母はいつ置いていったのだ、見えなかったぞ。
母、恐るべしである。
「そこ、座って。ヘアゴムとかヘアピンとかある?」
「あ……お母さんが忘れていった化粧品一式があるから、その中にあるかも」
ポーチの中身を探ると、全てあり、櫛まであった。
もしかすると、母はわざとに置いていったのかもしれない。
お節介な母である、と苦笑した。
私はそれを橘くんに渡し、指定された場所に座る。
首筋が涼しくなり、髪が持ち上げられたのがわかった。
橘くんが髪を梳く度にうなじから髪を撫でるように持ち上げるので、彼の指先が首筋を掠めて、ドキドキする。
「橘くん、何でこんなことできるの?」
私よりも女子力があるではないか。
「あの、千稲、って子に付き合わされたら慣れた」
「ああ〜……」
何となくわかった。
言われてみれば、納得だ。
シュルシュルと美容師かと思うほどの素早さで後ろ髪をまとめたのを感じる。
「ひえっ」
額が凉しくなり、瞳に、遮断されていた光が集中した。
「ちょ、前髪……!」
「いいじゃねぇか、今日くらい」
すすす、と額の上を指でなぞられ、長い前髪を分けられる。
分け目を調節しようとしているのか、私の頭頂部に顎を乗せ、後ろから顔を覗き込んでくるので、密着度が増し、ドキドキで言葉がかき消された。
……まあ確かに、もう隠す意味も殆ど無いし、ね。
「はい、完成。結構時間くっちまったから、急ぐぞ」
「でも……玄関から出れば、お母さんにバレるわ」
そうすれば、あのときみたいに連れ戻される。
院長の娘という看板により、皆私のことを知っていて、見ているのだ。
だから、下手な脱出の仕方はできない。
「問題ねぇよ。お前走れねぇし、俺が持ってくしか方法が無いだろ」
「きゃっ」
体が地面と平行に浮かんだ。
固く温かいものに包まれ、全身が火照る。
何度経験しても慣れないどころか、経験を重ねる度に耐性が無くなっていることを実感した。
歩き出したかと思うと、私の目に映ったのは、抱きかかえられている私と橘くんの反射した窓であった。
まさかとは思うが。
「ここ、二階よ……?」
「知ってる」



