「……わあ。ここは? どこですか?」
「バーウイッチですよ、リアン様」
「バーウイッチ? ……国の端っこの? あと五日はかかる場所じゃなかったですか?」
「そこをさっと移動するのが転移です」
「ええぇぇ……すごい。すごいですね!」
「そんなに凄いですか?」
「すごいです!」
「シャロルの凄い、すごく良い、もっと、もっとちょうだいって言……痛ったーーい!!」
「お前ホント黙れ。殴るぞ」

険しい顔をした侍女は、振り下ろした拳を握り直し、もう一度持ち上げようとしている。

シャロルは慌てて頭を抱えた。

「殴ってから言わないでくださいよぅ!」

静かな場所にシャロルの声が響く。
リアンははと気がついて、周りを見た。

「あの、コンラッドさんと馬車は?」
「置いてきました」
「え? 置いてきた?」
「馬車は大きくて転移が大変なんですよね。副長様なんてほっとけばいいです。そのうちゆっくり帰ってきますから」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。さぁ、行きましょう、リアン様」
「……ここから砦に行くんですか?」
「そうです。この門からでないと、森は通れないので」

確かにシャロルの言うとおり、この道以外の道が見当たらない。

「ここから歩いて山を登るんですか?」
「いいえ。……でもこの門だけは転移で通れないんです。なので、少し歩きましょう」
「はい……」

よくは分からないが、リアンはそういうものかと簡単に考えて素直に従った。



森は緑が深くて色が濃い。

リアンのいた町の森は、もう少し陽が通って明るい感じだった。
この森は真上から陽がさす昼間の時間でも、木々の葉がそれを邪魔して薄暗い。

道はすれ違うのは難しいが、馬車一台なら余裕で通れる幅がある。

三人はそこを横に並んで歩いた。

しばらく進んで、少し拓けた場所に出る。

ぽかりと木々の無い空間ができており、地面は円形に石が敷き詰められている。
道はそこで終わっていた。

「……リアン様、転移します? それとも竜に乗りますか?」
「竜? 翼竜?!」

道はここで途切れているので、行くなら空の上だと思っていたら、すぐにシャロルから返事がある。

「そうですよ。竜にしますか?」
「はい!」
「じゃあ、騎士様を呼びましょうね。誰がいいかな……どなたか良さそうな人がいましたか?」

横にいる侍女に聞くと、ううんと軽く唸って斜め上を見る。

「シイは? シイが来ていますよね?」
「シイ?……誰ですか?」
「アドニスが連れて帰った翼竜です。銀色の」
「……すみません、私たちは知らなくて」
「え? いないんですか?」
「そうじゃないんですよ。私たちは竜の管理には一切関わってないので、どんな翼竜が居るのか知らないんです」
「あ……そうなんですね。えっと……じゃあ、アドニスの竜は?」
「ええ、知っていますよ。紅くて大きな」
「チタ!」
「そうそう、チタですね」
「チター!!」

リアンが呼ぶように大きな声を上げたので、シャロルと侍女はお互いに顔を見合わせる。

そのままゆっくり視線を上げて、空に浮かんでいる白い雲を見た。

三人は無言で空を見上げ、しばらく静かな時間が過ぎていく。

「…………なーんて。びっくりした。やだなぁ、リアン様。竜が来るのかと思っちゃいましたよ」
「呼びましたけど?」
「呼んだ?」
「もうすぐ来ますよ、返事があったので」
「来る? 返事?」
「……ほら、来た」

すぐに陽が翳って、ばさりと羽ばたく音が大きく聞こえた。

うわあと低い声がシャロルから漏れ出ると、その横にいた侍女は、どしとシャロルの肩を殴る。

「痛っ。なんですか、もう」
「……先に帰っとく」
「え、ちょ……待って」

捕まえようと伸ばした手は、虚しく宙を撫でて空気だけを掴んだ。
転移して居なくなった同僚に、心の中だけでくそくそ叫びながら目を閉じる。

「チター! ありがとう!」

風を巻き上げながら降りたつ翼竜に、リアンは駆け寄っていく。

見紛うことなく、騎士団長の翼竜だと、シャロルはまたぎゅうと目を閉じる。

きゅるると聞こえる鳥の歌声に目を開いた。

リアンに撫でられ、気持ち良さそうに目を細めた竜から可愛らしい声が出ている。

「シャロルさん、チタが乗せてくれるって! ……あれ? もうひとりの侍女さんは?」
「……ああ、彼女なら先に転移で帰りましたよ……」
「あ、そうなんですね……シャロルさんも転移で帰りますか? わたしはチタに乗って行きたいです!」
「え?! いや……でも……う、ううん」
「大丈夫ですよ、砦に行けばいいんですよね?」
「そ……うですけど……でも」
「チタと一緒なら、平気です。シャロルさんも転移で先に帰って下さい」
「その申し出は大変ありがたいんですけど……でも」
「大丈夫です」

にこにこと笑っているリアンに、シャロルは乾いた笑いを返す。
同乗したい気持ちはあるが、何しろ翼竜が怖くて、これ以上近付くことすら難しい。

「えっと……では……砦の最上部、『竜の高楼』でお待ちしております」
「竜のこうろうだって、チタ」

くるると返事をしたチタをリアンは撫で回して、太い首に抱き付いていく。

「ありがと、じゃあ、連れてってね。シャロルさん、ではまた後で」
「あ! はい、お待ちしております」

わさわさと分量の多い衣装に手こずりながら、リアンはチタの首に跨った。
鞍も何もない状態だと、シャロルが気が付いた時にはもう飛び立とうと翼を広げている。

「お気を付けて!!」

風のせいで声が届いたかどうかは分からないが、リアンはシャロルの方を見て、手を振った。

そのまま文字通り、嵐のように去っていく。
あっという間に空の高い場所にいた。

静かになったそこで、埃や葉っぱにまみれたシャロルが竜の黒い影を見上げる。

「……ううん。でっかい恐怖の上に乗るかわいい…………かわいさの乗算!」

はたはたと服を叩くと、シャロルの姿もすぐにその石畳の上から消える。




馬車を降りた場所で、上にあれこれ身に付けさせられた意味が、ここに来てよく分かった。

羽織った上着と、肩掛けだけでは足りないくらいに空気が冷たい。
リアンは肩掛けをぐるぐるに首回りに巻き付ける。

「チター! 寒いねー!」

声をかけると、そうだねと返事がある。

「森も山も大きいね!」

大きいねとチタが返す。


黒に近い緑の森が、下に広がっている。
しばらく飛んでいるが、端から端を一度に視界に入れられない。今見えている森の端だと思っている部分が、端なのかどうかすら分からない。

目の前に見える山も、大きなことはすぐに分かるが、これもまた全体をとらえられないので、もう訳が分からない。
上半分は真っ白で、雪以外に何もなさそうに見える。

そちらに向かって近付いているはずなのに、山の大きさは変わらないし、何か建物があるようにも見えない。

変わらない景色に退屈しだした頃、チタが見て見てとリアンを呼んだ。

「わあ! あれが砦?!」

そうだよと返事がある。

ずいぶん山に近付いていたらしく、目の前の全部が山肌で、空も森も視界に入る隙が無い。

中腹辺りのその場所には、山の中のはずなのに、また小さな山に囲まれたような場所がある。
山と山の間に、豆粒のような建物が見えた。

「湖! 湖の中だ!!」

建物の周りを湖が囲んでいる。
というより、大きな湖の中の小島に建物が建っていた。

「すごい! すごいね、チタ! きれいだね!!」

灰色の山肌に、木々の縁取りがされ、空の色を映した碧い湖。

チタは湖の端をなぞるように、砦の周りをくるりと旋回した。

黒っぽい石造りの頑強な砦と、白く繊細なお城と、全く正反対のものを無理矢理ぶつけて引っ付けたような、ちぐはぐな建物だった。

左右対象に同じ数だけ塔があるけど、片方は大木を切り倒したあとの切り株のようだし、片方は美しく彫刻された美術品に見える。

切り株の塔は、ぼこぼことただの四角い穴のような窓があった。全体的にがたがたとした直線だけでできている。

対してもう片方、小さな窓がたくさんついた白い塔の上には青い三角の屋根があり、その上には小さな旗が靡いていた。

「これがチタとアドニスの家なんだね」

いいでしょと答えたチタの首をぺしぺし叩いて、かっこいいねとリアンは笑った。


ごつごつした一番大きな塔の上、チタはそこをめがけて降り立とうとしている。

塔の上には、先回りしたシャロルが手を振っていた。

他にも何人か、侍女と騎士服姿の男が見える。

塔の上に到着して、リアンはすとんとチタの背から滑り降りる。慌てた様子で、騎士達が駆け寄ってきた。

「大丈夫なのか?!」
「……はい?」

なんの事かとリアンは首を傾げた。

「急にチタが飛んで出たと思ったら、シャロルは来るし、鞍も無しに人を乗せて帰ると言うしで、心配したんだが」
「ああ! チタは上手に乗せてくれるから、大丈夫ですよ。ねー? チタ!」

きゅるるると鳥の歌声のチタは、とても機嫌が良さそうに、リアンにすり寄っていく。

リアンも抱きしめて、ぐりぐりと頭を擦り付けた。


アドニス以外でここまで人に甘えたところを見たことがない騎士達は、それ以上なにも言えずに、ただぽかりと口を開けている。



「さあさあリアン様! こちらに! 寒かったでしょう」

少し離れた場所で、シャロルは大きな織物を広げて声を張り上げていた。

チタにお礼を告げてシャロルの元へ小走りで近付くと、織物でぐるぐる巻きにされる。

「まさか本当に竜に乗るとは思っていなかったので、暖かくするということを、きれいに失念していましたよ」
「え? でも、上着を着せてくれましたから」
「そんな! こんな薄手のものでは、何の足しにもならなかったでしょう?」
「暖かかったですよ?」
「…………私を甘やかさないで下さい! 何をしてくれたんだと蔑んだ目で私を見て!! 甘やかすのは私の役目です、さぁ、リアン様の冷えた体を私が暖めてあげますよ! 私が! リアン様の! その体を!」

シャロルの背後から木の棒が現れて、すこんと頭を突いた。

「痛っ! ……って、なんで箒の柄ですか!」
「……いや、手を使うのも屈辱的だから」

シャロルの背後にいたのは、シャロルと同じ衣装の、先ほどとはまた別の侍女だった。

「はじめまして、リアン様。チェルシーと申します、どうぞよろしくお願いしますね」

箒を片手に美しくお辞儀をして、チェルシーはにこりと笑った。

「チェルシーさん。はじめまして、リアンです。よろしくお願いします」
「はい! ではさっそくお部屋に案内いたしますね。……ほらシャロル」
「はいはい……転移しますよ、リアン様目を閉じて下さい」
「え? あ! ちょっと待って下さい」

チタに呼ばれて、リアンはチタの元まで走っていく。首をぐりぐりと撫で回しながら、どこかに連れて行こうとしている騎士に声をかけた。

「チタはこれからどこに行くんですか?」
「この下に厩舎があるから、そこに」
「えっと……ちょっと日暮れまで、森に行ってもいいですか?」
「はい? あの、貴女が?」
「いえ、チタが……ダメですか?」

リアンはにこりと笑って、絶妙な角度に首を傾ける。

ぐと喉を詰まらせたような声を上げて、騎士は顔を赤らめた。
眩しいものを見たようにぎゅっと目を閉じると、チタからもリアンからも数歩下がって距離を取る。

「……日暮れまでには戻って来るんだ……ぞ、チタ」
「いいって! 良かったね、チタ! ありがとうございます!」



飛び立つチタに手を振って、森の方へ行くのを見送った後、リアンはシャロルの元までかけもどる。

「お待たせしました、シャロルさん、チェルシーさん」
「リアン様は私以外にも虜を作るおつもりですか!」
「なんですか? とりこ?」
「あの騎士様の顔をご覧なさい」

へらへらと笑っている騎士に、リアンはにこにこと笑い返して手を振った。

「だってお願い聞いてもらうなら、さっきみたいにすると手っ取り早いから」
「あざとかわいいリアン様!! 抱きしめてもいいですか!!」



シャロルは、今度は箒の先の方で上から下まで撫でられる。