新年の挨拶をした。それから市松は節に、にっこり笑って右手で自分の腹を軽くさするの
であった。
「さあ、市どん、朝から大変やったな。なにも市どん、一人がすることあらへん。ほんま
に、お腹すいたやろ。さあ、食べや、食べや。ほんまにご苦労さんやったな。」
と言って雑煮の餅を二つ椀に入れて差し出してくれた。急に節は、小さい声で
「まだ、二つあるからな。お腹いっぱい食べや。」
彼は、嬉しそうに頷いて、瞬く間に二つの餅をたいらげるのである。節が、更にその椀に
もう二つの餅を入れようとした時に、ガラリと台所と勝手口のガラス戸が開いた。
「餅は、二つだけと言いましたやろ!ろくな仕事もせんのに、食い意地ばかり張って!節
!それ以上、食わせたらあきまへんで!」
と言って、純子は、市松の持っている器を取り上げて中の雑煮を窓から雪の中へ投げ捨て
た。
「ほんまに!卑しいって!たまりまへん!」
とけたたましく、捨て台詞を残して、足音を残して奥へ入って行った。節は、市松に目配
りをして、雪の中を指差した。彼は、しばらく考え込んでいたが、急に節の顔を見上げて、
首を横に振った。彼の目からは、涙が流れていたのである。
「市どん・・・・」
と言って、節は、市松を抱きかかえた。彼女も泣きながら、何度も何度も市松の背中をさ
するのである。節は、涙でぬれた頬で彼の頬に頬ずりをした。
「市どん、我慢するんやで、我慢するんやで。ここが辛抱のしどころやで。」
市松にはせめて、高校の卒業資格を手にするまで、我慢しなければならないことを十分に
解っていた。
七日正月が過ぎると、市松は、染物屋の染め布の濯ぎ人足として働きに出された。主人
の重一は、三ヶ月の約束で染物屋の近江屋から、労働代金を先取りしていた。近江屋の主
人は、その分を取り返そうと朝の早くから、夕方の遅くまで人足たちを酷使した。市松は、
このとき初めて、近江商人の厳しい姿を実感させられた。そこから彼は、この地の人々の
生きる知恵となったルーツを神妙に感じ入った。
この近江の地域は、戦国の時代からづうっと、武将たちの戦略の要として、いつも武将
たちの思うままに制圧され、利用されてきた。この地域は、京へ上る要所でもあったから、
わをかけて武将たちの野望のための足がかり的地域とされたのだ。その身勝手な武将たち
であった。
「さあ、市どん、朝から大変やったな。なにも市どん、一人がすることあらへん。ほんま
に、お腹すいたやろ。さあ、食べや、食べや。ほんまにご苦労さんやったな。」
と言って雑煮の餅を二つ椀に入れて差し出してくれた。急に節は、小さい声で
「まだ、二つあるからな。お腹いっぱい食べや。」
彼は、嬉しそうに頷いて、瞬く間に二つの餅をたいらげるのである。節が、更にその椀に
もう二つの餅を入れようとした時に、ガラリと台所と勝手口のガラス戸が開いた。
「餅は、二つだけと言いましたやろ!ろくな仕事もせんのに、食い意地ばかり張って!節
!それ以上、食わせたらあきまへんで!」
と言って、純子は、市松の持っている器を取り上げて中の雑煮を窓から雪の中へ投げ捨て
た。
「ほんまに!卑しいって!たまりまへん!」
とけたたましく、捨て台詞を残して、足音を残して奥へ入って行った。節は、市松に目配
りをして、雪の中を指差した。彼は、しばらく考え込んでいたが、急に節の顔を見上げて、
首を横に振った。彼の目からは、涙が流れていたのである。
「市どん・・・・」
と言って、節は、市松を抱きかかえた。彼女も泣きながら、何度も何度も市松の背中をさ
するのである。節は、涙でぬれた頬で彼の頬に頬ずりをした。
「市どん、我慢するんやで、我慢するんやで。ここが辛抱のしどころやで。」
市松にはせめて、高校の卒業資格を手にするまで、我慢しなければならないことを十分に
解っていた。
七日正月が過ぎると、市松は、染物屋の染め布の濯ぎ人足として働きに出された。主人
の重一は、三ヶ月の約束で染物屋の近江屋から、労働代金を先取りしていた。近江屋の主
人は、その分を取り返そうと朝の早くから、夕方の遅くまで人足たちを酷使した。市松は、
このとき初めて、近江商人の厳しい姿を実感させられた。そこから彼は、この地の人々の
生きる知恵となったルーツを神妙に感じ入った。
この近江の地域は、戦国の時代からづうっと、武将たちの戦略の要として、いつも武将
たちの思うままに制圧され、利用されてきた。この地域は、京へ上る要所でもあったから、
わをかけて武将たちの野望のための足がかり的地域とされたのだ。その身勝手な武将たち
