すごく待った。そう言おうとして、やめた。佐野の下がった眉に脱力したというのもあるし、何より彼を困らせるような発言は躊躇われたからだ。凪は「そんなことないよ」と微笑を作る。佐野は「そっか」とだけ答え、さりげなく凪の手を引いた。



「とりあえず映画でも観る? 調べたら凪さんが好きそうなの結構あったよ」



 さも当然のようにそう言う。彼の句読点のように小さく挟む優しさに凪は心臓の柔い部分を摘まれたようになる。



「ずるい」


「何が?」


「君がでーす」


「えぇ⁉」



 佐野の手がお祭り騒ぎを起こす。決して佐野に負があったわけでもないのに、申し訳なさそうに眉を下げるのが彼らしい。

 ふと、つい二週間前に出会ったばかりだというのに熟年夫婦の真似事をして歩いているのが、奇跡だと思う。凪は佐野と出会った時、運命の流れを肌で確かに感じた。何かが始まる予感がした。それは案外当たっているのかもしれない。

 凪は佐野の手をいっそう強く握る。



「ねぇ」


「どした?」


「好き」



 クリスタルグラスのように美しい凪の声に、俺も、と佐野が照れくさそうに笑う。そしてどちらかともなくキスをした。優しくて穏やかで、けれどこの瞬間を何かの形で残しておこうとする、二人の強い意志が感じられた。しばらくして、佐野から名残惜しそうに顔を離す。凪は、とたんに周囲が見えてきて、ここが公共の場であることを認識する。凪の顔が羞恥に染まった。



「あぅぅあー。やってしまった……」


「若気の至りってことで」



 凪の額に佐野の額が重なる。甘美な気分に酔いしれて、凪は再び目を閉じた。