ゆっくりと、独特な消毒液の臭いが充満する廊下を歩く。

この匂いは嫌いじゃない。

幼少期から親しんできたから、懐かしいし、清潔感があって、自分が清くなれたような気になれる。

一種の麻薬みたいなものなのかと、僕は思う。

緩やかに開いた自動ドアをくぐると、春空は雲で覆われ、今にも泣き出しそうだった。

――僕の心。

ズグン、と規則的に、脳に痛みが回る。

休暇期間は至福のときだ。

誰にも何も言われず、自由きままに、僕らしくいられる。
 
予期せず生まれた、"流旗知成"で振る舞える。

僕にかけられる重圧が、全て吹き飛んでくれる、から。 

僕が何のために生まれて。

僕が誰のために生きていて。 

僕の存在は一体何なのか。

悩まなくて済む。

でも、もうそれもあと一週間程度。

……春休みって、何でこんなに短いかなぁ。

この時間が延々ループしてくれたら、どんなにいいか。

重い曇り空を見上げ、病棟を振り返ってから、あるものに思いを馳せる。

如月天藍。

あの、長い前髪の隙間から覗く、強気で、かつ清い光を放つ切れ長の瞳。

ぽってりとしていて、リップを塗ったように紅い、潤んだ唇。

唇の下の特徴的なほくろ。

ほんのり桃色がかかる白い頬。

決め付けは、あの艷やかで、雰囲気からか青みがかって見える美しい黒髪。

最後、学校へ行かない理由を聞いたとき。

表情、内心ともに冷静を装っていたようだが、恐らく彼女、心の奥深くでは動揺が渦巻いていたようだ。

自分自身さえ、騙してしまうなんて。

――やはり、似ている。

確信に近いものを感じ、思わずニヤリと唇を曲げた。

だが、見た目だけではなく、もう少し中身的な要素が欲しい。

僕のこの仮説を裏付けるような何かが。

もう少し情報収集といくか。

ついに泣き出した空からの涙が、僕を容赦なく突き刺していた。