「いや、なにこれ?」

 夕方、兄の第一声。
 うふふ! ですよね! そう思いますよね!
 ヴィジュアル的には人面樹ですもんね!
 両手もついているし、顔も怖いからとりあえず最初は身構えますよね! 分かります!

「しかも喋るんですよ!」
「普通に魔物の類じゃねーか!」
『失礼な! これは木の精霊! 土地と食べ物、そしてユニーカの魔力を気に入ってここに住む事にしたのだぞ!』
『ソウヨ! アタシ、ココ気に入ったんだからン!』
「…………メス?」
『樹木に雌雄の概念を求めないデ! 女の子って言ってヨ!』
「なんっじゃそりゃぁぁあああああっ!」
「に、兄さんどうしたの? なにをそんなに戸惑ってるの?」

 ローズさんと名乗った精霊は、木の精霊。
 人間との契約はしていないけれど、シャールと契約してここに住む事にしたらしい。
 精霊が増えるという事は加護や恩恵が増えるという事だ。
 でも、ローズさんを精霊と分からない魔力のない人からすると……確かに見た目が少し怖いかもしれないけれど、木の精霊なだけあってとてもすごいのよ!

「ローズさんはすごいのよ、兄さん! 植物ならなんでも育てられるの! 見て! 小麦粉も袋を植えたらほら!」
『ポーン!』
「口からなんか出たぁ!? は!? 小麦粉!?」
『ちゃーんとすり潰しておいたわヨォ』
「………………」

 木製のコップいっぱいに入った小麦粉!
 ローズさんはこの小麦粉の味が気に入ったらしくて、口の中に量産して蓄えてくれているのだ!

「これでわざわざ町に買いに行かなくてよくなりましたね、兄さん!」
「……うん……というか、町の人が寄りつかなくなりそう……」
「え? なんでですか?」

 兄さんはそう心配していたが、町の人たちはちゃんと説明すれば信じてくれると思う。
 信じてくれる、というよりも、普通の人にはそもそも精霊が見えない。
 なんにしても、ローズさんが畑を管理してくれるので作物が育ちやすくなった。
 色々なものが翌日には収穫出来るようになったので、町の人たちにもお裾分けしよう!
 そう兄さんに提案したのだけれど、需要と供給のバランスが崩れてしまうのと、ローズさんの負担を考えて必要最低限にしろ、と言われてしまった。
 確かに、普通の人には精霊が見えないのだからなんでもかんでも作って配ると怪しまれてしまうかもしれない。
 野菜を作って売っている農家の人にも迷惑がかかる。
 ローズさんもここに来たばかりだし、今は土地がしばらく使われていなくて栄養が潤っているけれど……それがずっと続くわけではない。
 さすが兄さん、そこまで考えているなんて!

「あ、そうだ。パン屋の女将さんにお礼をしようと思ってたのよ!」

 小麦粉は昨日からローズさんが生産してくれるようになったから、森に木の実を採りに行こう。
 父さんは隣の土地の手入れ、母さんは最近機織りの仕事に出ている。
 兄さんは石鹸の生産と販売の話し合い。
 わたしだけが相変わらずまともに仕事が出来てないのよね。
 いや、お掃除やお洗濯はやってるんだけど……でも、なんか……そういうのではなくて……わたしも、手に職をつけて家族のためになにかしたいというか……。

「はぁ……」

 森に入って木の実探す。
 パン屋の女将さんに教わった、森で食糧を採取する事。
 森は木を切って手入れをして、その切った木は解体して木材や薪にする。
 平民はそうやって生活するんだって。
 わたしは知らない事ばかり。
 もう貴族としてやっていけないのだから、平民としての生き方をもっと覚えなければいけない。
 町の人たちに、もっと生き方を教わらなければいけない……。
 わたしになにが出来るのか。
 精霊と話が出来る魔力を持つ、元貴族のわたしだから出来る事が他にもあるんじゃないかな?
 でも、それは平民としての生き方なのだろうか?
 いえ、生きるためには必要な事よね。うん。

「……」

 でも、魔力は貴族の特権。
 殿下はなぜ、魔力を持つわたしたちを殺しもせずに放逐したのかしら?
 たとえばわたしが平民と結婚して子どもを産めば、その子どもが魔力を受け継ぐ事になる。
 そうなれば平民に魔力を持つものが増えて、平民も精霊と契約して精霊の加護や魔法を得られるようになるかもしれない。
 王族だけでなく、貴族にとっても避けたい事のはず……。
 やはり野垂れ死ぬと思って……?
 いえ、そんな曖昧なものに頼るような人ではない。
 では一体なぜわたしたちを身分剥奪という中途半端な状態で放置したの?
 兄さんがなにかしたのかしら?
 ……ありえる……。

「まあ、考えてもしかたないか……あら?」

 あ、木苺!
 これは確かジャムに使えるって、女将さんに教わっ──……。

「…………え?」

 喜んで近づいて、採取しようとしゃがんだ瞬間その茂みの中から手が生えている事に気がついた。
 手……手だ。間違いなく、手。
 五本の指があり、やや薄い白っぽい手。
 そしてとても小さな……。

「手!?」

 驚いて茂みの中を覗くと、茂みの後ろに子どもが倒れていた。
 黒い羊のような角が生えた、黒髪の子ども。
 ま、待って、つ、角……角生えて……!

「…………」

 これがわたしとヘレスとの出会いだった。


 ***

 
 その子はあちこち怪我をしていて、角もあって、髪も黒い。
 でも赤い血が地面を汚していた。
 赤い血……その色は、わたしたち『人間』となにも変わらない。
 木苺を採るのを中断して、わたしはその子を背負うと家に帰った。
 けれど、うちにはなんにも手当てする道具も薬もない。
 隣の土地の整備をしていた父さんに相談したけれど、父さんも手当ての仕方なんて知らないと言うし……。

「どうしよう」
『どうして拾ってきてしまったのだ? 魔族なのだ、この子』
「や、やっぱりそうですよね……」

 シャールにもそう言われてしまった。
 分かってはいたけどやはりそうなのか。
 どうしよう、困ったわ。

「でも放って置けなかったの。まだあたたかいし、わたしたちと同じように赤い血が流れていて……」
『ユニーカは優しいのだね。でも、魔族は精霊を嫌いなのだ〜。精霊も魔族が嫌いなのだ〜』
「そう、ですよね」

 そうらしい。
 理由は魔族が『肉体を持った精霊』だから、と言われている。
 人間と恋に落ちた精霊が、その恋を成就させるため受肉した結果『魔神』が生まれた。
 精霊たちはそれを嫌悪し、魔神もまた『愛を理解しない者』として精霊を嫌った。
 けれど、そこまでして人間との恋に狂った精霊は寿命まではどうする事も出来ず、愛した人と死に別れてしまう。
 魔神は悲しみで魔法を暴走させ続け、魔物を生み出した。
 人と精霊は恐ろしい『魔神』を生み出してしまった責任を取るべく手を取り合い、『魔神』を五つの魂に引き裂く事に成功。
 それが『魔王』の始まり。……『魔族』の始まりだ。
 だから精霊は特に魔族を忌み嫌う。
 罪の形そのものだと思っているのだ。
 ……けれど……。

「でも、まだ子どもだし……」
『まあね。仕方ない、わがはいも魔族は好きじゃないけど、子どもとユニーカは好きだから、怪我が治るまでは屋敷にいてもいいのだ』
「ありがとうございます、シャール!」

 よし、シャールから許可をもらった!
 この子を家に置いてもらえる事になったから、薬と手当てする道具を買いに行こう。
 あ、買い物をするには売るものを持っていかないと!
 なにを売ればいいかしら?
 小麦粉? 小麦粉しかないかな? よし、小麦粉を持って行こう!

「…………えっと……薬屋さんは……」

 どうしよう、町には一人で来れるようにはなったけど、兄さんに教わったお店以外となると記憶が朧気だわ。
 あ、そうだ! パン屋の女将さんに聞けばいいんだわ!

「?」

 パン屋さんにいく途中、広場に子どもたちが集まっているのが見えた。
 立ち止まると、パン屋の息子であるディンルが子どもたちにパンをちぎって与えている。
 ちょうどパン屋さんに行くつもりだったから、なにをしているのか聞いてみようかな?
 そう思った時、たまたまだがディンルと目が合う。

「あ、なにしてるの?」
「ユニーカさん」

 えーい、この際だし聞いちゃえ。
 広場に入ってディンルと子どもたちに声をかける。
 小さな子たちはわたしの存在を確認後、パンに目線を戻す。
 ガブガブと、パンに夢中。
 ……なんかとっても、お腹が空いてるみたい?

「近所の子たちに昨日の売れ残りのパンをあげてるんだ。最近不作が続いてて、税金も重くなったから大人はみんな朝早く夜遅くまで働きに出ててさぁ。特にこの子らの父親は隣の大きな町や王都まで出稼ぎに行ってるから、母親がこの子らの飯を作るところまで手が回らないんだってさ」
「それで昨日の売れ残りを?」
「うん。本当は焼きたてを食わせてやりたいんだけど、うちも商売だから。売れ残りも本当は出したくないんだ。けどさ、腹を空かしてる子を放っておくのも……なぁ」
「そうなのね」

 生きていくためにはお金を稼がなければいけない。
 しかし、子どもがいる家庭は、子どもの食事の世話も出来ないほど働かなければ生活にも苦労する。
 これが平民の生活……。
 ディンルが言うには、十五、六歳くらいの大きい兄や姉がいる家庭は、ここまでではないらしい。
 けれど、みんなが苦しいから、どうしてもこうして食事も満足に食べられない幼い子どもが出てしまうんだそうだ。
 これは、深刻な問題なのでは……。
 国からの支援、と口に出かけて慌てて噤む。
 元貴族とはいえ、今のわたしにはそんな事を偉そうに口に出来る立場にないのだ。
 兄さんでさえ日々コネ作りに勤しんでいるというのに、こんな事になってしまったきっかけのわたしが一体なにを言えるというのだろう。

「ユニーカさんはどうしたの?」
「あ、女将さんに聞きたい事があって……、……そうだ、ディンル、薬屋さんがどこにあるか教えて欲しいの」
「薬屋?」
「ええ。実は怪我をした人を拾ってしまったのよ。手当てしたいんだけど、わたしではやり方もよく分からないし、家には常備薬もないしで困ってて……」
「怪我をした人? 町の人?」
「いいえ、多分違うわ。だから町の人に迷惑にならないように、わたしが最後まで面倒見るつもり。どんな人かまだ分からないものね。薬を買ったらすぐ家に帰るわ」
「そうか……。ちょっと待ってて」

 そう言ってディンルは子どもたちに簡単に事情を話すと、すぐ戻ってきた。
 どうやらわたしを案内するために、あの子たちに「この場を離れるからいい子に待っているように」と指示を出してきたらしい。
 はぁー、ディンルもまだ十二、三歳くらいなのに、とても立派だわぁ。
 わたしもディンルのように、この子たちになにかしてあげられる事はないかしら?

「行こう、こっちだよ」
「はい、よろしくね」

 いけない、いけない。
 せっかく案内してくれるのに、考え込んでしまうところだったわ。
 ディンルに案内されて町の中央部にある、店が建ち並ぶエリアにやってきた。
 と言ってもほとんどが屋台。
 王都のように店舗が建ち並ぶわけではないのよね。
 もっと言うと、元々が『町』とは到底呼べない規模だから屋台の後ろにある家々はレンガなど使われていない、木製。
 王都の貴族の家はレンガ製。
 でも、その屋台エリアを突っ切って一軒の緑屋根の店舗に案内された。
 中に入ると色んな薬草が天井から吊るされている。

「いらっしゃい」

 そのお店の店主さんに事情を説明すると、快く傷薬や止血薬、痛み止めのお薬を売ってくれるという。
 けれど小麦粉を手渡そうとしたら困った顔をされてしまった。
 物々交換は構わないけれど、小麦粉からパンを焼く時間がないと言われてしまったのよね。

「それなら、一度俺の家に行って母さんに小麦粉とパンを交換して貰えばいいんじゃない?」
「そうか! それならパン屋さんも売れ残りがなくなりますね!」
「うん」

 素敵!
 ディンルの提案に手を叩いて喜んでしまったけれど、なるほど!
 平民はこうして生活を潤滑にしているんですね!
 お互いがお互いの得意な事、出来る事をやって、助け合う。
 貴族社会は足のひっぱりあいだから、とても新鮮だわ。
 いえ、感動よ!