「ここでなら死ねる」
そう思った。

◇◇◇◇◇◇◇

徒(いたずら)に 恋せしことぞ 嘆かれる 穢(けが)れたる身の 二度と逢ふまじ

和歌を愛する、高校生の時に愛し合っていた彼女が不幸な事件に遭い、そう僕に和歌を書き残して転校し、行方がわからなくなってから、砂漠の夜のような寒い、渇いた月日が流れた。

それから僕が偶然にも彼女と再会したのは、僕が大学院で彼女の翳を追って和歌を研究し、ふと知人に誘われてとある和歌の会に参加した早春の日の事だった。

彼女が消えてからおよそ十年の時が流れていた。

届かせも 出来ぬ想ひの あやしきは 嘆きの炎 燃え渡らせり

僕が彼女に和歌を贈ると、彼女は

行き方も 知らぬ想ひの 苦しきは 涙の川に 溺れしゆえに

そう返した。

僕が彼女を想っていた時、彼女も僕を想っていてくれたであろう事に僕はほっとした。

それから僕と彼女は今にも壊れそうな硝子細工に触れるように交際を再開した。

そして再会からしばらくして僕と彼女は桜を眺めていた。

桜花 咲き乱れては 舞ひ散れば 朧(おぼろ)の月も 空に映らじ

彼女はそう詠んだ。朧の月を僕に喩えたのだろうか、やはり僕との再会に戸惑っている、そのように感じられた。

朧月 桜霞みて 見えねども 天つ空には 然(しか)とありけり

僕は彼女に返した。

夏を迎えた時、彼女は

「青い海が見たい」

そう言った。

南がいいか北がいいか彼女に尋ねると、

「遠く、北へ行きたい」

彼女は言った。

それから数日後僕達は北海道の積丹で海を眺めていた。

積丹の 海の碧きを いと嫉(そね)み 長らふ穢れた 身をぞ恨むる

彼女は悲しげに詠った。彼女の傷がまだ癒えていない事に僕も胸が苦しくなり、

積丹の 碧き海さえ 嫉(そね)むほど 深く清(さや)けし 君にありけり

そう彼女を慰めたが、大怪我に絆創膏を処置するようなものだろう。

自らの無力を呪った。

それから秋、僕達は紅葉を眺めていた。

秋色に 染まりし紅葉 君纏ひ からくれなゐの 錦となりし

彼女と紅葉が写った写真を撮りながら僕は詠んだ。

錦繍の 紅葉(もみじ)の木々が 彩りて 私とあなたを 秋に染めてく

紅葉は彼女の憂鬱な気分を取り除いてくれたようだ。

全て忘れよう。

最初からやり直すんだ。

そしてやがて冬が訪れる。