「何も知らないのならば、これから知って行けばいいじゃないか。
朔夜達とばかりじゃなく、俺とも一緒にどこかへ出かけよう。 丁度海外の大きなプロジェクトが落ち着く頃だ。
春太さんが居なくとも会社には優秀なブレーンがいる。 まりあと一緒に居る時間を作るよ」
「でも、私は…」
突然結婚なんて言われても…。
立ち上がった智樹さんの視線は、ただただ一点に集中していた。
私を通り過ぎた先にある、青白い水槽へと。 それは慈しみの瞳。 優しい顔の智樹さんしか知らなかったから、あなたの中にある深い憎しみにさえ気づけなかった。
「憎しみがないっていいな…」
まるで独り言でも呟くように投げ出された言葉は、意味もなく宙に舞ってやがて跡形もなく消えた。
「この感情が悲しみだけだったら、俺もまりあみたいに綺麗でいれたかな?」
自身を蔑むような言葉を放ち、扉は閉められた。
自分が先程言われた事は余り現実感がなく、受け止めれなかった。
この私が家族を? 持てるというのだろうか。愛情を知らなかった私に。 けれど智樹さんが差し出そうとしたのは、私が一番この世で欲しかった物だ。
愛という形にはないもの。形はないのに大半の人間が生まれながらに備えているものだ。



