「あ」

 その木の枝の一本に、漆黒の獣が丸くなって昼寝をしていた。

「おーい、ししょーう!」
「お久しぶりです!」
『…………』

 ゆっくりと瞳が開く。
 毛並みに負けず劣らずの黒い瞳。
 そう、この黒い大型の獣が、俺とセレーナの師匠……。

『お前たち……勇者のパーティーに選抜されたんじゃなかったのか?』
「いやぁ、それが……」
『なんだ、やはりダメダメだったのか? 仕方ないのう』

 すとん、と獣が黒い(もや)を纏いながら降りてくる。
 その靄が幼い少年の姿に回収され、俺たちの前に立つ頃にはすっかり消え失せた。
 残ったその少年は、不敵な笑みを浮かべている。
 その方こそ、俺たちの師匠……幻獣ケルベロスの八雲(やくも)様。
 幼い、十歳ほどの少年の姿をしているが——この姿を舐めてかかれば骨も残らず消滅するだろう。
 相変わらず相対するだけで少し緊張する。
 修行すればするほど、この方との差を如実に感じるようになるからだ。

「イヅルとステルスも呼んでおいで。茶でもしばきながら、そのダメダメな勇者について教えておくれ。狩るかどうかはすぐには決めぬが……ある程度人柄は知っておきたい」
「は、はい」
「セレーナはお茶の準備を。俺が二人を探してくる」
「うん」
「うん!?」
「「?」」

 なんか急に振り替えられた。
「なんですか?」と首を傾げると、妙に汗ばんだ表情をしながら目をゆっくり背けられる。
 どうしたのだろう?

「師匠?」
「あ……い、いや、そ、そうか……まあ、それもそうじゃよな……普通、呼びに行くのはライズか……う、うむ……」
「? 行ってきます?」
「お、おう……で、ではセレーナよ、儂がお菓子を用意するから、そ、そ、そ、その方は茶を、頼む……」
「はい!」

 なぜか声が震える師匠。
 まあ、俺は俺の仕事をしよう。
 イヅル様を呼んでこなければ……と、家の周りを一周してみる事にした。

「イヅル様!」
「ライズ? おやおや、久しぶりですね」

 長い白髪を地面まで垂らした金眼の龍が人に化けた姿。
 この方がイヅル様。
『賢者の森』の『賢者』であり、古龍だ。
 そしてイヅル様の肩にとまっている黒い小鳥……これが魔王ステルスである。
 なんとも惨めな姿だが、セレーナの腹パンを食らってこの姿なのだからさすが魔王、と言わざるを得ない。
 俺の姿を見るとツン、と嘴を背けて見た目とは裏腹に態度はとても可愛くないけれど。

「どうしたのですか? セレーナは一緒ではないのですか?」
「そのお話もしたく戻って参りました。師匠には先程会い、お茶をしようと言われまして……セレーナにはお茶をお願いしています」
『!?』
「!? ……ふ、ふむ。セレーナのお茶……」
「? なにか?」
「あ、いえ、すぐに行きます。ワタシはまだ死にたくないので」
「え?」

 ばびゅん、と移動魔法『瞬歩』まで使って家に帰っていくイヅル様。
 あんなに慌ててどうしたのだろう?
 なんにせよ、俺も早く行こう。
 色々相談したい事が山積みだ。

「……というわけで、言い寄られたのでセレーナと一緒に勇者のもとから出てきてしまいました」

 イヅル様を追って家に入ると、家の中はすでにいい香りが充満していた。
 さすがは師匠、焼き菓子を焼かせたら右に出るものはいないな。
 そしてその隣で瘴気が発生している。
 あ、あー……と師匠たちの様子がおかしかった理由を今更ながらに察したが、まずは座れと言われて事情の説明を優先した。
 勇者殿がセレーナへ裏で嫌がらせをしていたのは、俺の見立てでは間違いない。
 しかし、セレーナは詳しくは語らずカップを持ち上げてあの瘴気あふれるお茶を一口口にする。マジか。

「彼女は多分私が前世でプレイした『アクリファリア・シエルド』をプレイしてると思います。態度もそうですけど、いきなり盗賊のジャディを仲間にするあたり、かなりやり込んでますね……」

 やり込んでるのか……。

「ふむ……ではやはり『裏ボス』を大魔王だと思っておるのか?」
「多分そうじゃないでしょうか……。『裏ボス』の大魔王は世界の中心に溜まった毒素の塊。そこに魔王の部下、ダーダンが飛び降り、融合する事で『意志ある大魔王』として誕生する……んですよね」
「ふむふむ。しかし甘い。甘納豆のように甘い。確かにその辺りまでは『ゲーム予言』が有効だが、そこから先はほとんど描かれていないだろう。それに『ゲーム予言』に記されていない事の方が圧倒的に多いし、『主人公』となった者の言動でいくらでも未来は変わる」

 もぐー、とマドレーヌ、五つめの師匠。
 相変わらず甘いものは本当によく食べますね。

「私が勇者から追放されるのも、ストーリー通りではあるんです。一応『聖女セレーナ』は主人公の親友ポジではあるんですけど……『ストラスト』のアマードに騙されて、主人公の忠告も耳に入れず、彼の欲望に手を貸して一時期パーティーから追放されてしまうので……」
「アマード様がそんなに欲深い方だとは……」
「というか、アマード様は新しい結界石を発見するのよ。でも、それにはビッグゾンビドラゴンを倒さなければいけない。『聖女セレーナ』を利用して、勇者パーティーにビッグゾンビドラゴンを倒させようとするの。結界石もなく、常に魔物の襲撃に晒されていた村の出身であるセレーナとライズは、アマードに同調するんだけど……それが嘘なのよね……」
「なんと……嘘とは……」