哀愁の彼方に

寒気で食べられなかったが、節のこんな心尽に何故か、涙がポロポロとこぼれて彼の目尻
から頬に伝って流れるのであった。
十八歳になると市松は、行商に出された。市松は、鍋やヤカンなどの金物を自転車の荷台
に載せて山北屋を追い立てられるように出て行った。弁当は、行商に行く最初の日にだけ、
大きな握り飯を二個と塩鮭一切れが、主人の命令で節から渡された。二日目から握り飯は、
三個になったが、売上の少ない日が二日続くと握り飯は、二個に減らされて、塩鮭は、沢
庵漬物か梅干に変わったのである。世間を知らない市松にとって、厳しい行商であった。
何日も売上のない日々が続いた。それでも市松は、必死に行商を続けた。そんなある日彼
は、鍋の蓋を1枚買ってくれる主婦に出会った。彼は、その主婦が菩薩様のように見えた
のである。彼が、あまりにも何度も丁寧にお礼を言うので、その主婦は、二リットルのヤ
カンまで一つ買ってくれた上に、買ってくれそうな家庭を紹介してくれた。市松は初めて、
世の中もまんざら見捨てたものでないことを痛感したのである。
「自分も物を買える身分になれば、きっと、こんな優しい人間になろう」
いつしか、そんなことを思うようになっていた。辛い行商であったが彼は、店にいるとき
よりも外での行商を好んでいた。それは、自分の時間を持てる多さと言えば、到底、店に
いる時の比ではなかった。彼は、売上がなくて握り飯を減らされたときなどは、水を飲ん
で耐え忍んだのである。それでも市松は、自分の勉強ができることや見も知らない他人か
ら受ける親切と、店を出るときに節が、誰にも内緒でくれる小さな握り飯に感動すること
に悦びを感じていた。節は、自分の食べるご飯を残して握った小さな握り飯を彼に手渡し
ていたのである。そのことを市松は、知っていたのでその握り飯を食べるときはいつも、
涙と一緒にそれを食べていた。
 ある日市松は、雪が積もっている山道を自転車を押しながら登っていた。その日は、行
商の品物は、よく売れてほとんど自転車の荷台にはなかった。その気の緩みから彼は、山
道を登りきってから下り坂にかかった。荷台に商品が、売れ残ってないために坂を自転車
に乗って下り降りたのである。いつもは商品が、多く残り下り坂であっても到底、自転車