脆い記憶

「はい!どーぞ!」
ぐいっと私の前に伸ばされた手からアイスコーヒーを受け取る

「さっきのメシ屋旨かったやろ?もう長いこと通ってるんよ〜。学生の頃からかな〜」

「ご馳走様でした。とても美味しかったし、なんだか居心地のいい店でした。アイスコーヒーまでいただいて・・・次はどこ行きますか?そこで何かお返しさせてください」

「あーそんなんいいよ!いらんよ!ありがとう」
ストローをくわえながらニコッと笑う彼につられて私の口角も緩む

魅力的な笑顔を持つ人だ

穏やかな口調でキツ過ぎない関西弁
低くて優しい声
ニカーっと口を横に大きく広げる笑顔

なんだか懐かしい気がする

私も関西の人間だし
周りの友達なども関西弁を話す人も多い
だから彼だけが特別なわけじゃないはずなのに

なんだろう

とても心が落ち着く


「さて、まだ昼過ぎか〜次はどしようか」

二人でうーんと考えていると
突然空が暗くなりだした

灰色の入道雲の中で稲妻が走ったのが見えた

「うわ〜大きい雷やな。雨くるんちゃう」
彼がそう呟いた途端に大粒の雨が降ってきた

私たちがいる場所に雨を防げるものはない
あたふたしてる彼の横で私は空を見上げた

そういえば昔
こんな暑い日に大雨に打たれたことがあったっけ

確か事故に遭ったあの日もこんな大雨だった

胸が裂けるぐらい走って
雨の中息を切らしていた

何かを追いかけていたんだっけ・・・?

また新しい記憶が帰ってきた
僅かだけど
とても大切な記憶


「ごめん。何も持ってないからコレ・・・」
ぼーっと空を見上げでいる私に彼が羽織っていた白いワイシャツをかけてくれた
ふわっと優しく香る彼の匂い
香水でもない
柔軟剤やヘアワックスの匂いが混じったような
まさに彼の匂い

このヘアワックスの匂い知ってる
今はまだ思い出せないが知り合いだったであろう男の子も使っていたワックスの匂いだ
きっと男の子の間ではメジャーな代物なのだろう

「ありがとうございます」
Tシャツ一枚になった彼を見上げる
少し照れ臭そうに首に手を当てて横を向いている

「さ、どっかで雨宿りしよう」

大きくて私より冷たい手が私の手首を引く

肩にかけてくれたワイシャツが雨に濡れて私の肩も冷えてきた
でも
とても温かい気持ちに包まれている
こんなに心が満たされているのはいつぶりだろう


今日が終わってしまったら
きっともう彼とは会えないだろう
わかっている
でも
もう手遅れだ
それを受け入れたくないほど
私は彼に惹かれてしまっている


ついさっき出会った人
名前すら教えてくれない人
なのに
そんな事を忘れさせて
あっという間に私の心を掴んだ人