完全に日が暮れてからも、森の入り口付近、森の上空へ、騎士たちは交代で警戒を続けた。

町は夜間の外出が禁止され、かといって守らない者もいたが、いつもとは違い、遅くまで明かりが灯っている建物も少ない。
大切な人と身を寄せ合い、何事もなく夜が明けるのを静かに待っていた。


夜も深まりをみせた頃、イザードの厩舎の上に大きな影が飛来する。

みしりと木の軋む音が響き、厩舎の中にいた地竜たちが、怯えて壁際や角の方に身を寄せて、この災いをやり過ごそうと小さくなっていた。

反対に隣の厩舎にいた馬たちが、混乱状態に陥って暴れだす。

騒ぎを確かめようと家の窓から厩舎を覗いたイザードは、夜の闇の中、なお黒い竜の影を屋根の上に見た。
口から漏れそうになる声を飲み込んで、ゆっくり静かに後ろに下がる。

家族を地下の食料庫に入れて、自らも入り、床板を閉じた。




森の上空を警邏していた騎士たちが、野営の陣に戻ってきたのはその頃だった。

翼竜が周囲を飛んでいるのを確認、種は不明、町に向かったところまでは確認したが、追う途中で見失ったと報告した。

「親は翼竜なのか?」
「そう……なのかな」
「こいつ翼竜か?」
「どう……だろう。いつか翼が生えるのかな」
「そんなことあるのか?」
「なくは無いと……思うけど」

リアンは懐の中にいる子竜を、べりっと剥がして外に出す。

幼体を見かける機会はあっても、成長するのを見続けたことはない。いつかどこかの時点で、姿形に大きな変化があるとも、無いとも、言い切れない。

ううんとリアンは唸って、子竜をあちこち観察してみる。
一緒になってアドニスも持ち上げたり裏返したり隅々まで触ってみたりもした。

どこまでものん気なふたりにコンラッドは大きく咳払いする。

「……で? この後どうするつもりですか? 指示を」
「お、そうね……全員退避」
「は?」
「ここと町の間で防衛線作って、そこで命があるまで待機しろ。もし親竜がそっちに行ったら、死ぬ気で食い止めろ」
「この場で迎え討つつもりですか」
「迎え討つなんて、物騒な……できれば穏便に子竜を返したい。なあ?」
「そうだよね」
「リアンさんも一緒ですか?!」
「わたしがいた方が穏便具合が上がるので」
「そうなんだよなぁ……」
「正気ですか」
「正気なんだよなぁ……ほれ、いいからさっさと退避しろ。もうすぐここに来るぞ」

リアンの肩の上で、襟巻きのように輪っかになっていた子竜がちいちいと鳴きだした。

大変だとリアンは立ち上がり、柵の外に出ようと走りだす。

「ほら来た。火を消せ! 退避だ! 行け、コンラッド!」

アドニスは指示を投げて、返事も聞かずにリアンの後を追った。

後を引き継いだコンラッドが周囲に声を張り上げる。



るるるると親を呼ぶ声に、リアンはちょっと待ってと首元の子竜を撫でる。

もう少しだけでも陣から離れられるまで。もう少しだけでも町から遠ざかるまで。もう少しだけでも広い場所まで。

そう思いながら緩やかな丘を駆け上り、小高い場所までやって来た。

子竜は大きいの、大きいのと親竜を呼ばわっている。

地面の上にゆっくりと子竜を放し、その場からゆっくりと後ずさる。

上がった息を整えていると、すぐ側にアドニスが駆け寄ってきた。腰にある剣に手をかけているところに、リアンは手を置く。

「ダメだからね」
「分かってる、抜く気は無い……多分」
「手を離してて」
「…………くそ。お前だいたい、チタとシイについて来るなって言っただろ」
「あ……バレた」
「俺の言うこと聞かなかったからな。ったく、どっちが主人なんだよ」
「アドニスに決まってるでしょ」
「……どうだかな」

あちこち見上げて動き回っていた子竜が、リアンの足元まで戻ってくる。

屈みこんで子竜の向きを変えてやる。
ついでに傷と尾を覆っていた布を外した。

流石に折れた足の添え木は外せないので、そのままで、ぐいと前方に押し出してやる。

「ほら、もうすぐ来るからね。行って」

びゅると風の音がしたかと思うと、上空に黒い影が旋回しているのが見えた。

子竜は親竜を見つけるとばたばたと走りだす。

暗がりの中で風が布を叩くような音。
翼が巻き上げる風から庇おうと、アドニスがリアンの顔を覆うように抱き込んだ。

ちいちいと鳴きながら遠ざかる声を聞いていると、その声は急に途切れて、ぼとりと何かが落ちるような音が続いて聞こえた。

遠ざかったはずの子竜がリアンたちの目の前にいる。

「……え? どうして」

子竜は再びばたばたと親竜の元に駆け寄り、またぼとりとリアンたちの前に返される。
新しく血を流す傷が見えていた。

「なんで?! この子はあなたの子どもでしょ?!」

抱き上げて、前方の黒い影に向かっていくリアンをアドニスは追いかけた。

追いついた時にはすでに対峙しているリアンと竜を見て、息を飲む。

横目でリアンを見下ろして、今どうのと話に割り込んではいけないのが分かる。気を整えて、なるべく自分の気配を消すことにした。

見合ってしばし、ふんと怒ったようにリアンは息を吐き出した。

「じゃあ、わたしがこの子をもらうからね!」

ぎしりと竜が身体を震わせて大きな音を立てる。

「あとからやっぱり返してとか無いからね? 本当にもらうからね!」

ぎしぎしみしみしと木の擦れ合うような音がする。親竜は身を低くし、ぐいと頭を下げて、こちらに向かって突進してきそうな体勢になった。

「そんなに怒るならこの子を連れて行きなさい!」

ぐるぐると低く喉が鳴ってる。
そのままの体勢で翼を広げ、二、三羽ばたいて風を巻き上げたた後には、もうすでに親竜は空の高い場所にいた。

「ああ! もうこら!! ばーかばーか!!」

馬鹿馬鹿言いながら怒って空を見上げているリアンの横で、アドニスはその場にしゃがみ込んだ。
辛くて地面に座り込む。

罵る言葉が馬鹿しか出てこないリアンを見上げて、ついでに上空を見上げた。

翼竜の形をした黒い影は、その場を何周か旋回して、ひと吠えすると森の方向に消えていった。



ぶんむくれて蹲ったリアンは、ぎゅうと子竜を抱きしめる。

「……なんだって?」
「人とは馴れ合わないって!」
「コレで馴れ合ったうちに入るのか」
「……弱い子は要らないって! 弱くないのに! 強いのに!」
「……ああ、まぁ分からんでも無いな」
「なんで?! この子、熊を倒したのに?!」
「え? 森で見つけたとか言う熊?!」
「そうだよ! こんなに小っさいのに、倒したんだよ! 強いんだから!」
「わぁぁそりゃ……確かに凄いわ。んで? こいつどうする?」
「……どうしよう。勢いで貰っちゃった」
「く……はは……はぁぁあ。まぁ、後から考えることにして、とりあえず帰るか」
「うん……」

ポケットにしまっていた布を取り出して、新たにできた傷の方に巻き付けた。
尾の先にも布を巻く。

「その布、他の傷の方にしてやったらどうだ?」
「うん? だって尻尾に毒があるみたい。熊が死んだくらいだから、当たったら大変」
「あ?! ……ああ、そう。そりゃ危ねぇな」
「危ねぇの……」
「片付けは明日だな。帰って寝るぞこら」

アドニスは力任せに立ち上がると、子竜を抱いているリアンを抱き上げて、丘を下り始めた。

「……怒った後はしょんぼりか」
「……うるさいな」
「次は泣くか?」
「泣かない!」

そうかと笑いながらふたりと一頭は陣まで戻る。

シイを伏せさせて丸くした中に、丸くしたリアンを放り入れて、上から毛布をかけた。

「ちょっと待ってろ」
「……うん」


いつの間にかリアンは眠ってしまい、翌朝目が覚めた時には、砦の自分の部屋だった。

叫び声に目を開いたら、横には子竜が同じように寝そべっている。
真っ青なのか真っ赤なのか分からないような顔で、シャロルが離れた場所から大声を張り上げていた。





着替えを終えて食堂に行くと、疲れきった様子の騎士たちが、それでも晴れやかな顔をして食事をしていた。
中には酒を飲んでいる騎士もいる。

「おう、リアン。よく似合ってるけど、どうせならもっと良い襟巻きを買ってもらえ」

首元で輪っかのようになっていた子竜は、つるりと背を撫でられると、リアンの上着の中に隠れて入った。

笑い声が起きる中、アドニスの手招きに、そちらに足を向ける。
長椅子の座る位置を少し横にずれていったので、その空いた場所にリアンは腰掛けた。

「片付け終わったの?」
「うん、さっきな」
「そうなんだ」
「眠れたか?」
「うん……まぁ」

目の前に食事の乗った盆が置かれたのでその方向を見る。

「あ、ありがとうございます、コンラッドさん」
「いいえ、どういたしまして」

言いながら向かい側にいる騎士を押し退けて、自分がその場に座った。

食事を食べながら、昨日食い付きが良かったものを子竜の口元に運ぶ。
特に果物を持っていくと、くるると鳥の歌声が出る。

周囲が子竜の可愛らしさにふにゃりと顔が緩んで、我も我もと食べ物を与えようとする。
アドニスがその伸びてくる手を端から叩き落としていき、自分が一番に生野菜を食べさせた。

全員が文句を言っている中、ひとり静かなコンラッドが気になってリアンは向かい側を見た。

にっこりと笑っている目が、上着に掴まっている子竜に留まっていて、リアンから変な笑いが漏れて出る。

「翼竜だとか……」
「はい……いいえ、どうでしょうか。分かりませんけど」
「どの種か分かりますか?」
「ああ……親だと思われる竜は、ザックさんのジンと同じ種でした」
「確認したんですか?」
「はい、あの……近くまで行ったので」
「ほーぅ、こんなちんくりんがジンと同じになるのかねぇ」

斜め向かいで片手にグラス、片手に酒瓶を持っていたザカリーが機嫌良さそうに話に割り込む。

確かに極彩色で身体にある模様も違う。
翼は無いし、四本足で移動するから同じ竜にはとても見えない。
ただ、背の上を尾に向かって、二列に並んでいる小さな出っ張りのような棘だけは、ジンと似ていた。

もちろんジンは尻尾に毒針は持っていない。
それも多分、敵を力で倒せるほど強くなると必要無くなるのだとリアンは考えた。

「あ、そうだ。この子が倒した熊は? 毒で死んだから……」
「お前がそう言ったから埋めたぞ。もう遅かったけどな」
「え?! そうなの?!」
「周りで鳥が死んでたらしい」
「ああ……そうだったんだ……」

人の三倍はあろうかと思える熊を埋める為、コンラッドは子竜を攫った猟師を連れて、ふたりで森に入ったとしれっと言った。

コンラッドの手のひらは傷ひとつない。
きっと猟師の手はずたずたで、心も身体もぼろぼろになったんだろうなと察する。

「どうして熊と戦う羽目に? 親竜がいれば熊に遭遇なんて有り得ませんよね」
「背中に掴まってて、落ちたんじゃないかと」
「森の上を飛んでいるところを、ですか?」
「はい、そうだと思います」

実際、親竜と対峙した時も、この子竜が落ちたのだと言っていた。
子竜が折れた足でもしっかりと服を掴もうとすることも、その時やっと腑に落ちた。
本来ならリアンの肩辺りから落ちたところで、大した痛手は無いはずなのに、子竜は極端にそれを嫌っている様子だった。

「こいつどのくらいで成体になるんだ?」
「さぁ……よく知らない」

竜の寿命は人より長い。
記録では人の倍とまではいかないとあるが、それも成体で、人と暮らすようになった竜の記録だ。

幼体から育てたという例は残っていない。

「チタと初めて会った時にはどうだった?」
「ああ……チタは今の姿のまま縮めた感じだったな……大きな犬くらいだった。今思うと小さいだけで、チタは立派に成体だったんだな……」
「アドニスがチタに乗ったのは、今の大きさになってからでしょ?」
「うん? あー……だな。ここから姿が変わって、翼が生えて、人が乗れるまでになるのは何年も先だな」
「うーん……そうだね。いつジンと同じ大きさになるか分からないもんねぇ」
「お前育ててみろよ」
「え? う……ん、しばらくは良いけど」
「あ? 誰かに譲る気か?」
「そうした方が良いと思う」
「その時には情が湧いて離れられなくなるんだ、どうせ」

違いないと笑いが起こった中で、リアンは曖昧に笑い返す。

情ならとっくに湧いている。
離れるのはとても寂しいし、そうなれば辛い思いもするだろう。
今だってそうだ。
もし誰かに連れていかれたら、想像するだけで小さな穴の中にふたりで閉じこもりたくなる。

それでも自分の五年先、十年先なんて想像もつかない。

それまで自分が生きていられる気がしない。
きっと生きていない。

だから早いうちに誰かに託してしまった方が、きっと良い。

リアンは子竜の名を聞かなかった。名付けてもいない。

最初は親竜に返すつもりだったから、人との繋がりを結ばない為にそうしていた。
でも今は、自分とこの子竜と繋がりを持つことに憐れみに似た感情を抱く。

それは自分にも、この子竜にもだ。

いつかアドニスに言われた言葉を思い出す。
かわいそうだと思われたくない。
自分をみじめにしたくない。

「エドが育てたらいいよ」
「は?! エドウィン?!」

自分の名が急に上がったことに、少し離れた場所にいたエドウィンがきょとんとこちらを見ている。

呼ばれて立ち上がり、何のことか理解できない様子で、リアンの側まで寄ってくる。

「エドはまだ自分の竜は持ってないでしょ? 騎士様になる頃には、まだ人を乗せて飛べないかも知れないけど、エドが面倒を見てくれると嬉しい」
「え?! 俺が?!」
「うん……どうかな?」
「俺が? ……この子竜を?」
「ええぇぇ〜ずりぃぞ、リアン〜。なんでこんな小僧に良い竜を〜」

自分の乗る種が一番だと思って譲らないザックが酒瓶を抱いて悶えている。

「だってザックさん、この子が大きくなる頃にはもうおじいちゃんでしょ?」
「そりゃ、言えた!」
「誰がおじいちゃんだ! まだまだおじさんで通る!」
「みんなそうだもん。だったら一番若いエドに任せた方が良いでしょ」

一同が納得しかけているところで、リアンはとどめを刺した。

「この子だって、これから長い時間を人と過ごすのに、主人と早く別れる事になるなんてかわいそうでしょ?」

竜を相棒だ、友だと思っている竜騎士たちは、その言葉に胸を打たれて次の句が出てこない。

「……俺! 俺が育てるよ!」
「うん! お願い、エド!」
「分からないこととか、沢山あると思うけど、頑張ってみる。リアンも力になってくれる?」
「もちろん! わたしも幼体には詳しくないけど、協力するよ」
「ありがとう、リアン……大事にする」

リアンは懐にいる子竜をべりべりっと剥がして、エドウィンの首に巻き付けた。

騒がし過ぎて、ちっとも重みのない贈呈式があっさり軽く進む中、アドニスはひとり難しい顔をして、その様子を見守っていた。




思いの外、子竜はぐんぐん成長する。

半月ほどでリアンの脚と同じくらいになり、もう半月後にはひと回り太くなって、翼らしきものがぽこりと出てくる。

気を抜いて通路を歩いていると、リアンを見つけた嬉しさのあまり、子竜が壁や天井から飛びかかってくる。


朝起きたらアドニスとリアンの間で、寝台に並んで一緒に寝ていることもある。


でもそれは、まだ誰も知らない少し先の話。