念だったな」

式場で担任が心配してくれている。
本当は元の恋人の傍に付いていてやりたいのだと思いながら二人を見ていた。


私が気付いていないと思っているのだろう。
二人共立場をわきまえた対応をしていた。


「松尾。忌引きは欠席にはならないから……」

担任はそう言葉を掛けてから通夜の会場にいた学校関係者の元に向かった。


私はまだこの時、親友に降り掛かった悪夢の連鎖を知らずにいた。
勿論担任も知らないはずだった。




 「松尾。頑張れよ」

担任は優しく声を掛けてくれる。
本当はかっての恋人を心配しているのだと思ったけど、何も知らない振りをすることにした。


親戚の手前、担任の傍にいけない継母。

本当は元の恋人に甘えないのだろうと思う。


「先生。実は私、転校を考えてます」
担任の元へ行き、私はそう呟いた。
キョトンとした顔が何を意味しているのか、私は知っていた。




 黄泉の国への旅支度が整い、遺体は棺にいれられた。
遺体の入っていないのが棺で、入っているのが柩なんだって……
何時かそう聞いたことがある。




 通夜の会場に恋人が来ていた。
きっと練習を途中で切り上げて寄ってくれたのだと思った。


継母が気付いて私に目配せをしてくれた。
でもその場から立ち去ることが出来ないから、そっと頷いた。
父にはまだ話していなかったけど、継母には紹介していたんだ。
私のエースを……




 高校に入った時瞬惚れした彼は、サッカー部のスター選手だった。


私にはみずほと言う親友がいた。
彼女はサッカー部のエース候補と付き合っていた。


人が羨むほどの物凄いラブラブだった。




 彼女の名前は岩城みずほ。
彼女の恋人の名前も磐城瑞穂。
そう二人共、いわきみずほだったんだ。


磐城君は中学時代背番号《10》を付けていた。
以前のサッカーのエースナンバーだ。
今ではスーパースターが付けている番号がそれになるようだけど……


二人の馴れ初めやエピソードは保育園時代から知っている。
でもまさか犬猿の仲だった二人が、ラブラブカップルになろうとは……


だから尚更二人に興味を抱いたんだ。
私も何時の間にかサッカー部を応援していたのだった。


その行為が彼との出逢いを演出してくれたのだ。


彼を見た途端にビビっと電機が走った。
その瞬間。
私は完全に彼の虜になっていたんだ。




 私はみずほの横で彼を見ていた。
みずほの彼ではない。
私は私だけのエースを見つけたんだ。
その人は、磐城君の隣でプレイしていた。


みずほには悪いけど、磐城君より他の誰より格好いい。
サッカーの技術だってプロの選手と変わりなかった。
それほど彼のサッカーセンスは抜群だったのだ。


私はこの時、彼の恋人になろうと思ったんだ。




 校則違反ギリギリな、ちょっと汚い手も使った。
ウチの学校やたらと煩くて、化粧も禁止しているんだ。
だから陰に隠れて、可愛らしい女性に変身してから彼にアピールしていたんだ。
みずほが磐城君の彼女だって知っていた彼は何の違和感もなく、私に話し掛けてくれたのだった。


私はこの時ぞばかりに可愛らしい女性を演じて彼の気を引いたのだ。


そんな努力の甲斐があって、彼は私の魅力に堕ちてくれた。
そして愛してくれた。


デートの度に甘い言葉を囁かれ、私は益々ヒートアップしていた。




 みずほは磐城君から贈られたコンパクトを自慢していた。
だから私は彼におねだりをして、併せ鏡をプレゼントして貰ったんだ。
私はその鏡でみずほの真似をした。


鏡から映し出される私のウィンクに彼の恋心が燃え上がることを期待して、更に愛してもらいたかったのだ。




 継母と二人で家の祭壇に遺影を飾っていたら、突然スマホが鳴った。


――岩城みずほが学校の屋上から飛び降り自殺したらしいよ――

そのメールにはそう書いてあった。


「えっ!?」

私は目を疑って、何度も何度も手で目をこすってみた。
それでも、やはり文面は変わらなかった。


「そんな馬鹿な、みずほが自殺するはずがない」


「えっ!? 自殺って……今確かにそう言って」


「そう……大事な友達が死んだらしいの。お継母さん。ちょっと学校へ行って来るね」

そう言うと、私は大急ぎで自転車に飛び乗った。


でも私が学校に着いた時にはみずほの遺体は御両親の手によって自宅へと運ばれた後だった。
瑞穂君の提案によって、その後でみずほの解剖が行われた事実を私は知らずにいた。


きっと辛い選択だったと今なら言えるけど……


みずほの葬儀には参加したけど何も出来ずに、そのまま家に帰った。
でも、磐城君のことが心配で翌日学校を訪ねてみることにしたのだった。


職員室に行ったら、屋上に居ると告げられた。
私はその足ですぐに向かった。