『たまの休日』

なんにせ
全てを投げ出して飛び出す勇気もないくせに
よくもまぁこんなことが言えたものだ

自分自身を投じることも出来ず
1人落ち着ける場所と刺激を求めてたどり着いたのは単独行だった
視界を彩る緑の中に自分を投じる
聞こえるものは、そこに生けるものたちのささやきと大気の音だけ
次の瞬間になにが起こるか予期できない世界の中で
自分の小さなミスが死へと直結していく
生への本能が揺さぶられる

自分よりも強大なもののけが現れ、その強靭な前腕をこの身に振り下ろしたなら、防ぐ術もなく、食物連鎖の最下層へと引き摺り下ろされるだろう。

人の手でわずかに切り開かれた足場が崩れ、何百メートルもある谷の岩肌に投げ出されたら。いとも簡単に引き裂かれ、何者であったかもわからぬままにあらゆる生の糧となるのだろう。
木々ひとつない高所での落雷に、身を貫かれたなら、
視界のない寒さの中で自分の居場所を見失ったなら、

私を人生のおわりへと導く因子たちがひっそりと後をつけてくる。それは恐ろしくも、自分が一種の動物であることを思い出させてくれる。人は決して食物連鎖のトップなどではないと痛感させられるのだ。

この時「生きねばならない」と本能レベルで思ってしまう自分が好きだ。私は、生きるためにスリルを追い求めている。

自分の本音を知りたいなら死というものを自身のすぐ横に並べてみると良い。

本能は正直だ
心音は速度を増し
ひんやりとした心地の悪い汗が全身から溢れるかわりに口内は口渇。
全身が自分の意思ではコントロールすることの出来ない規則正しい振動を繰り返す。
今まで忘れていた、物凄くシンプルなこたえを本能は聞かせてくれる

ほら、お前は本当は生きていたいのだと。


やりたいことに身を投じよう。
何かに取り組むことは多大なエネルギーを使う様に見えるかもしれない。しかし案外それがストレス解消のはけ口になることがある。

たまの休日、寝て過ごすのも悪くはないが、たまには早起きをして丸一日趣味に費やしてみよう。休日に自分のために動かした体は、不思議なほど充実感に溢れるものだ。