「坂谷さん、本当に辞めちゃうんですか?」
「あぁ、実家の跡を継がないと行けなくなったからね。」
「坂谷さんの実家って確かあの有名なIT会社でしたよね?」
「でも確かお前の兄貴が跡を継ぐはずだったろ?」
後輩との最後の会話をしていると大学から付き合いがあった松本が話に入ってくる。
「色々あってな…。」
「嫁さんの事はどうすんだよ。」
「えっ!? 坂谷さん、結婚してたんですか?」
言葉を濁し答えると松本が茶化すように聞いてくる。
「いや、結婚はまだしてないよ 松本がからかっているだけだ。」
「じゃぁ、仕事が終わった後 指輪してんのはなんなんだ?」
松本の顔は何時になく真剣で、言い逃れることは出来なさそうだ。
しかし、後輩の前でプライベートな答えを返す訳にも行かない。
「松本、からかわないでくれ。」
「はいはい、悪かったよ。」
1か月前、大学生の恋人…いや、愛人と別れた。
彼女は俺に会わないように、少しずつ俺からのプレゼントを返しに来ていた。
靴や鞄、服やアクセサリー、財布に香水…。
そして最後は一番最初に渡したピンキーリングと鍵の入った手紙が郵便受けに入っていた。
真面目な彼女の事だろうから、返して来るとは思っていた。
それでも、プレゼントしたものを1つ残らず返されると、俺達の間に愛がなかったと言われている様だった。
彼女を突き放したのは俺だ。
彼女との関係を固めたのも俺だ。
彼女を最後まで騙し続けたのも俺だ。
もう会わないと決めたのも全部俺だ…。
まだ若い彼女を年の離れた俺が縛る訳には行かなかった。
志望会社への就職を喜んでいた彼女を連れていくなんて俺には無理だった。
だからと言って遠距離をしても彼女との時間を作るなんて難しいだろう。
それに俺には幼い頃からの婚約者がいる。
彼女との関係が知られれば、彼女に害を与えられ兼ねない。
それは、どうしても避けたかった。
今まで先延ばしにしていた結婚も、これ以上引き伸ばせば怪しまれる。
彼女と会うことはもうない…。
最後に交わした「また」と言う君を突き放す為の言葉が現実になればいいだなんて…。
「坂谷、2人だけで飲みに行こう。」
コソリと耳打ちした松本に頷いて、日取りを決めて俺の家で飲むことになった。
「…別れたんだな。」
缶ビールを1本空にし、事の顛末を知った松本が呆れたように言う。
「仕方ないだろう…それが彼女の為なんだ。」
いや、あの子のため…だなんて、ただの言い訳だ。
俺はただ、彼女の一生を守る勇気が無かったんだ。
家族に反発して彼女と結婚したとして、彼女を幸せに出来るか、彼女を守れるか…その自信が持てなかった。
「お前はとんだチキン野郎だな…友人として情けないわ…。」
大きなため息を吐いた松本に何も言い返せず、手の中にある缶ビールをじっと見つめた。
「まぁ、大人の事情もあるし、小説みたいな幸せな人生なんて現実世界では困難だけどさ
それでも、お前はその子に正直に話すべきだったよ。」
「話した所で、何も変わらないだろ…。」
「別に全部話すべきだとは言ってない。
ただ、嘘を塗り固めた関係をずっと引きずって その負担でいつかお前が倒れるのが目に見える。だったら一層のことその子に対する自分の想いだけは過去形にしてでも伝えた方が良かったんじゃねーの?」
「…口にすれば、本音が出そうだったんだ…言えるわけないだろ…。」
「…お前、ほんと馬鹿だな…。
それが余計 その子を縛ってるなんて事も知らずに。」
「…は?」
顔を上げると松本はどうしようか悩んでいたプレゼントの方へ歩いていた。
「これ全部 その子に送ったプレゼントか?」
「あ、あぁ…。」
「ちょっと見るぞ。」
そう言うが早いか、松本はそのプレゼントを開封し始めた。
「…馬鹿だなほんと…。」
聞こえるか聞こえないかの呟きに俺は缶ビールを置いてプレゼントの元へと歩く。
「向こうも、お前の性格からして開けられずに捨てられると思ってたかもな。」
松本に見せられたのは、細長い箱に入ったネックレスだった。
その箱を開けると4つ折りのメモ書きが置いてあった。
松本はその箱を俺に渡すと「俺帰るな。」と言って跡片付けをすると俺の返事も待たずに帰って行った。
いや、もしあいつがここに居座り続けても、声をかける事は出来なかっただろう。
『誕生日にくれたネックレス、涙が出そうなくらい凄く嬉しかったです。』
たった、それだけのメモ書き…。
気が付いたら全部のプレゼントを開封し始めていた。
『こんな大人っぽい服着た事がなかったけれど、貴方に似合ってると言われて本当に嬉しかった。』
『この香水、貴方に会う時とか、会いたい時にしか付けなかったけれど 凄く好きな匂いでした。』
『この靴、本当はバイトのお金で買おうとしてたんですよ、知ってましたか?』
『この財布は高級過ぎて、傷付けるのが嫌で使い辛かったです!』
『このリュック、貴方とのデートの時に使いたかったな…。』
『このポーチ、ブランド品だったんですね…友達に言われた時初めて知りましたよ!
ちゃんと教えて欲しかったです!』
数回しか見なかった彼女の筆跡…。
彼女も僕と同じずるい人だ…。
こんなの、忘れられる訳ないじゃないか…。
悪戯に笑ういつかの彼女を思い出して、頬が濡れた。
ピンキーリングと合鍵が入った手紙には、1度も聞けなかった君からの「愛してる」の言葉が綴られていて、お揃いだと笑顔でくれたお守りすらも、彼女は手元に置いてくれなかった。
彼女からの手紙を見た所で、俺が彼女に会いに行くきっかけにはならなくて…。
結局、会いに行くことも出来ずに、彼女と過した家を手放した…。


