コンラッドは馬を走らせ、隣の大きな町に、侍女と馬車を迎えに行った。
お若いお嬢さんのお世話をするために、必要なものを用意をして、再び町に戻った時には、もうすぐ夕陽が沈みそうな時間だった。

宿に到着して、馬車からおりた侍女は、やぁと鬨の声を上げながら走りだす。

「シャロル? どうしたの、なにごと?」
「あ、あ! 早く早く副長様!」
「え? なに?」

侍女のシャロルは、木の下に入って前掛けを両手で持って広げている。

「ちょっと、木を揺すって下さい!」
「は? なんで?」
「知らないんですか、この花!」
「花がどうしたの」
「めちゃくちゃ高価なんですよ!!」
「……この花が?」
「見た目は小さいし、このままじゃ分からないと思うんですけど、お茶と一緒に蒸したり、精油に漬けたりしたら、ものすごく良い香りがするんです!! 落ちてすぐに加工しないといけない上に、採れる時季もほんとにわずかで、すごくすごく希少なんです!」
「え、でもここら辺にいっぱいあるけど」
「だから大興奮なんですよ! さぁ早く揺すって下さい! 採りますよ、わんさかと!」
「わんさか……ねぇ」

コンラッドが首を傾げつつ、幹に近寄り、言われた通りにゆっくりと木を揺する。
花のことに詳しくないし、ここ一帯あちこちにあるので希少だの高価だの言われてもしっくりこない。

シャロルは前掛けを広げて、くるくると落ちてくる花を、きゃあきゃあ叫んであちこち走り回りながら集めた。

ある程度集めると馬車に戻って、道具入れの中から両手に収まるくらいの器を取り出すと、その中に集めた花を移していく。

すっと息を吸い込んで、シャロルは真剣な表情になり、器の中身に集中した。
手をかざして術の詠唱を始める。

常に見る感じではなく、長く続く詠唱に、コンラッドは少々動揺した。

「なにそんな気合い要るの? そんな?」

術を繰り終わり、疲れた顔でふうとひと息ついたシャロルに声をかける。

「そりゃ厳重にしないとですよ……これだけあればふた家族が一年は余裕で過ごせるんですよ?」
「本気で言ってる?! もっと採る?」
「いや、もう無理です。私の魔力がもう無理です」
「そんな消耗する?!」
「つまらない失敗したくないので」
「そりゃ高価だわ……」

魔力を持った人の中でも、お館様に仕える侍女たちは、かなり魔力量が多い。
そのシャロルが、もう無理だと言うほど力を注ぎ込んだ術を繰った。

希少だ高価だとシャロルが興奮した意味が、コンラッドにもやっと理解できる。

「……食事をいただいて、休ませてもらってもいいですか?」
「はは! どうぞ、ゆっくり休んで。明日はよろしく」
「はい、もちろん……失礼します……」

なんだか少し縮んだようなシャロルが、ふらつきながら自分の荷だけを持って宿に入っていく。
先ほどの器は大事そうに片腕の中に抱え込まれていた。



コンラッドは宿の横に馬車を停めさせた。
車を引いている二頭の竜を放してやり、厩舎に連れて行く。
寝床を整えてやるとすぐに竜たちはそれぞれに丸くなって休み始めた。

「明日もまた頼むな。今のうちにゆっくり休めよ」

真っ黒でまん丸な目をぱちりぱちりと瞬いて、竜たちは太い声でるるると鳴いて地に伏せた。



夕陽は地の向こう側へ消えて、空には藍と黒の大きな雲が留まっている。





いつもより早めに客を帰して店を閉めた。

仲間たちも今夜は全員家に戻れと言ったので、珍しく三人だけの静かな夜になった。

ゆっくりと夕食をとる。
穏やかに、笑顔で取り留めもない話をしながら、時間は過ぎて行く。

ずっと涙目なディディエの背中を、びしびしとテイルーが叩いた。

「手紙のやり取りは手伝ってくれるって言ってたじゃない。きっと魔術で送ってくれるんだよ? 普通よりかなり早く届くよ?」
「……うん」
「嫌になったら帰ってもいいって」
「……うん」
「アドニスもそうだけど、今日来たコンラッドさんも良い人そうだった」
「……うん」
「兄さん……」
「うぐ……な……泣いちゃう」

近くにあった台拭きを手に取ると、ディディエはそれを目元に当てた。

あーあーとテイルーが慌てて代わりを取りに行く。

「わたしね……もういいやって、なんか色々諦めてたんだよね。やってみたいこととか、見てみたいものとか、全部。……まぁもういいやって」
「リアン……」

戻ったテイルーがべそべそ泣いているディディエから台拭きを取り上げて、清潔で乾いた手巾を渡す。

「迷惑かけるのが、ずっと申し訳ないなって思ってたんだけど」
「迷惑だなんて思ったことないぞ!」
「……うん。兄さんがそう思ってないことは分かってるよ。でもわたしはずっと兄さんの負担になることが苦しかった」
「……リアン」
「アドニスがね、能力を買ってくれるって。わたしの『竜狩り』の能力や知識を買ってくれるんだって」

卓の向かい側から手を伸ばして、テイルーはリアンの手をぎゅっと握った。

「嬉しいね、リアン」
「うん! 自分ひとりだけの力だけじゃ、出来ることなんてちょっとしかないと思う。でも、色々やってみてもいいのかなって。アドニスに話を聞いてから、やってみたいことを、また考えるようになった」
「リアン……俺はお前を……お前のやりたいことを邪魔してたのか」
「違うよ! わたしが勝手に諦めたの! だってもっと無茶しようと思ったらできたもん! 兄さんを泣かそうと思ったら、いくらでも泣かせられたもん!」
「そ……そんな、考えるだけで恐ろしい……」
「お父さんとお母さんと、兄さん。テイルーも。わたしを大事にしてくれて、ありがとう」
「……やだやだやめて! 私も涙が出てくる!」
「テイルー!」
「ディディエー!」

卓の向こう側でがっしり抱き合って泣いているふたりに、あははとリアンは笑う。

「手紙はちゃんと書くからね。待っててね」
「……無茶なことはしないでね。辛くなる前にきちんと休んでね」
「わかった。ありがとうテイルー」
「約束しろ、体を大事にするって」
「うん。約束するよ、兄さん。ありがとう」
「……う。お、俺の妹が……ぅぅ……いな、いなく……」
「居なくならないよ。別々の家で暮らすだけ。どこに行ってもわたしはディディエの妹のリアンです」
「ううぅぅ……リアンんん」
「兄さん大好きだよ!」
「俺も好きぃ……ううぅぅぅぅ……」

ディディエ限定一撃必殺の言葉と笑顔で、リアンは完全勝利を収めて、ふんと鼻息を勢いよく吐き出した。
椅子から立ち上がって、得意げに胸をそらし、腰に両手を置く。

勝ち誇った表情で、そのまま食卓を離れて自分の部屋に向かう。
と、見せかけて振り返った。

「兄さんは、今からちゃんとテイルーに求婚しなさい!!」

ぴしゃりと言い放ってその場を去る。


今からがその時なのか、これからしばらく時間がかかるのか、明日なのか、来年なのか……いやいや、それはさすがにダメだから。頑張って兄さん!! と思いながら、リアンは邪魔にならないよう、音を立てないように、静かに階段を上って部屋に戻った。



体のことはどうしようもない。
一番の不安だけど、こればかりは自分ではどうすることもできない。

この命がいつまで保つかもわからない。
そんなに長持ちする自信はない。
一度家を出てしまえばまた帰ってこられる気はしなかったので、そのことはあえて言わないように、約束もしなかった。

死んでしまえば、間違いなくアドニスに迷惑をかけることになる。

それでも。

優しい兄を振り切ってでも。
わがままを通したかった。

「……死ぬ時は山に行って、誰にも見つからないように、雪に埋もれて凍って死のう…………そうしよう」

ふふと笑いながら小さな鞄に道具を詰め込んでいった。

竜狩りの衣装と道具を入れて、残りの少しの隙間に着慣れた服を詰めようとするが、どう見ても全部は入らない。

「……まぁ、いいか」

少しの替えを着回せば充分だろう。
これ以上荷物を増やすことの方が面倒な気がして、リアンはあっさりと荷作りを終えた。



この家最後の夜を、家族とのたくさんの思い出を懐かしんで過ごそうと考えていたのに、寝台に潜るとリアンはあっという間に眠りに落ちる。

翌朝テイルーに起こされるまで、夢も見ないほどしっかりと寝た。





言った通り、コンラッドは同じ時間に再び店を訪れた。

昨日と同じように、びしりと騎士服を着て、堂々とした風情を漂わせている。


ただコンラッドの背後には、どこのお貴族様が乗っているのか、竜二頭立ての豪勢な馬車が停まっている。

「お迎えにあがりました、リアンさん」

にっこり笑っているコンラッドに、出迎えた三人は動揺を隠せない。

「え……と、えっと。あれは?」

目線の先をを辿って振り向いたコンラッドは、軽く馬車ですねと答える。

「誰が乗っているんですか?」
「え? ああ、そうですね。ご紹介しましょう……シャロル!」

馬車から降りてきた女性は、その場で丁寧に美しいお辞儀をする。

「これから砦に着くまでの間、リアンさんのお世話をさせていただきます、シャロルです。何かあれば遠慮なく彼女に言って下さい」
「え? ……そこまでしてもらわなくても、自分のことくらい自分でできます」
「いえいえ、お気持ちは分かりますが、これからは世話をされることにも慣れて頂かないと。心配はご無用です。シャロルは優秀な侍女ですから」
「侍女……さん」
「よろしくお願いしますね」
「あ……いえ、こちらこそ。……よろしくお願いします」

お別れはお済みですかと声をかけられ、はと我に返ったリアンは、ディディエとテイルーの方に向き直った。

笑顔でじゃあまたねと笑い合い、三人でぎゅうぎゅうに抱き合った。

さらにその後ろにいる仲間たちに、じゃあねと手を振った。

口々に声をかけられ、その全部にじゃあね、と返事をする。



小さな鞄をシャロルが持ち、コンラッドがリアンの手を引いて、馬車まで導く。

今までにないことに困惑しているリアンを馬車に乗せて扉を閉めると、コンラッドはディディエの元に戻ってきた。

「……では、リアンさんをお預かりいたします」
「よろしくお願いします。大事な妹です」
「お任せ下さい……砦に到着しましたら、知らせを出させていただきます」
「本当に、お願いします」
「はい、心して」

馬車の小窓に貼り付くようにしているリアンは、手を振ってディディエに合図を送る。

上空に登って声の届かない時に交わされる合図。
『竜狩り』の間でだけ通じる手信号に、ディディエはどうにかこうにか笑顔で了解の意を返した。


『地上で無事に』


リアンが手で振って示したのはひと言だったが、毎度 己の命を懸けて狩りをしている『竜狩り』たちの間では、その意味は深く、長ったらしい。

状況に応じて臨機応変に、万事抜かりなく立ち回ること。
それぞれ最善を尽くして、お互いが無事な姿で、再び地上で会うこと。
そのためには己のやるべきをやり抜くこと。
そんな自分の意思と、相手への望みが込められた合図だ。



ぐしゃぐしゃに顔を顰めたディディエは、それでも馬車に乗るリアンから目を背けなかった。

ディディエは『行くぞ』の合図を出す。これにもたくさんの意味が込められている。リアンはにこにこと笑顔で『了解』と合図を返した。


昨夜テイルーと笑顔で別れようと約束をしたから、全神経を集中させて馬車が見えなくなるまでは堪えた。



車影が見えなくなった途端、人目も憚らずわんわん泣きだしたディディエを抱きしめてテイルーも少し泣く。

周りにいた仲間たちも、しょうがないなと笑いながら泣いていた。




「さあ、みんな! 準備はいい? 店を開けよう!」

テイルーのよく通る声が、よく晴れた空に吸い込まれていく。



同じように捲き上る風が、小さな花を持ち上げて、澄んだ深い青の中、くるくると回りながら雪のように降っていた。