「あ、肉」
「「「「肉?」」」」
「魔物の肉だよ。前に森から出てきたやつを、お前が倒しただろう? あれ、血抜きしたあと町の人たちとどーにかこーにか解体して食ったけど、あれ美味かったよなぁ」
「ああ! 本当に美味しくて驚きましたね!」
「え? ま、魔物の……?」
「ユニーカさん、シュナイド……あ、あなた方、魔物の肉を食べたんですか?」
「はい!」
「ヘレスが美味いというから、興味本位で塩と胡椒で簡単に味付けして焼いてみたらこれがもう!」
とてもとても美味しかったのだ。
わたしも手を叩いてにこにこしてしまう。
あの気持ちの悪い姿形からは想像も出来ない美味な脂身。
ほとばしる肉汁に、噛めばとろける繊維。
貴族時代に食べた、どんなお肉とも違う独特の旨味……。
あれは、なんと表現したらいいのでしょう?
旨味の塊?
「美味しかったです……また食べたいです……」
「うんうん、あれは万人共通で美味いと思うぞ!」
「ですよねー」
にこやかにわたしたちに同意してくるヘレス。
そうね、ヘレスが「魔物のお肉は美味しい」と教えてくれなければ、絶対食べようなんて思わなかった。
あれは間違いなくヘレスの助言のおかげ。
魔物のお肉は美味しいです!
「ま、魔物の肉……今食べる事は出来ないのか?」
「えっ、殿下食べるつもりですか?」
「二人がここまで言うのだから、美味いのだろう。それが本当ならば交易の品としては……まあ……」
「確かにあのお肉がまた食べられるのは嬉しいです!」
「本当? ユニーカさんが食べたいなら、用意しますね。でも、今はユニーカさんのお弁当が食べたいです」
「あ、ごめんなさい。今配りますね」
バスケットを開けたままだったんだ。
入れてきた布ナプキンにサンドイッチを包み、各々の前に置いていく。
ふと、イリーナの前にもサンドイッチを置いた時。
彼女が突然テーブルを叩いて立ち上がった。
「なんでよ!」
そう叫んで、わたしの手を掴むと「ちょっと来て!」と言いつつ引っ張っていく。
あわわ。わたしはなす術もなく彼女に連れられ部屋を出てしまう。
兄さんたちが慌てて立ち上がったのが見えたけれど、わたしはなんとなく手を横に振って制した。
いいのです、大丈夫。
こんな事になるような気がしていたので!
そういう意味で最後に頷いて見せてから、人気のない廊下を通り過ぎ、階段の踊り場に連れて行かれる。
パッと手を離された。
イリーナが振り返る。
その表情は泣きそうだ。
「なんで! 私、頑張ったのよ!?」
「……」
涙が飛び散る。
そうね、分かる。知っているわ。
あなたはがんばっていたわね。
学園に入ってからのあなたしか、わたしは知らないけれど……あなたは毎日努力して、自らの魔力を高め、精霊たちとの絆を深めていた。
わたしもそれは見てきたわ。
だから知っている。
あなたはそう主張するだけの努力を行なってきたのを知っているわ。
「なんでこんな事になってるの!? 私、ヒロインとしてがんばってきたのに! 平民時代も、魔力持ちだって怯えられる生活、我慢してきた! 母さんは貴族のお手つきなんじゃないかって疑われて、後ろ指刺されて……母さんは私を捨てて出て行った! 父さんは私を親戚に預けて、近づきもしない……。全部、全部、逆ハーレムエンドで愛されるためだった!」
「イリーナ……」
……逆ハーレムエンドって、なにかしら……?
イリーナって時々よく分からない言葉を使うのよね。
でもなんとなくそれについて聞ける雰囲気ではないので、また今度聞いてみましょう。
「シュナイド様は推しだったから、最悪シュナイド様エンドでもいいと思ってたけど……全然イベントは起きないし、起きてもゲーム通りのシュナイド様じゃないし、悪役令嬢のアンタは仕事しないし!」
「はあ……」
仕事……。
確かに王妃候補にしては仕事はしていなかった方かもしれない。
一応お城の政務手伝いで卒業後、王妃として行うであろうお仕事のシミュレーションは重ねていたけれど……正しく『労働』を行なったのは、あの町に引っ越してからね! 間違いなく!
お手伝いと労働はまったく別物だったわ! 確かに!
「なんで? なんで私が……王妃になるのに……シーナ様と結婚するのに……飼い殺しにされなきゃいけないの? なんでこんなエンディングなの? こんなエンディングは知らない……! 私なにも間違えてないわよ? なのに、なんで!」
「…………。本当になにも間違えていないんですか?」
「……っ!」
あら、それだけは解せないわ。
真正面から彼女を見る。
わたしの事はいいの。
でも、わたしの家族まで巻き込んだ。
もちろん、兄やシーナ殿下、ハルンド様の策略も手伝っての事だったと……今は分かるけれど……いや、まあ、なので若干、哀れみすら感じるけれど!
「イリーナ、あなたの事、今はわたし、少し可哀想だと思っているの。でも、パーティーの日にわたしの事を陥れた……あの計画を実行に移したのは他ならぬあなたの意思なのでしょう?」
「…………そっ……そ、それは……っ」
「あなたがあの計画を、どのようにハルンド様に持ちかけられたのかは分からないけれど……」
あの様子から間違いなくハルンド様に唆されたのでしょう。
でも、それを実行すると決めたのは彼女で、実行したのも彼女。
イリーナ自身、それを理解しているからハルンド様のせいにもしない。
……いえ、なんとなくハルンド様がそのように差し向けている気がしないでもないけれど……あの方なら差し向ける程度の事はしそう。
イリーナが、自分でそう“思いつく”ように誘導しそうよね。ハルンド様なら!
だから、そこは可哀想と思うけれど……。
まあ、けど人のせいにしないのは素晴らしい事ね!
そこは素直に褒められるわ、イリーナ。
「……わたしはシーナ殿下に毒など盛っていないし、あなたはそれを知っていた。ハルンド様があなたに協力したのは、あなたをこの国に閉じ込めて繋ぎとめておく計画を知っていたから。あなたは学園で確かにとても頑張っていたし、努力もしていたけれど……おとめげーむの、シナリオ? ……それにこだわりすぎていたのではないかしら? その通りになる、と、信じすぎていた。なぜ? あなたは頑張っていたじゃない。なんでそんな物を信じていたの? そんなものに頼らなくても、あなたはあなたの力で、身につけた実力で……困難を乗り越えて行けたはずなのに」
「…………」
「あなたはあなた自身をもっと信じてあげるべきだったんじゃないかしら? だからこんな結末になってしまったんじゃない? 違う?」
幸せになろうとするのは誰しもが当たり前に望む事。
その中で努力して、努力して、幸せを掴み取ろうとする事は、なかなか出来る人はいないわ。
わたしも自分の努力が足りているか、正直自信がない。
足りていないからハルンド様たちの計画に一切気づけなかったようにも思うので、そこはとても反省点だと思っている。
イリーナもとても頑張り屋さんだったから、わたしは……おとめげーむのシナリオなどに頼らずとも、彼女は彼女自身の力で運命を切り開いて行けたのではないかと思うの。
「自分の、私自身で、乗り越えられた……シナリオ通りにすれば、幸せになれたと思ったけど……そうじゃなかった……? そんな……」
少なくともあなたが自分を信じていれば、わたしを陥れる事はなかったと思う。
まんまとハルンド様たちに嵌められて、自分の立場を悪くした。
でも、シーナ殿下はすでにあなたへ救済処置を示している。
「イリーナ、これからは王妃として出来る事を増やしなさい。わたしが十年かけて身につけた事を、あなたも身につけるのよ。そうすればシーナ殿下はきっとその努力に報いてくれるわ」
「!」
「あの方は厳しいけれど、優しい方だから」
あの方の隣に立つ以上、そしてこの国の王妃になる以上、中途半端なお飾りではわたしも許せない。
わたしの努力を全否定したんだから、あなたはもっと頑張ってくれないと。
この国を支える、王妃として。
「王妃になるのだから、今よりもっと努力して。シーナ殿下に恥をかかせるような女、わたしは認めませんよ」
「っ……! ……わ、私の推しはシュナイド様なんだってば!」
「…………」
おし。
……おし?
おし、とは?
おし?
イリーナ、わたしの分からない単語を常用語のように使うのはやめて欲しい。
「シュナイド様のイベントはシュナイド様がシュナイド様らしくなくて全滅だったから! だから逆ハーエンドならシュナイド様も私を好きになってくれると思ったのに! 違うのよ! シーナ様の事も好きなんだけど私の推しで、私が結婚してめちゃくちゃ甘やかされたかったのはシュナイド様なんだってばぁ!」
「……イ、イリーナ、ちょっと落ち着いて……」
どうしましょう、ギャン泣きし始めたわ。
びぇーっと、子どものように本格的に泣き始めてしまった。
地団駄まで踏んでいる。
どうしましょう。
「王妃なんて本当はやりたくないわよ! 面倒くさいの間違いないじゃない! わたしが結婚したいのはシュナイド様なんだってば! もう、どうしたらいいの!」
「申し訳ないのだけれど兄さんはわたしの兄さんなのであなたと姉妹になるのは死んでも嫌だから諦めて頂けないかしら」
「ストレートに辛辣!」
「というか、あなたは自分の立場が分かっていないのでは? シーナ殿下の婚約者なのにそんな事を言ってはダメよ」
「分かってるわよー! だからシーナ様の事も嫌いじゃないって言ってるじゃない! でも恋愛対象ではないのよ! 私が恋愛対象にしてるのはシュナイド様だけなのー!」
「兄さんはあなたの事を嫌いみたいだから潔く諦めた方がいいわ」
「くぬぅー! ここぞとばかりに私の恋の妨害をしてくるううううぅっ! 悪役令嬢めぇー!」
またわけの分からない事を……。
というか、顔から出るものが全部出ていて淑女としてあるまじき顔になっているわ。
さすがに惨たらしいからハンカチを差し出した。
せめて人の顔に戻って欲しい。怖いので。
「…………分かってるわよぉ〜! 私が悪かった事くらいぃっ」
「…………」
ハンカチを受け取り、外聞もなく泣きじゃくるその顔を乱暴に拭う。
しゃがみ込んで、掠れ声でそう言いながらもあまり反省している感じには見えなかった。
けれど、イリーナが契約している四精霊が姿を現してオロオロと彼女を見下ろしているので……本気で嘆いているのは間違いないのだろう。
「ハルンド様に毒草の話を聞いたり、手伝うって言われて、ストーリー通りの展開にすれば、シュナイド様が振り向いてくれると思ったのよぉ〜! 本当はダメな事だって、分かってたけどぉっ! 魔族に殺されてしまうところを助けたら、見直して好きになってくれるかもって、思ったんだもん〜!」
ああ、そんなような『シナリオ』だと言っていたわね。
結局兄さんを襲う魔族とは誰の事だったのかしら?
ルクス、の事ではないの?
「結局シュナイド様を襲うモブ魔族は出てこないし! シュナイド様にはめっちゃ嫌われたままだし! シュナイド様が転生者なんて反則よぉ! シュナイド様さえゲーム通りなら、私の思うままの世界のはずだったのに! ひどいひどい! こんなのひどい! でも私は本当に頑張ってきたの! 頑張ってきたのに、もっと頑張らないと幸せになれないなんてひどい! もう十分がんばったのにぃ〜!」
「……努力は、してもしたりないわよ」
「分かってるわよーぉ! シーナ様の事も嫌いじゃないもん! 恋愛対象でもないけどぉ! 好きだから頑張るわよぉ〜! だって幸せになりたいもんんっ! でも悔しいぃ! リセットボタンとかないのおおぉ!? またスタートして、やり直せたら……私今度こそ間違えないのに! うえええぇん!」
「そんなものはないと思うわ」
「分かってるわよおおぉっ!」
りせっとぼたん?
とりあえず「やり直せたら」なんてありえない。
イリーナはそれを分かってるのに、そんな事を叫ぶ。
しゃがんで同じ目線に合わせて頭を撫でた。
ギャンギャンと泣き喚くこの女の子は、わたしには分からない知識に人生を振り回されたし、他の人の人生まで振り回したのだから。
自業自得。
でも、ほんの少し可哀想。
だから抱きしめて「よしよし」と頭を撫でてあげる。
「大丈夫よ。やり直せなくても、これから先の人生はきっと変えていけるもの」
「っ──!」
「あなたなら出来るわ」
四精霊が頷く。
ほら、だってあなたは一人じゃない。
わたしと同じように、心配してくれる保護者がいる。
だから今度は間違えないわ。



