『別に人生が辛いわけではない』

五体満足に生まれ
愛情に溢れた家庭で5人の兄弟の末っ子として甘やかされて育った
毎季節ごとに家族旅行に連れて行ってもらい
衣食住に不自由を感じたことがない
何の迷いもなく大学まで進学
今も月に2回は趣味の登山へ出掛け
時には古くからの友人とたわむれ
年に2回は遠出の旅行へ出かける
恋人関係にも恵まれているし
職場でもそれなりのポストを与えられ
給料に不満はなく
人間関係に困っているわけでもない
26歳という歳になっても誕生日には全員が集まるほどに家族の仲は良い

私は一般的に見てみればとても幸せものなのだ

なに不自由なくいきている

だけど、ふと考える

何のために生きているんだろう。

通勤快速急行の電車が通過することを告げるアナウンス
いまここで一歩を踏み出したなら

私の灯火が消える瞬間。

周囲の人は血相を変えて騒ぐだろう。
「また遅延かよ。死ぬなら他の所で勝手に死んでくれよ。」などと、その電車を使うであろう何千人もの罵声を浴び、「ラッキー、人身だから遅刻しても怒られないわ。」と人の死を何とも思っていない冷ややかな言葉に溺れながら私という存在は消えていくのだろうか。
会社では私が来ないことに気が付いた誰かが何度も電話をかけるだろうし、病院からの連絡に家族は困惑し、現実を受け止め切れないことが容易に想像できる。何人の友人がそれを知ることができ、何人の友人がその事を悔やんでくれるだろうか。

もう一度言おう
別に人生に不満があるわけではない

この甘ったるい世界は私には物足りなかったのだ

贅沢だとおもうだろう

では贅沢とはなんだ

それは人を羨んだ時に出る声だろう
生まれることなく消された灯火
志半ばに絶たれた火は
生を受けてこの地に立っていること自体を贅沢だと思うだろうから。

いや、待てよ?
そもそもだ、人生をつまらなくしている要因は何なのだろうか。今いる場所を苦しいものにしているのは一体誰なのだろうか。私の人生を振り返りながら身を投じるべき場所を一緒に考えて見ませんか?