「兄さん、お願い」
「駄目だ」

向かい合わせに座って、もうほぼ睨み合っているような兄妹を、その間にいるアドニスは交互に見やる。

がやがやと騒がしい店内で、この三人がいる席だけが異様に静かだった。

「頭ぁ。別にいいじゃないすか、一緒に連れて行ってあげれば」
「お前は黙ってろ」
「うお。怖ぇぇ……」

ほろ酔いで気が大きくなった仲間にも、ディディエは容赦ない視線を浴びせる。
あっちへ行けと手を振ると、リアンを同情的に見てすごすごと別の卓に向かった。

「……兄さんがどうしてもダメって言うなら」
「どうしても駄目だ」
「アドニスとふたりで行く」
「は?! そんなこと許さないぞ!」
「許さないも何も、私は『竜狩りの資格』があるもん!」
「そ! っんな話は今してないだろ!!」
「……『竜狩り』になったのか、リアン」
「うんそう。見る? ほら……」

袖をまくって腕を出そうとするのを、ディディエは手を出して止めた。

「やたらと肌を出すな」
「ちょっと見せるだけでしょ」
「駄目だ」
「もう! 兄さんはダメしか言わない!!」
「それは、お前のことを考……」
「もういい。アドニスと行くからいい。兄さんなんか、もう知らない!」
「おい! こら、リアン!」

店を飛び出そうとしたところを、仲間に止められる。

流石に陽が暮れかけたこの時間に、リアンをひとりで外に出すわけにはいかない。

ごめんねと苦笑いの仲間の腹に、下から突き上げるように拳を捻り混んで、リアンは反対方向へと走って行った。

うめき声を上げながら腹を押さえて蹲っている男を、笑いながら他の連中が介抱している。

その全部の流れを全て見終えて、アドニスはリアンがいた席へ移り、ディディエと向かい合う。

「……理由はなんだ?」
「心配なだけだ」
「本当にそれだけか?」
「それが全てだ。他に何があるって言うんだ」
「仕事を横取りされたくない、とかか?」
「俺はそれほど狭量じゃない」
「リアンの方が腕が良いとか?」
「だったらなんだ。嫉妬で嫌がらせをしているとでも言いたいのか」
「腕が良いのは認めるのか」
「リアンは最高の『竜狩り』だ」
「じゃあ、どうして」
「言ったろう。心配なんだ」
「……どうしてそれを、もっときちんと説明しないんだ」
「リアンも理由が解っているからだ」
「……そうか……上がらせてもらうぞ。リアンとも話をしてくる」
「……変なことするなよ」
「するかよ……俺をなんだと思ってんだ」
「変態辺境騎士」
「……お前の友達だよ」


店の奥から住居部分に入り、階段を見つけて二階に上がる。
ちょうど露台がある辺りの扉を軽く叩いた。

「……リアン? いるのか?」

返事はないが、部屋の中に人の気配を感じて、アドニスは苦々しい笑い声を短く漏らした。

「……いいか、入るぞ」

窓辺にある寝台の上掛けが、ちょうどひとり分の大きさでこんもりと山になっている。

アドニスはそのすぐ側に腰を下ろして、小さな山の頂上付近をゆっくりと撫でた。

「喧嘩してまで通さないといけないのか?」
「…………いけないの」
「お前を心配してるんだ」
「……知ってる。だから、だもん」
「だから? どういうことだ」
「兄さんはずっと心配してる。ずっと、わたしのことばっかり……だからもう心配は要らないって思ってほしい」
「……そうか」
「アドニス……一緒に狩りに行こう?……行って……下さい」
「それは『竜狩り』でじゃないといけないのか?」
「…………いけないの」
「……そうか」

ふーむと息を吐きながら、アドニスは沿うように寝転ぶと、肘を突いて頭を支えた。
上掛けをべろりとめくって、その中身を見る。

「べそべそ泣いているのか?」
「泣いてない!」

言葉通りひとつの涙もない顔が、眉間にしわを寄せて睨み返してくる。

「頑固なところは兄妹そっくりだな」
「頑固じゃない!」
「……そうか?」

布の上に流れているゆるゆるとしたリアンの巻き毛を手に取ると、アドニスは親指でつるつると撫でる。

「……何か他にも理由がありそうだな」
「……教えない」
「……教えてくれたら一緒に行こうかな」
「本当?!」

がばりと起き上がると、リアンはその勢いでアドニスの腹の上に跨った。

「教えてくれるのか?」
「狩が終わったらね!」
「うーん……しょうがないなぁ」
「アドニス!」
「……アドニス!!」

扉の所には、怒りで顔を真っ赤に染めたディディエが立っていた。

「……何をしているんだ、お前……」
「……俺は何もしてないぞ」
「すぐにそこから下りろ、リアン!」
「やだね!」

火に油を注がんと、リアンはアドニスの上にべったりと体を寄せる。

「アドニス!!」
「……だから俺は何もしてないって」
「何もしないのが悪い」
「……なるほど、確かに」

よいしょとリアンごと起き上がると、これ見よがしに両腕で抱きしめる。

「おい! お前っ!!」
「……俺はリアンと狩りに行こうと思う」
「ほんと?! ほんとに?!」
「うん、行こう」
「駄目だ!!」
「アドニス大好き!!」
「……!! 駄目だ許さないぞ、リアン!!」
「兄さん……アドニスとふたりで行くのがダメなら、兄さんも行こう?」
「リアン……頼むから考え直してくれ」
「……兄さんも行こう? ……ね?」
「…………くそ。譲らないな。誰に似たんだ」

ふふと笑ってにこにこしているリアンに対して、ディディエは悲痛とも取れるような表情をしていた。

またふたりを見比べて、アドニスはリアンの背をぽんぽんと叩く。

「一日で狩れると言ったな」
「うん、一日あれば充分」
「もしその日で狩れなかったら、あとはディディエの言うことを聞けよ」
「……誰に言ってんの?」
「……大した自信だな」
「まあね」
「約束しろ」
「いいよ、分かった」
「……これでいいな、ディディエ」
「…………ああ」

リアンを立たせると、アドニスは自分も立ち上がる。

「……いつ出るんだ?」
「明日!」
「待てリアン、何の準備もない」
「……じゃあ、明後日の夜明けだな」
「お前はそれで良いのか?」
「うん? 俺の予定なら気にするな。しばらくは留守にしても大丈夫なようにしてある」
「……そうか」
「リアンも明後日まではいい子にしてろ? 無駄にディディエを怒らせるなよ?」
「……わかった。いいよって言ってくれて、ありがとう、兄さん」
「…………ああ」

リアンの背を押すと、素直に歩きだし、そのままディディエに抱きついていった。
力強く一度抱きしめると、腕から力を抜いて背中を撫でている。

昔によく見た光景に懐かしさを感じながら、アドニスは部屋を後にした。

部屋にふたりを残して、階下に下りていく。

心配そうにしていたテイルーにも、仕事仲間たちにも、大丈夫だと笑顔を返した。

「ありがとう」
「いや、大したことはしてないよ。……狩りに出ることにしたらしい」

周りにいた仕事仲間から、わっと一斉に声が上がる。

そこからはディディエがどんなに勇敢な竜狩りか、リアンがどんなに優秀な竜狩りか、仲間たちによって夜中まで延々と語られる。

ついでに夜に出歩くのは危険だからと、朝まで酒に付き合わされた。




翌日から準備はディディエの指示の元に始まった。

夜明け前に出発して、日暮れまでに戻ると予定していても、不測の事態が起きないとも言えない。

それなりの装備を整えて、人員を選抜する。

ディディエとリアン以外に三人を補佐として選んだ。

「俺は何かすることがあるか?」
「リアンのお守りだな」
「得意なことで助かった……リアンは?」
「部屋で大人しくしてろと言ってある」
「……してるのか?」
「……明日があるからな」
「そうだな。……ちょっと顔を見にいくか」
「アドニス」
「うん? なんだ?」
「チタを呼んで連れてきてくれ」
「ああ、何かあるのか?」
「うちにいる翼竜は二頭だから、チタも出してくれ」
「ああ、分かった」
「……鞍はついてるのか?」
「いや、森に放す前に外してやった。鞍なら宿に置いてある」
「二人用のを貸すよ」
「俺とリアンか?」
「……お守りだろ?」
「そうだったな」
「調整もいるだろうから、連れて来てくれ。今晩はここで預かろう」
「じゃあ、頼むよ。……すぐ戻る」
「ああ」

店から表通りに出て、町の外れを目指す。
といっても元々が外れの方だから、目線を少し上げれば、すぐその先にはもう森の一端が見えている。

ついでにリアンの部屋を見上げると、露台には誰もぶら下がっておらず、窓もぴたりと閉じられていた。

本当に大人しく部屋で過ごしているらしい。



アドニスは視界全部が森になる場所まで行くと、襟元に指を差し入れて、首に掛かった細い鎖を引っ張り出す。

先にぶら下がっている細長い白金の笛を口に咥えて息を吹き込んだ。

人には空気の抜けていく音しか聞こえないが、笛の音は遠くまで届く。
竜にしか聞こえない音で、吹き方でチタを呼ぶ。

ばさばさと森から騒がしい音が聞こえるが、近くにいる別の竜が反応しているようだった。

チタなら上空からやってくるから、アドニスは森の音は気にせずに、空を見上げる。


そもそも笛の音が聞こえなくなるほど遠くには行かないように仕込んである。
とはいえ、人の目の届く範囲より、竜の耳が効く範囲はかなり広大ではある。
どこにいるのかは見当もつかない。



それほど待たない間に、アドニスの上に影がかかった。

上空、人も行けないほどの高い位置で、小さな影がくるりと旋回している。

ゆったり優雅に旋回しながら降りているように見えるが、高さと大きくなっていく影を見るに、とてつもない速度で急降下しているようだ。

人が乗ってないと、本当に自由に飛んでいる。

「チタ!! さあ、来い!!」

巻き起こる風で、木に咲いた花だけではなく、地面に散った花までが舞い上がる。

吹雪のようで美しいと言いたいが、木の葉や小石や様々が同じように舞って、しかもあちこちからぶつかってくるので、のんきに見ていられない。

腕で目を守って、風が収まるまでしばらく小さな礫をやり過ごす。

持ち上げていた手の中に、ひやりとしたものが当たり、くるるるとかわいい声が聞こえた。

「チタ。どうだった、楽しかったか?」

くるるると甘えた声で、ぐりぐりと鼻先を押し当ててくる翼竜の首を、アドニスは力強く撫で摩った。

チタの個体は危険色と言われる、黒に近い赤色をしている。

体に模様が無いから、更にその中でも獰猛だと言われている。

見つかることも、景色に隠れて紛れる必要も無いほど強いとされているが、アドニスから見ればかわいい相棒でしかない。

チタが幼体のうちから過ごして、自分自身も一緒に育ってきたから、まるで弟のような感覚だ。

「チタ、リアンを覚えてるか?」

ぎゅると短く返事をして、縦になっていた瞳孔が丸くなる。一緒に光彩も薄く光の加減を変えた。

ぐるんと大きく尾が回って、今度は地面から小さな白い花だけを巻き上げた。

「はは。チタはリアンが好きだな」

ぎちりと歯が鳴って、鼻の先をぐりぐりとアドニスの腹に押し付ける。

「おいで。リアンの所に行こう」

くるるるると小鳥のように歌を歌いながら、アドニスの後を追ってチタは二本の足で歩く。



翼竜は全般的に歩くのは得意ではないので、少しだけよたよたとなる。その姿はかなり愛らしい。
左右に揺れる長い尾も、何かにぶつかりさえしなければ、それもとてもかわいい。


と、アドニスは思っている。


が、チタの色を見て周囲の人が遠ざかり、顔を真っ青にしているのには、大きなため息を吐いておく。