麗しの彼は、妻に恋をする

彼が店に入って来てから出るまで、時間にして五分か十分くらいだろうか。
それこそアッとの言う間のことだった。

慌てて店の外まで追いかけていき、「ありがとうざいます」と頭を下げた時には、彼が乗った黒い高級車は既に走り出していた。

茫然として車を見送って、車が見えなくなってから、柚希はようやく彼にもらった名刺を見た。

『冬木陶苑』 専務取締役 冬木 和葵(ふゆき かずき)

――あの? 嘘でしょ。

高級店に縁のない柚希でもその名前は知っている。

冬木陶苑といえば銀座に本店があり、海外にも展開している日本を代表する美術商だ。

しかも彼は専務で、名字が冬木だという。
ということは、創業者である冬木家一族の御曹司ということだろうか?

狐につままれたような気持ちで店内に戻り、彼が選んだ器を集めて計算してみると、本当にちょうど二万円だった。

「すごい、すごい、なにもかもが凄すぎる」

「柚希さん、さっきのお客さまは?」

いつの間にか接客を終えていたマルちゃんが、トトトとやってきて、瞳を輝かせる。