お気に入りの靴の踵を潰して扉を開ける。結びきれていない靴紐が次第に踊り出して足に絡みだす。鬱陶しさに舌打ちを一つかましながらも、素早く交互に地面を蹴ることをやめはしない。一秒でも早く凪の元へ行こうとするこの体が訴えている。佐野の中に生まれてしまったどうしようもない感情が。


 ついに佐野は凪らしき姿を発見した。彼女は自宅から少し離れた踏切の真ん中で佇んでいた。電話で話した時よりもいっそう弱ってみえる彼女に佐野は息を呑んだ。陰鬱そうに垂れた前髪。猫背がちな背。一回り細くなった体。今にも夜に消えてしまいそうなその姿を掻き抱きたくて手を伸ばすも、無情にも電車の到来を報せる警告音が響き渡る。赤く濡れた信号機が点滅している。佐野と凪を遮ろうとする遮断機をくぐりぬけ、佐野は力の限り彼女の体を突き飛ばした。


 瞬間、佐野を認識した凪は驚いたように目を見開いた。彼女の体が遮断機の向こう側に倒れ、佐野は一人かってに安堵する。佐野もできればあちらに行きたいけれど、きっともう間に合わないだろう。視界の端に捉えた電車が空気を切り裂いている。


 夜風に吹かれて靡く彼女の前髪の隙間から感情が溢れ出す。とめどを知らないそれを佐野はどうしようもなく愛しいと思った。心臓が優しい悲鳴をあげて溶けていく。



「生きろ!」



 死ぬかもしれないというのに、やけにレモンが弾けるような声だった。自然と綻んだ表情になる佐野に彼女は首をめいっぱい横に振って抵抗する。そんな姿を見るのは初めてだから、ちょっとこそばゆい。きっとこんな時に思うことではないのだろうけれど。


 彼女から視線を外して電車と向き合う。火花を散らして佐野を飲み込もうとするそれに、精一杯の笑顔で両手を広げてやった。