その日から、私達はお店以外で会う事が増えた。

休みの日を合わせてデートをして…夜には体を重ねた。
会った日は必ず彼の家で一晩を過ごし、朝に朝食を一緒に食べて、分かれる。
それが、彼と私の日常になってから2年の月日が経過した。

私の就職が決まり、2人きりでお祝いをしてくれた。
彼からのプレゼントはどれも高いブランド物だったけれど…彼から貰った合鍵が何よりも嬉しかった。
週に3回の電話も、彼と会える数少ない時間も…どんな物よりも嬉しいものだった。

彼が作ってくれる手料理は私の手料理より美味しくて拗ねてみれば「一人暮らしが長いからね。」と頭を撫でながら言ってくれる。

2人で買い物に出かける時は必ず指を絡めて手を繋いでくれる。

私が送るプレゼントはブランド品でも何でもないけれど、嬉しそうに受け取ってくれて、大事にしてくれた。

彼との過ごす時間はどんな宝石よりも美しく輝いていて、幸せな時間だった。

でも、幸せは永遠には続かない。
それは、分かり切っている事だった。
左手の薬指に填められた指輪の意味なんて、小学生でも分かって…夢見る女の子達は憧れるものだろう。

「百合ちゃん…。」

珈琲を飲み、優しく私の名前を呼ぶ彼に私は優しく笑って視線を合わせる。

いつもと変わらない優しい声色なのに、何故か胸騒ぎがする。

「…なんですか?」

「妻から一緒に暮らしたいと連絡が来たんだ。」

この人は、とても残酷な人だ。
いつもと変わらない日常の会話といつもと変わらない優しい声で、彼は飲み終えた珈琲をテーブルに置いた。

「奥さん、こっちに来るんですか?」

「いや、彼女の実家は会社を経営していてね。
僕がその会社を継がないかって話を妻のお義父さんに持ちかけられてね。」

優しく笑うその表情からは、彼が何を思ってその言葉を私に紡いでいるのだろう…。
もしも私が「行かないで」と口にすればこの人は私の傍に居てくれるのだろうか…。

いや、彼の気持ちがどちらであっても私達の関係は変わらない。
私の前でも外すことの無い指輪を見れば、答えなんて…最初から決まっている。

「…そうですか…大出世ですね。」

「うん。」

それだけで、会話が終わる。
痛む胸、熱くなる目頭…彼の顔が、見れない。

椅子から腰を上げて、彼のコップを持ち上げた。

「珈琲のお代わり、いりますか?」

「うん、貰おうかな。」

今日はお互い仕事もバイトもない久しぶりのオフ。
それなのに、彼は朝食後すぐにその話をした。

本当に、残酷な人だ…。

珈琲を淹れて彼の前に置いた。
でも、珈琲は冷たくなっても飲まれる事は無かった。

その日、私達は最後の1日をベッドの上で過ごした。
お互いに何も言わず、ただただ…愛を交わし続けた…。

「もう行くの?」

日付が変わった頃、私は彼の寝室を出る。
玄関のドアに手を掛けると、彼の声が聞こえて振り返った。

部屋着を着て寂しそうに笑う彼がじっと私を見ている。

…いつから、起きていたんだろう…。
ううん、彼の事だ きっと最初から寝ていなかったに違いない。

「…はい、もう行きます。」

「…そっか…またね。」

その声に涙が出そうになって、必死に笑顔で返した。

「またね」なんて…貴方は最後まで残酷なんですね。
「また」なんて、もうある訳がないのに…。

「はい、また。」

ドアを開けて、使い慣れた笑顔で彼と別れた。


もう会いません。そんな意味を込めてスマホから消した貴方の名前。
でも、貴方との会話は消せなくて…今もまだ、私のスマホにトーク履歴だけが残っています。

「百合ちゃん。」

大好きなあの声も、貴方の笑顔も、輝いていたあの時間も…。
きっと、忘れる事なんて出来ないでしょう。

貴方から貰った合鍵…気付いてましたか?
御守りの形をした小さなキーホルダー…その中に、私の気持ちが書かれていること…。

「坂谷さん、貴方をずっと愛しています。」

もし、お守りに入った紙を見つけたとしても…どうか気付かないでいて下さい。

昔にいた大学生の愛人が恋に溺れて書いた、あの時だけの若気の至りだと…最後まで勘違いしたままで…。