如月天藍、25歳。
怒涛の高2から、およそ8年。
その1年の記憶だけは、鮮やかに脳裏に残っていて、消そうと思ってもこびり付いて取れない。
あの、吐き気のするような、嫌な事件。
その中に放り込まれた、甘くて苦い恋。
ああ、思い出すのも息苦しい。
「お疲れ、天藍」
コトン、と温かいコーヒーを隣に置いてくれたのは、そのときの同級生、高田麗華。
彼女にとっても災難な1年だった。
彼女の祖父も父も殺害され、父を殺害したのは叔父。
私は母が院長を退職した跡を継いだが、彼女の父の病院は潰れた。
そこで、私の病院で医師として働きたいというのだ。
初めは驚いたが、きちんと面接をして、採用した。
彼女は外科医師だが、腕の評判は中々のものだ。
恐らく今のは、私のタイピングの手が止まっているのを見計らってコーヒーを淹れてくれたのだろう。
「ありがとう」
「最近働きすぎなんじゃない?心臓は大丈夫なの?」
「ぶっ壊れてはないわ」
「……ぶっ壊す気なの?」
私は麗華の忠告をスルー、コーヒー片手にキーボードを叩き出す。
「弟くんいるんでしょ。帰らなくていいの?」
「何言ってんの。お母さんがいるし、あいつもう17歳の高校生よ」
そう、あの時の私達と同じ年齢……。
遥斗は私の身長を抜かし、顔周りもシュッとしてもう男性、という感じだ。
声変わりもしたが、大きく色素の薄い丸い瞳は今も健在で、可愛らしい。
まあこれがハーフイケメンのようで、女の子が群がってくるわけだ。
相変わらず、手首には私の作ったミサンガが嵌められている。
対して、私や麗華の左手薬指は寂しいままだ。
麗華は瑠璃さんといい感じらしく、私の読みではもうそろそろゴールインするはず。
彼氏ができなかった訳じゃない。
寧ろ、2、3人と付き合ったがどれも長続きすることが無く、泡のように一瞬で弾けてしまった。
皆、しっくりと来なかった。
何年経っても、やっぱり心の奥で橘琥珀が居座っている。
その癖怖くてお墓参りにも行けてない。
涙一滴さえ、出てこない。
なんて自己中なんだろう、冷徹なんだろう。
今でも彼が、隣で嫌味ったらしく笑っているような気がする、なんて只の我儘。
自分がこんなに女々しくて、面倒臭い女だとは思っていなかった。