死にかけの人が家にいます。ずっといます。

「昔、おじいちゃんはあなたを自転車で公園に連れて行っていたのよ。おじいちゃんはあなたにひらがなを教えて、あなたの髪を乾かしていたのよ」

恩着せがましくそう言われても、だから我慢しなさい、と語尾に付いているようにしか思えません。



父と母は、リビングで幼い私がピアノを弾くと喜びました。
毎年12月にはクリスマスソング集からリクエストを募り、毎晩リサイタルを開きました。

祖父が要介護状態になってから母はパートを辞め、教室への送り迎えができないからと言われて私もピアノを辞めました。

それでもしばらくは訪問介護サービスを利用していましたが、その頃の祖父は興奮状態になると攻撃的になり手が付けられないので、次第に全ての世話を母がするようになっていました。

「晴花、母さんね、頭がおかしくなりそうよ」

母は疲弊していました。

中学を卒業した私は何か母の力になれないかと考えたこともありましたが、食事の介助の時に口の中で糸を引く唾とか、昨日と同じ内容で何度も繰り返される説教を、とても受け入れられませんでした。

父にとって祖父は実の父親だというのに、我関せずと言った感じで、土曜も日曜もわざとらしくスーツを着て仕事に行きました。