千稲ちゃんが入院した。

どうやら病状が悪化したようだ。

私はまだお見舞いに行けていないが、遥斗によればもうすぐ始まる学校に、行きたがっているとのこと。

千稲ちゃんの病名は、拡張型心筋症。

心臓の大きさがどんどん大きくなっていく病気で、原因は今のところ詳しいことは不明、大半が遺伝だと考えられている。

薬物療法では厳しい節があり、残す術は、移植。

心臓移植しかないそうだ。

移植をするとなると、ただひたすら待つことしかできない。

ただひたすら、死が来るまで。

小学3年生にして、死の恐怖にさらされるなんて、世の中は不公平で満ちている。

彼女も私も、心臓移植レシピエントというものに登録し、補助人工心臓を着用して生き延びている。

レシピエントとは、臓器移植を求める人。

ドナーは、その臓器の提供者のこと。

日本ではそのドナー数が少なく、心臓移植レシピエントに登録し、補助人工心臓をつけてあとは自宅待機。

血液型などの厳しい適合条件があるのにも関わらず、そもそものドナーが見つからなければ生ける可能性はほぼ0だろう。

死が早いか、心臓が早いか。

私と千稲の補助人工心臓は植え込み型なので大方普通の生活ができる。

私は幼い頃、白血病という血液のがんにもかかった経験があり、骨髄移植をした。

そのときでさえ、中々HLAが適合する人が見つからなかったのだ、心臓なんて尚更厳しい。

……そんな昏い道をどう歩めというのだ。

生温い春風に髪を嬲られながら、春夏秋冬、見飽きた景色が素早く流れていく。

「天藍さん、あまり身を乗り出すと危ないですよ」

そう抑揚のない声で注意するのは母の秘書さん。
 
この間、流旗、という患者がいるか調べてもらった人だ。

金縁の眼鏡をかけ、糸目の、いかにも生真面目な日本人という、硬い雰囲気を持っている男性だ。

見た目に劣らず、性格も堅っ苦しい。

「聞いていますか」

ハンドルを握り、きっちり前を見ながら後部座席の私へ再度注意する。

「いいんです。気にしないで」

鼻から出た、抑えたようなため息が聞こえたような気がしたが、聞こえていないことにした。

こうでもしておかないと、憂鬱で憂鬱で仕方がない。

病院にいたいとは思わないけれど、帰りたいとも思わない。
 
どちらも私の居場所じゃない。

いていい場所じゃない。

このまま、細胞ごと消滅してしまえばいいのに。

「……秘書さんは」

「水城とお呼びください」

どちらでもいいじゃない、と突っ込みたかったが、後々面倒なので堪えた。

「水城さんは、どうして私の母の秘書になったんですか」

父のときからの秘書さんだから、単に興味本位で聞いてみただけだ。

幼い頃面倒をみてもらっていたようだが覚えていないので、深い意味は無い。

「秘書に勧誘されたからです」

水城さんは会話のキャッチボールが出来ないのだろうか。

簡潔な返事にすごくイラッとする。

「それだけ?」

「誘われて、やってみたいと思った。それだけです」

もうどれだけ私が繋いでも続かないだろうと諦め、窓枠に肘を置き、頬杖をついた。

膝の上に置かれた紙袋のフローラルの香りは、かなり薄れていた。