朔夜さんは私をただただ抱きしめるだけだった。 手を出したりはしない。 あの日とは違う。そもそもあの日だって、この人は本気で私に手出しをしようとはしていなかっただろう。

「夢を見ていた。」

「夢?」

「お母さんが死んだ日の…。」

「ふぅん…」

「死んでるのだってとっくに分かっていたのにね。息なんかしてなかった。
それでも中学生の私は必死でお母さんって呼び掛けるの。
おかしいね。 生きていた頃は殆ど呼んだ事がなかったのに。
死んでから…もう意識がなくなってから呼びかけるなんておかしいね…。ほんと…おかしい」

「気が動転してたんだろ…」

「私のせいだ…。お母さん、私とあの男の関係を知って、死んだ。
私のせいなんだ…」

暗闇の中 自分の手が震えているのが分かった。
朔夜さんは震えるその両手を自分の両手で包み込む。

どうして人の温もりはこんなに暖かいのか。 それはあなただったからなのか。誰しもが持っているものなのか。

少なくとも、私の中には人を優しく包み込むような温かさは存在していない。

「まりあのせいじゃない。」

少ししゃがれた優しい声のトーンだった。
闇の中どこまでも澄んでいる緑色の瞳が真っ直ぐと私を捉える。

誰かの胸の中で安心して眠りに落ちる事が出来たのは、もしかしたら生まれて初めてだったのかもしれない。