それから、暦さんの部屋で勉強会が始まった。正確に言えば、龍也の宿題を僕と暦さんの2人で見ているわけだが。

 問題の意図がわからなくて唸る龍也に随時ヒントを教えるが、量が多くて捌ききれない。

「例年に比べて、宿題の残りが多いな」

「仕方ないだろ。今年の夏休みは結局金欠で、うなだれて宿題をやる気分じゃんなかったんだから」

 終わりの見えない苦悶していると、いつもより進捗スピードが速いことに気が付いた。いつもなら3時間かけて1教科が終わるのに、1時間未満で1教科全問題を解ききった。

「歩、ここの公式はどうすれば」

「ああ、そうこは「まず先にここを二乗すればいいんだよ」

 僕が答える前に、暦さんが的確に答える。やっぱり、勉学だと彼女の方が頭の回転が速い。

「おお!これなら夏休み2日前に終わりそうだ!」

「もっと前から少しずつやっていたら、お前1人でも早く終わっていたぞ」

 いつものように龍也に小言を言っていると、暦さんがお手洗いへ立った。

「ちょっと待っててね」

 扉が閉まると龍也は急に脱力した。

「女子の前だから、気合入れて疲れた」

 どうやら、宿題が捗っていたのは暦さんに少しでもいいところを見せようと、龍也自身が張り切っていたのもあったようだ。思い返してみたら、僕の方から指摘しないと勉強嫌いなこいつは自分から質問してこない。

「いつも、それぐらいのやる気を見せろ。だいたい、暦さんに手を出すつもりか」

 丸めたノートで龍也の頭を叩くと、「叩くなって。だいたい、男子は行為を抱いているかどうかに限らず、女性の前ではカッコつけるものだろう」と言い切る。

「まぁー、安心しな。歩の将来のお嫁さんに手出しするつもりはないから」

 龍也があまりにもバカげたことを言うので、今度は何度も頭を叩く。

「お嫁さんって、お前はバカか!」

「ちょっ!むきになるなよ!」

 腕でガードしながら、「だいたい、好きってことはいつか告るんだろ。つまり、いつかは結婚するんだろ」と意味のわからない発言をする。

「告白なんてしないよ」

「はぁ…」

 龍也は動揺しているのか、しどろもどろに「いや、あっと。えっと。なぜに?」と聞いてきた。

「告白したって忘れられるんだ。記憶障害のことで悩んでいる彼女に変なことを言って、余計な心労をかけたくない」

 暦さんへの恋愛感情を認めたときは前進する気でいたが、後々冷静に考えた。好意を伝えることは迷惑でしかないと。

 告白して中途半端に覚えたら、彼女は大事なことを忘れた罪悪感に苛まれるだろう。

「やる前から諦めるなよ。ワンチャン憶えてくれるかも「それ以外にも理由がある」

 龍也を遮り言葉を続けた。

「僕じゃ彼女に釣り合わないよ」

「つりあわない?」

 身分が違う。財閥のお嬢様である彼女。父が医者だが、僕自身は平々凡々とした一般的な家庭の人間。お嬢様と釣り合うのは、やはり同じぐらいの身分の人だ。友人になれただけでも、奇跡みたいなものだ。

 七瀬さんに言われたからではないが、分はわきまえている。流石に今の関係をやめるわけではないが、財閥のお嬢様をかっさらう気もない。

「だから、今のままで十分なんだ」

「むー」

 暦さんに告白するつもりはないことを告げると、龍也はしかめ面をしていた。

「バカじゃないの」

「バカ?」

 龍也にバカ呼ばわりされるとは思ってなくて、オウム返しをしてしまった。

「そんなのただ傷つくことが怖いから、告白しないだけの言い訳だ。それは暦ちゃんのためじゃなくて、お前のために告白しないってことだ。暦ちゃんを建前にするなよ」

「⁉」

 本質はそうだったのかもしれない。僕は無意識的に告白しない本来の理由を捻じ曲げている気がした。

「よーし。わかった」

 突如、龍也はなにかを決意したような顔で、「夏休みが終わるまでに暦ちゃんに告白できなかったら、俺からお前の気持ちを伝える」と宣言する。

「いきなり、そんなこと言われても」

「失敗したなら、それを受け入れろ。やる前から諦めるな。もう、当たって砕けろだ」

 強く念押しされ、僕は答えに窮する。

 期限はあと5日。それまでに僕はどうすればいいのかわからないでいた。